持ちつ持たれつの世界
持ちつ持たれつの世界が
ギュッと
小さかった頃はある意味しんどかったなぁ…と思う。
顔を出してくれたから
こっちも顔をだしにいく。
顔を出しに行って
顔を知ってもらって、繋いで、
こっちにも参加してもらったり。
それは楽しいっちゃぁ楽しくて
だからこそ繋がっていくし拡がっていくんだとも思う。
ただ自分が動かないと
動いていかないという一面を持つ世界だったりもする。
その小さな世界を手放してみると
もちろんそこにあったはずの繋がりは無くなるんだけれども
一方で解放される部分もあるわけだ。
「顔を出さないと来てはくれない」
つまりはそんな価値しか自分にはなかったんだなぁ。
その人たちには自分に対してそんなものだったんだなぁ。
と知ると
それはそれは寂しいわけで(笑)
その寂しさは一方で
攻撃したい衝動にも駆られたりもするわけだが(笑)
よく考えてみると。
そんなもんでしかない人に
しかたなく来てもらうなんて
そんな店であるっていうのは
いかがなものか?って思うわけですよ(笑)
そんなね、
顔をつないで
仕方なく来てもらうような
そんなお店にしちゃってるのは誰なのよね?(笑)
でもね
そんなお店でも
顔が繋がっていなくとも来てくれるお客さんは
たくさんいるわけなのですよ。
ってことはさ、
自然とそのお客さんに対して
感謝が生まれちゃったりもするんだよね。
どっちを大事にするか?
どっちを大切にしていくか?
なにを丁寧にしていくのがいいのか?
ってつまり
こんな感じなんだと思うわけですよ。
んで、
そうは気づいてもね
寂しい思いっていうのはね
「こんなことして・・・」って
攻撃性を生んだりもしてたんだけどさ。
こうやっていろいろと書き込んでみるとさ
ああ~
あの人こんなことやってんのね~って
ただ見ること
客観視、っていうかさすこし離れた感じで見ることが
いつの間にか出来るようになっていたな~って
書いてて感じる(笑)
そうやってみると。
本当に行きたいと思うお店とかイベントって
そんなにないことにも気づいたりもするんだよね。
おしゃれだなぁとは思っても
行きたい!
って思うまでの感じにはならないわけだ(笑)
自分たちの生き方として
ますます行きたいところがはっきりするし
持ちつ持たれつの世界小さなギュッとした世界から
ぐわ~んと
でっかい世界に拡がっているわけだから
自由度はものすごく増しているわけ。
そうやって考えてみても
わざわざね
足を運んでくれるお客さんが
毎日のように来るお店が
いま、ここに在って
自分達もここに在るわけだから
ありがたいな~
って実感が
ホントにじわじわじわわ~っと
してくる感じ?(笑)
どう生きるか?
どう在るか?は
選んでそうしているわけだからさ。
それはまぁ
人それぞれ。
どっちでもいいんだけどね~(笑)
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