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続・不妊治療終了後の人間関係

前回、子どもがいる主婦たちの中で居場所がないことについて書いた。
その続きを。

先日こちらで引用させてもらった海外の本にこう記されていた。

子どものいる女性同士の間に特殊な連帯感があることに気づきます。母親には会員バッジが与えられ、子どものいない女性にバッジがないことが一目瞭然なのです。
子どものいない女性の多くは、子どもがいる女性、特に小さな子どもがいる女性と友達になったり、ずっと友達でいることが難しいといいます。その一因として、子どもがいると、普通の大人の会話を続けるのが難しい、特に電話では難しいし、また共通の関心事や話題を見つけるのが難しいということが挙げられます。

「産まない女」として生きるあなたへ

そして、グサッとくる一言も。

ある女性は冗談めかしてこういいました。「彼女たちはわたしの猫の話を聞きたくないし、わたしは彼女たちの子どもの話を聞きたくないのよ」

痛い。実際この通りだと思う。
こちらの本は全編通して内容がリアルで自分の心境と重なる部分が多く、号泣することしばしば。
一方で、自分と同じ感覚の人がいることに安心もする。

プライベートでは

子どもがいないことで居場所がないという気持ちを抱えるようになってからも、一人だけ仲良くしている友達がいる。
高校からなので、もう32年の付き合い。
彼女には18歳と15歳の女の子がいる。小さい頃から一緒に遊びに行ったりしていたので、子育ての話を聞くことにはそんなに抵抗がない。

彼女は独特な感性の持ち主で周りの人とひと味違っておもしろいため、いまだによく遊ぶ。
私が不妊治療をしていたこともうまくいかなかったことも、全部知っている。気持ちを受け止めてくれて、決して余計なことは言わないので信頼できる相手だ。

しかし、その子以外とは年々関わりがなくなっている。

疎遠になる友達

今もたまに会う幼なじみがいて、いまだに誕生日プレゼントを贈り合っている。
しかし先日、久々に再会した時に引っかかる発言が多く、帰宅後ひどく落ち込んだ。

彼女も不妊治療の経験があり、長年かかって数年前に無事出産。当時はずっと苦労を見ていたので心から喜んだ。
その数年後に私は結婚したが、40歳を過ぎていたのでなかなか子どもができず、彼女が通っていたクリニックを紹介してもらった。相談にも乗ってもらっていたので、治療をあきらめた時にはLINEで伝えた。すると「報告ありがとう」とたった一言。
違和感ありつつも、そのまま時は流れる。

そして先日。
久々に会ったというのに彼女の愚痴を吐き出す場に。
・子どもがいることで自分の時間が削られる
・旦那さんが子ども関係の用事を何もしないので、自分だけが犠牲になっている
・ママ友との人間関係が面倒
などなど。
はじめはきちんと返事していたけど、これが延々続くため疲労困憊。

ランチ中ずーっと続くので話を止めたくて、私の愚痴を放り込んでみる。
職場の昼休みに子どもの話を聞くのがつらい件を、子どもがいる人に向かって。しかしノーコメントで自分の話に戻される。回りくどかったか。
その後もストレートに伝えることはできなかった。

少なくとも不妊治療中は同じように悔しい思いをしたはずなのに…もう立ち直ったと思われている?など、心の中でモヤモヤが膨らむ。
彼女のことをデリカシーがないと思う私は自己中なのだろうか。

もうひとつ、数年前にも引っかかる出来事があった。
その日は子どもを連れてきて一緒に遊びに行ったのだが、たまたま彼女のママ友とその子どもに遭遇。
その場で盛り上がり始め、しばらく黙って横にいたけれど「何?この時間」と思い、その場を離れて待機。結果30分ほど放置された。
その頃は今より精神状態が落ち着いていたのでぐっと堪えて過ごせたが、今思えばきついシチュエーションだった。

この数年越しの2つの出来事からしばらく会うのを控えることに決めた。まだまだ子どもは小さい。愚痴は続くであろう。
小学校からの付き合いなのにこんなことになるとは…残念。仕方ないな。

自分自身へ

過ぎたことを引きずり、そのことを繰り返し考えてモヤモヤする時間を別のことにあてたい。自分で自分をしんどい方に持っていってるのがわかる。

普段あまり思っていることを言わない夫からも、
「何でも真正面から受け止めすぎ。流せ流せ!」
と言われた。
昔から母にも同じようなことを言われている。
学べ、私。

細かいことを気にしすぎず、終わったことをぐるぐる考えなければ、今より心穏やかに過ごせる。
目指すはそこ。
長年染みついた考え方や習慣をなおすのは難しいけれど、心の健康を保つために少しずつやってゆきたい。

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