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悲しみはひとりで克服することはできないと知った。だから誰かと生きることをやめられない。
「ねえ、一緒に私と鹿児島へ、ともだちに手を合わせに行かない?」
元彼氏に送ったLINEは今も既読がつかないままだ。
12月初旬、免許更新だ、とか、仕事の視察だ、とか、様々な理由を重ね合わせて、わたしは生まれ故郷である鹿児島県に帰ってきた。でも、それらの理由がなくたって、1年前から、わたしが帰ってくることは決まっていた。そうしようと、ずっと思っていた。
その日、家の近所まで大学時代の友人が車で迎えに来てくれた。運転席に座る彼は、1年前よりさらに逞しく見えた。学生のときからの夢を叶えて、今は鹿児島で働いている。
「今日さ、仕事の制服持ってきたがよ。見せようと思って」
そんな、張り切ってわたしに制服姿なんて見せなくていいよ、と笑おうとして、「ああ、そういうことか」と合点がいった。友人は今日、わたしに会うために迎えに来てくれたわけではなく、そして、わたしも友人に会うために鹿児島へ帰ってきたわけではないのだ。
車は、バイパスを走り、南へ下り、景色は茶畑・田んぼへと変わっていった。
約束の時間よりだいぶん早く到着したので、枕崎でカツオラーメンを食べて、頴娃の釜蓋神社にお参りに行き、普通に鹿児島観光を楽しんだ。何てことない休日のようだった。この日を、緊張と不安で待っていたのに、昨晩はぐらぐらの状態だったのに、驚くほど気持ちは静かだった。
じゃあ、そろそろ、ということで、花屋に立ち寄った。
色とりどりの花々にざっと目を通して、それから、迷わずひまわりの花を手にとった。
「ヒマワリの約束」が頭の中に、懐かしい声で流れていた。
綺麗に花束になったひまわりをそっと抱え込んで、車に戻ると、いつの間にか友人が制服に着替えていた。大人になったんだな、ともう24歳なんだから当然なんだけど、当然なんだけどそう改めて思った。「似合っているじゃん」と茶化すと、照れ笑いを浮かべていた。
迷わず車はひとつの家に到着した。中から、懐かしい顔が迎えてくださる。「おひさしぶりです」という言葉と一緒に、やっと緊張が体に広がっていく。玄関には立派なツリーが飾られていて、それを横目に、おそるおそる部屋の中へと招かれた。
相変わらず几帳面な顔のともだちの写真が、仏壇に飾られていた。
直視するのに、数分の迷いが生じた。線香をあげて、手を合わせた。何を思えばいいのだろう。この1年、飽きるくらい毎晩毎晩、彼のことを考えていて、いざ対峙するともうただ涙が溢れるだけだ。
彼のお母さんにその涙を見せるのが、何だか許せない気がして、それが収まるまでじっと、几帳面な顔を見つめた。
部屋には、大学のとき、よく通った彼の部屋にあったものがちらちらと飾られていた。23歳の誕生日にわたしがプレゼントしたR2-D2のフィギュア、たくさんある中から好んで使っていたマグカップ、それが欲しいがためにわざわざマックへ行ってもらったコカ・コーラのグラス、卒業旅行で行った陶芸体験で一緒に作ったお茶碗。懐かしいなあ、と思わず顔がほころぶ。
「携帯の中にあった写真の、ご飯のやつをね、プリントしてアルバムにまとめているんです」そうやって見せてもらったアルバムは、本当にご飯やケーキやお菓子の写真ばっかりだった。ところどころ付箋が貼られている。「お友達が来てくれたとき、知っているものは教えてもらって、こうやって記録で残していて・・・」
「あ、これ、わたしと行ったやつですよ」記憶の糸を手繰り寄せる。「バイト帰りに合流して、ほら、ちょっと写っているこのボーダーの服、わたしのバイト着。ここカレーがすごく美味しくて」お母さんが付箋を取り出して、わたしがつらつらと話し出した思い出から、キーワードを拾って書き記していった。
「彼氏に怒られちゃうから、秘密で二人で行って。いや、行かなきゃいいじゃんって言われるかもだけど、よくふたりでご飯食べに行っていたなあ」
「これは後輩の女の子が就職祝いで買ってきてくれたケーキです。学校のそばにあるケーキ屋さんのやつ。彼の誕生日ケーキもここで購入したやつですよ」
「この焼肉は赤坂にあるお店。ゼミの教授のお気に入りで、よく、お祝いなんかはここへ行っていました」
「カラオケ、この日は珍しく天神で行って、そのあと教授がケンタッキーおごってくれたんです。そのまま二軒目にバーに行って、ここのおとうしのバーニャカウダー、食べ放題なんだよな。そこのお店に前連れてってくれたのが前に好きだった男性で、それでわたしの過去の恋愛話とかしたっけ」
「あ。これはゼミの先輩を囲んで、炭火焼のお店に行ったとき。薬院にあるお店で、先輩のおすすめだったんです」
「教授が、六花亭のバターサンドが好きで、それで北海道物産展にふたりで行って、でも売り切れていて。研究室にありませんでした、って報告しに行ったらひとつずつ分けてくれたんです。そのとき、ロイズのチョコレートも買ったな」
思い出していないだけで、確かにあった思い出が、確かにあった時間がぶわっと溢れ出した。お母さんの手が追いつかないくらいに、わたしは彼と食べたご飯の話を喋り続けた。同じバイト先に食事に行って料理長が作ってくれた特製デザート、「スーパーサイズミー」を観ながら食べたマックのハンバーガー、カラオケルームで注文した安くてうまいピザ、翌日にわざわざ長文で味の感想を送ってくれた手作りのバレンタインプレゼント。彼の誕生日のために用意したホールケーキの写真は、当然ながら2枚しかなかった。
楽しかった。彼のお母さんが聞かせてくれたこどもの頃のエピソードにほっこりし、そのお返しのように話して聞かせた大学時代の思い出話に、喋りならが笑顔が止まらなかった。
本当に大好きなともだちだった。彼といる時間は、ゆるやかで、正直で、永遠に変わらないものだと思っていた。
本当に大好きだったんだよ、とこころの中で何度も繰り返した。1年間、固く重く鈍くなっていたこころが少しずつ溶けていくような思いで。
彼のお母さんは、運命のようなタイミングで、彼の夢を見るらしい。帰りの車内、「寝ちょってええよ」という友人の言葉に甘えて、浅い眠りについた。夢は見なかった。
1年間、365日、3日坊主の自分が驚くくらいに毎日思い出すのは彼のことばっかりだった。悲しくて辛くて、一時は、自分も駄目になってしまった、彼に会いたいという気持ちに囚われて、生きた心地がしない時期も過ごした。
幸せそうな写真を見返しても、募るのは後悔ばかり。
でも、いま、わたしは大学卒業したての頃に感じていたように、わたしの大学生活はまさに青春の輝きに溢れた幸福なものだったと胸を張って言える。
大学生活を思い返して「楽しかったなあ」と純粋に懐かしめる。
彼のことを思って毎晩胸が痛むこともなくなった。彼のことを考えない日もできた。
それは、あの日、彼の家を訪ねて、お母さんと友人と、たくさんの言葉を交わし、確かめ合ったからこそだと思う。
わたしは地元を離れ、多くの友人と距離があり、恋人とも別れていたので、彼との思い出や、彼に対する気持ちを他者と共有する時間がほとんどなかった。どうにかそれらは自分で丸め込んだり、文字にして吐き出したりして、なんとか折り合いをつけているように見せかけていた。
でも見せかけで、だからこそ、時間が全く癒しになってはくれなかった。
彼のことをよく知る人物と、しっかりと彼との思い出を振り返って、いかに彼が素晴らしい人であったか語る機会こそ、わたしの気持ちを整理するに必要なものだった。
わたしはお母さんに言った。
「大学4年の頃、わたしはセキュリティがひどい物件に住んでいて、そうしたら、彼、心配だから自分の部屋と交換しようとか言い出したんですよ」
お母さんはわたしに言った。
「あの子は、ともだちが壊れた傘を持っていたら、自分の綺麗な傘と交換しよう、となんの勘定もなく提案できる子だったのよ」
わたしたちは笑い合った。「馬鹿みたいに優しんだから」って。
彼はもういなくたって、いま、わたしたちを笑顔に変えてくれているのは、確かに彼の力だった。
一人で考え悶えているときにはできなかった思い出の振り返り方が、時間が経ってしまったけれど、だいぶ遠回りしてしまったけど、やっとできた。
いまはすごく気持ちが楽で、彼のことを思い出してはほっこりする。
完治はしないだろう、なにかの拍子に、また悲しみに巻き込まれることも覚悟している。でも、それもいい。きっとその度に、これからのわたしはただ蹲るだけではなく、きっとその先を考えられる。彼の存在が自分にたくさんの素晴らしい時間を与えてくれたように、いま笑顔にしてくれるように、そこからもなにか与えられているんだと探せるはずだ。
誰かを大事に思うことで、傷つくこともたくさんある。でも救ってくれるのもまた、人で、だから今日もわたしは誰かと生きることをやめられない。
サポートしてくださったお金は日ごろわたしに優しくしてくださっている方への恩返しにつかいます。あとたまにお菓子買います。ありがとうございます!