「鉄鎖のメデューサ」第24章

「やめて! お父様っ。クルルも! その人はお父様よっ」

 叫ぶセシリアにノースグリーン卿が視線を移した。小柄な妖魔もまばたきした。大きな人間から金色の目を離さないながらも、眼点のある触手がいっせいに背後の少女をうかがった。

「お父様がその子を連れてきたんでしょう? だったらなぜ脅かすの? せっかく友達になってくれたのに……」

 予想もしなかった言葉に、卿は目をむいた。
「……友達だと?」
「名前を呼んでくれたのよ。寄り添ってくれていたのよ。なのになぜ乱暴するの? そのうえ化け物だなんてっ」

 涙目でいい募る娘の言葉に長身のナイトはうろたえた。火掻き棒を取り落としたことにも気づかず卿は頭を抱えた。そんな卿の姿に、小柄な妖魔が再びまばたきした。広がった触手がしだいに下がっていった。

「……ばかな、私はおまえの病気を治したくて……」
「私の病気を? どういうことなの? お父様!」

 そのとき、開いたままの戸口から駆け込んできた少年が、卿の脇をすり抜けて緑の鱗に包まれた小さな怪物に駆け寄った。
「クルル!」
「ろびん!」
 少年は胸に跳び込んだ妖魔を抱きしめ、妖魔は短かすぎる腕の代わりに触手の束を滑らせ喉を鳴らした。眼前で繰り広げられる小さな人間とメデューサの姿にノースグリーン卿は呆然自失するばかりだった。

 そんな自分の脇を通り抜けて娘に歩み寄る黒髪の尼僧の姿に、ようやく卿は我に返った。
「さては、さてはあなたがメデューサを逃がしたのかっ」

「私は今出してもらったばかりだ。邸内の何者かの仕業だろう。お嬢さん、失礼」
 肩越しに答えながら、ラルダはセシリアの前に立つと手慣れた手つきでまぶたの裏と口の中を改めた。ノースグリーン卿を振り返った顔は険しく、だが決意に満ちていた。

「ハイカブトだ、間違いない。メデューサの血は役にたたない。猛毒を扱う者は解毒の備えもするものだ。いったん脱出するが、必ずお嬢さんを助けに戻る」
「……ばかな、そんなことが信じられるか!」
「言い争う暇はないんだ。警備隊が近づいている。メデューサがいるところに踏み込まれたら動かぬ証拠だ。それではお嬢さんを助けることなどできなくなる。ここは無理にでも信じてくれ」

 正門の前に集まってきた蹄の音に長身のナイトは唇を噛んだ。
「裏に馬を引いたですよっ。早く!」
 廊下からアンソニーが急かした。

「ノースグリーン。いくら尋問されてもメデューサがいたことは認めるな! おそらくはあなたを罪人にするのが敵の狙いだ」
 人間とメデューサの子供たちを先に廊下へ押しやる黒髪の尼僧の緑の瞳が、卿の黒い瞳をまっすぐ見上げた。いい返そうとした卿の耳に、舌足らずな声が聞こえた。

「せしりあ……」

 小さな怪物がセシリアを見ていた。石化の魔力を秘めた視線をたどるように、少年も痩せ衰えた少女を見つめていた。彼らの悲しそうなまなざしの先で、やつれた少女はただ涙を流していた。動かぬ手では拭うことも出来ぬまま、震える唇では一言さえ紡ぐことのできぬまま。

 セシリアを悲しませてしまった? 私が?
 ただ守ろうとしただけのはずだったのに?

 その思いに打ちのめされたノースグリーン卿の耳に、去りゆく者たちの足音がいつまでもこだまを引いていた。

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 邸宅から出てきた一行の姿を、屋根の上から見張る者がいた。召使の身なりをしていたが、気配を殺して屋根に伏せたその姿はただ者のはずがないものだった。

「……早すぎる」

 待機していたスノーレンジャーたちの助けを借りて一行が塀の向こうに姿を消したのを見届けると、男もまた屋根から木を伝い追跡を始めた。

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「あの女の人、メデューサの血がどうとかいっていたでしょう。どういうこと? まさかあの子を殺すために連れてきたの?」

 答えられずにいる父親に、やつれ果てた娘は訴えた。

「そんなのいや! お父様はそんなひどい事しないって、嘘だといって!」

「……あれは化け物なんだ」
「化け物なんかじゃない! やさしい友達よ!」
「私を石にしようとしたんだぞ! 危険で恐ろしい怪物なんだ。殺して何が悪い!」
 思わず声を荒げたノースグリーン卿の言葉にセシリアはうつむいた。ややあって、か細い、震える声がいった。

「あの子を殺してまで、もう生きていなくてもいい……」
「馬鹿をいうなっ!」
 ついに卿は激昂した。

「あれをつかまえるのに皆がどれだけ苦労したと思う? みんなおまえを救うためなんだぞ! なにがなんでも死なせるものか。絶対に助けてみせる! そのためならメデューサの血だろうと何だろうと」
「なるほど、それであなたはあれをスノーフィールドに持ち込んだのか」

 突然聞こえた若い男の声に長身のナイトは色を失った。背後にゆっくりと向けられた凍りついた顔を、青い目が見据えた。

「詳しい話をうかがおう。ノースグリーン卿」
 ロッド・ホワイトクリフ卿がいった。


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