石井眞木氏の訃報、岩城による日本の現代音楽新シリーズなど(MUSE2003年5月号)

 日本とベルリンを中心に活躍した作曲家の石井眞木氏が亡くなられました。66歳という若さでした。
 オペラやバレエを含む膨大な作品がありますが、僕が初めて接した氏の作品は映画「帝都物語」の音楽でした。数年後の「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」と同じく実相寺昭雄監督とのコンビですが、場面ごとに短い音楽を割り付けるのではなく、監督の意向で映画から自立しうる管弦楽組曲として作曲されているのが最大の特徴です。
 「帝都物語」は明治の日本を舞台に帝都東京の壊滅をもくろむ魔人の暗躍を描いた作品ですが、石井氏の音楽は同時代のワーグナーやヨハン・シュトラウスの作品の引用を含むコラージュのような作品でした。これらの作品を貪欲に吸収しようとしていた明治という時代の活写であると同時に、近代以降の日本の作曲界が辿ってきた道程の縮図にもなっていて、単なる映画音楽の枠に収まらない意味合いの音楽になっていました。監督の読みが当たったというべきでしょうし、この時初めて映画のために音楽を書いた石井氏ならではの作品でもありました。
 ”オーケストラとシデロイホスのための交響詩”との副題を持つ「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」は、当時金属彫刻家原田和男氏と打楽器奏者山口恭範氏が共同で開発した鉄製の打楽器シデロイホスの音色を軸に、「現代」に対する異議を唱えるものとして配置された「古代」のイメージを描いた音楽で、水琴窟を思わせる繊細さから壮絶な衝撃音まで発しうる特殊楽器の響きを活用した作品になっていました。
 実相寺監督が日本の現代音楽に深い関心を寄せるようになったきっかけは伊福部昭氏の「シンフォニア・タプカーラ」を若き日に聴いたことだそうですが、伊福部氏に師事した石井氏は「シンフォニア・タプカーラ」を指揮者として2度録音しています。いずれも師の長寿を祝う記念音楽会という晴れの舞台での起用ですが、作品の雄大さを見事に捉えた名演でした。プロのオーケストラを指揮した最初のものが状態としては優れていますが、故芥川也寸志氏が創設しこの作品の改訂版を初演した新交響楽団を指揮した2度目のものも、プロアマ混成のオーケストラに対する巧みなリードが光る指揮ぶりが印象的でした。これが2002年5月の録音ですから、それから1年たたないうちに石井氏は病に倒れてしまわれたことになります。残念としかいいようがありませんが、今はご冥福を祈るしかありません。

 岩城宏之/オーケストラ・アンサンブル金沢が久しぶりに日本人作曲家の新作のCDを2枚出しました。グラモフォンから4枚のすばらしいアンソロジーを出して以来の待望の新譜です。今回は邦楽器をソロに用いた作品を集めた1枚を聴きました。
 笙を用いた権代敦彦の「愛の儀式 構造と技法」、和太鼓と能管を用いた猿谷紀郎の「ときじくの香の実」、尺八を用いた一柳慧の「音に還る 尺八とオーケストラのための」の3曲ですが、いずれも世界初録音というのが、初演魔と呼ばれる岩城ならではです。
 ライブ録音ですが録音は優秀で、ステージの音場を誇張なく収録しながらそれぞれに特徴のある邦楽器やオーケストラの各楽器の音色も鮮明に捉えられています。和太鼓と能管というスケールの全く異なる2種のソロ楽器をフィーチャーした「ときじくの香の実」も広い空間の中に正確にスケールの違いが描写されていて見事です。
 シデロイホスの響きに比べると、邦楽器はやはり楽器であり、オーケストラの響きとさほど異質ではありません。かつて伊福部昭が、オルガン以外のオーケストラの楽器はどれも起源を辿るとアジアのものであり、オーケストラを西洋の響きの具現とみなすのは必ずしも正しくないと述べていましたが、邦楽器が配置されることでオーケストラの響きのアジア的要素が引き出されてくるような局面が今回の3曲にも確かに感じられます。フランス音楽と同じく日本の音楽も響きの個性に特質の多くを負っていることと、録音の良さはそれゆえ重要な意味を持つことを再認識させるディスクです。
 オーケストラ・アンサンブル金沢は今回ワーナー・パイオニアと大規模な録音契約を結んだとのことで、今後が楽しみです。

 飯守泰次郎/東京シティPOのベートーヴェン全集と高関健/大阪センチュリーSOの同じく「4番」「6番」を入手して聴き始めています。ほぼ同じ時期(飯守のチクルスの方が1年早い)同じ日本で、現代楽器による小編成のオーケストラで、ベーレンライター校定譜を用いて行われたチクルスの実況という、多くの共通項を持つ録音なのですが、仕上がりはずいぶん異なります。演奏というものの面白いところです。
 飯守盤はまずドライでデッドな響きが第1印象です。東京文化会館の生の響きを僕は知りませんが、昔のトスカニーニの悪名高かった8Hスタジオを彷彿とさせる音で、ティンパニなど皮の音しかしていないように聞こえ、著しく筋張った音響です。
 対する高関盤は泉ホールの潤沢な響きが美しく、ティンパニも皮の音ではなく響き全体の色合いを変えながら膨れ上がってくるといった趣きです。演奏もそのホールを本拠としているだけあって響きのコントロールに注意を払い、テンポも飯守よりゆとりをもたせて旋律線をなめらかに紡ぎ上げて対照的です。

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