見出し画像

ミッドサマー


物凄くネタバレをしておりますのでまだ観ていない方は読まない方がよいです






これ、めちゃくちゃウィッカーマン(1973年)に似ていましたね

厳格なキリスト教徒である刑事が事件捜査の為に訪れたスコットランドの離島にはケルト土着の地母神信仰が根付いており、主人公はそれらに巻き込まれていく……という話

この地母神信仰というのは、簡単に言えば女性が力を持つ母権性主義の事です
子を生む力のある女性崇拝であるこの信仰は家父長制であるキリスト教からは都合が悪く、脅威だとされ駆逐されていった過去があります


ミッドサマーでの夏至祭も、ウィッカーマンのようなキリスト教以前に行われていた儀式を基にしています


主人公のダニーは精神疾患のある家族に振り回され、不安定な状態である事が多く
そんなダニーを面倒に思い別れたいと思いながらも中々実行出来ずにいる恋人のクリスチャンとその友達マーク、ジョシュ、ペレの5人を軸として物語が進んでいきます

ダニーはある日、家族3人を同時に失うというあまりにも辛い経験をします
クリスチャンはダニーを支える為ますます彼女から離れられなくなります

ダニーがクリスチャンにしがみつき泣き叫んでいる場面が酷く印象に残っています
彼のあの絶望を宿した表情はきっと「もう俺はダニーから逃れられない」という意味が込められていると思います


ダニーから離れたくても離れられないクリスチャンは以前から友達と計画していたフィンランドの旅行にダニーを誘いますが、友達は不満気でした
何故ならダニーは面倒くさい女だから
家族が亡くなる前から何かあればクリスチャンに頼り幾度となく「男同士の友情を邪魔してきた」メンタルの弱い女だから、です


私はダニーをどうしても他人だとは思えず、自らの過去の恋愛を重ねて観てしまい泣きそうになりました


そのような状況、関係性の5人がフィンランドに向けて旅立ちます
途中、ダニーは飛行機の中で悲しみを我慢できずトイレに駆け込みます
が、その感情を誰かに見せる事はありませんでした
みんなの前では常に気丈に振る舞い、自分は大丈夫だと言い聞かせていたのです


着いた先はクリスチャンの友達ペレの地元であるフィンランドのホルガ
ここでは先程も書いた通り、様々な変わった儀式が行われている小さなコミューンでした
そこに住む人々は命は繰り返すと信じ、ホルガの為自ら命を差し出す風習や性的なおまじない等、現代を生きるダニー達には理解しえない生活を送っていました


この映画はあらゆる場面でドラッグが出てきます
ホルガに着いた時もみんなドラッグをキメます
確かダニーはマジックマッシュルームだったような気がします
後の4人は何をキメたかわかりませんが、バッドトリップしていたのは少し笑ってしまいました
あんなにノリノリでキメてたクリスチャンの友達マークも参ってましたよね

ドラッグが効いている時は、どかが歪んでいたり手に草が生えていたり
とにかく私達観客にわかりやすく表現されていました


ホルガでは仲間が1人、また1人と減っていきます
決定的なシーンはありませんでしたが、きっと惨たらしい最期を迎えたのだと思います
内臓を抜かれた体は本当にあのようになるのでしょうか?

最終的にはダニーとクリスチャンの2人になってしまいます
ダンスバトルで晴れて女王となったダニーはコミューンから少し離れた場所で豊作祈願のような儀式に参加します


儀式を終え戻ってきたダニーはすぐにコミューンの異変を察知するのですが…

彼女が見た物は自分を裏切り他の女と性行為に及ぶクリスチャンの姿でした(私はこのシーンのあの状況に爆笑しそうになりました)
信じられない、信じたくない光景を目にした彼女は泣き叫び狂いますが
ホルガの人々(女性)はそれに同調し、ダニーと一緒に泣き叫ぶのです

人間は傷つき辛い思いをすると孤独を感じ、自らを追い込んでしまう生き物だと思います
そしてその孤独の中で「理解してくれる人」を待っていたり
「受け入れてくれる人」を探したりしていたり…


最後のシーンのダニーの笑顔は「受け入れられた」と心の底から感じたからこその物ではないでしょうか
思えば、彼女の周りで彼女に理解を示したのはペレ1人だけでした
そしてそんな彼女も、感情を表に出したのは家族を亡くした時頼ったクリスチャン以外ではペレしかいなかったように思います(クリスチャンの家でペレの両親の話を聞いた時の事です)

彼女は最初からホルガに受け入れられ、ホルガを受け入れていたのです


4年もの間、ダニーはクリスチャンに依存した生活を送っていましたがきっとクリスチャンは1度だってダニーを理解し受け入れた事などなかったでしょう
それはクリスチャンの自己中心的な性格から見てよくわかると思います

この1年(クリスチャンがダニーと別れたいと思っていた期間)自分をぞんざいに扱ってきた男など、本当の居場所であり家族を見つけた女王には不必要な物でしかありません
彼女は最終的にクリスチャンを排除します
浮気をしたというのは単なる引き金に過ぎないでしょう
過去の事柄も踏まえての選択だったと思います


ウィッカーマンは70年代のフェミニズム運動とネオペイガニズムへの脅威を描いた作品でもありますが、ミッドサマーの結末はその反対だと思われます
キリスト教徒の申し子であるクリスチャン(きっとこの名前にしたのはそういう意味だと思います)は女性崇拝の象徴であるダニーの選択により生きたまま燃やされるのですから
ある意味、キリスト教(家父長制)からの支配の終わりを表現しているのではないかと思いました

私この映画
ずっと嫌な気持ちで観ていました
最初は色合いの暗いシーンが多かったのに、ホルガに着いた途端スイッチが入れ替わったように全てが明るくなるのです
色だけでなくホルガの人々もとにかく明るい
そんな雰囲気の中でとんでもない儀式を行うのですから、気味が悪くないわけがありません


先程も言いましたがダニーはやっと自分を肯定してくれる家族と居場所を見つけたのですが、きっとこの後彼女を待つのはまた違う恐怖だと思うのです
何となくですが、あの衣装と絵でそういうのを示唆していたような気が…(勘違いだったらすみません、まだ一回しか観てないので…)
他の女王が存在していなかったのもそういう事なのではないでしょうか


もしそうなら、何て悲しい物語なんでしょう
出来れば72歳のあの儀式まで生きて欲しいと願わずにはいられません(あの儀式の存在自体もどうかと思いますが…)

しかし一番気味が悪いと感じたのは、この「気味が悪い」と感じる気持ちがどこから来たのかという事実に気付いた時でした
「普通」という型に嵌められ、私達は日々生活しています
「普通」から逸脱すればダニーのように面倒くさい奴だ、と
もっと酷い場合は頭がおかしい、狂っていると後ろ指を刺され「社会」からはじき出されてしまいます
それこそダニーの家族のように


さて、この「普通」とはどこから来たのでしょう
この「普通」の「社会」を作り上げたのは一体誰で、何なのか
この後ダニーを襲うかもしれない「恐怖」を「怖い」と感じるのは何故なのか
この正体に気付いた時、私はこの映画の真の恐ろしさを思い知ったのです


ですがアリ・アスター監督はこの映画を「ラブストーリー」だと仰っていました
正直観る前は少し疑っていたのですが、観て納得
物凄くきちんとした恋愛物でしたよ
どうやら監督ご本人が恋人と別れた時に作られた映画だそうです
前作のヘレディタリーも家族に問題が生じていた時に作ったと仰っていたので、身を削って作品を生み出すタイプの天才なのだと思います

家族に問題を抱え、一度でも愛した人との別れを経験した事のある人ならわかりますよね
それらを何かの形にするのはとてもじゃないけど、かなりしんどい作業です
けれどそのしんどさを見事作品に落とし込み、人々を不安のどん底に突き落としているのですからやはり彼は只者ではないでしょう
ミッドサマー、とても面白い映画でした

かなり気が早いですが、彼の次回作が非常に楽しみです


皆さんも是非、劇場でご覧下さい




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?