「鉄鎖のメデューサ」第10章

「私はおまえがどういうつもりなのか確かめにきた」

 食卓にかけた黒髪の尼僧にそういわれて正面に座ったロビンは思わず聞き返した。
「僕の、つもり?」

 ラルダと名乗る尼僧はうなづいた。とまどう少年の様子を緑の瞳で見つめながら。

「その妖魔が橋から落ちたとき、私はたまたまおまえの少し後ろにいた。けれど皆が走り出したとき、おまえは皆と違う道へ自信ありげに走り込んだ。それが目にとまったから私はおまえの後を追いかける気になった」

「川から助け上げたのが人間ではないと知った上で、なぜ自分の家に連れていったのか。人間でないとわかった時点で驚いて人を呼ぶのではないかと思ったのにおまえはそうしなかった。だからこの街に妖魔をつれ込んだ者の息がかかっているのかと疑って、そのまま見張っていた。けれど、おまえは誰も連れずに一人だけ戻ってきた。だから引き上げた時点で死んでいたのだと思った。だが、おまえはその翌日から酒場で妖魔についての話を皆に聞き出そうとし始めた。ずいぶん苦労していたようだったが」

 頬が熱くなったのをロビンは感じた。顔が赤くなったのに違いなかった。

「そんな日々がしばらく続いたあと、おまえは酒場に来なくなった。けれども仕事にはずっと出ていた。妖魔が家を出た様子もない。それだけの日々を共に暮らしているとすれば、私が不思議に思うのは当然だろう?」

 緑の瞳がロビンの背後の小柄な妖魔に移された。

「しかも名前をつけて、言葉まで教えて、今もそうしておまえの背後に隠れて私をうかがうほどおまえを頼りきっている。どんな魔法でここまで信頼させることができたのか知りたいくらいだ。仮におまえの方が死んだ姉の面影をクルルに見たのだとしても、それはクルルがおまえを信頼する理由にはなるまい?」

 ロビンの目を、ラルダの視線が真正面から捉えた。

「これほどの絆をいかにして築いた? そして、ここまで自分を頼る相手をおまえはどうするつもり? ロビン」

 黒髪の尼僧のその問いかけがクルルをこの家に連れてきたあの日のことを、困難な現実や重い日常にも消えることなくくすぶり続けていたあの思いをかきたてた。少年の鳶色の目もまた相手を真っ向から見据えた。

「……ここへ連れてきた日、林檎を1つあげたんだ。そしたらクルルがとっても哀しそうに鳴いたんだ。クルルルルって。それを聞いたら自分のいたところへ帰りたいんだってわかった。だからクルルって呼んだんだ。そしたらクルルも声を返してくれたからなんだか気持ちで通じたんだ。
 僕はクルルを故郷に帰してあげたい! どこか遠い、いっぱい林檎が実る大きな森に!」

 ラルダのまなざしがやわらいだ。黒髪の尼僧はさきほど顔から外したのっぺりした仮面を手に取った。

「目を開けただけのこの仮面には二つの意味が込められている。着ける者には己の目で本質を見ることを求め、外からのまなざしにも外見に惑わされず真実を見極めることを求める。こんな何もない形をしているのはそういう意味。
 はからずもおまえは仮面の導きに近い形でこの者の魂に触れることができた。だからおまえたちは思いを乗せた声を介し、絆を結ぶことができた」

「あなたはどうしてクルルを故郷に帰すべきだと思うの?」

 問いかけるロビンに目をやったラルダの顔にあの厳粛な表情が戻ってきた。

「いささか長くなるが、話しておいたほうがいいだろう」
 姿勢を正した尼僧の緑の瞳が、どこか遠くへと向けられた。


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