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ぼくのかんがえたさいきょうのサントラ ~仮想ゲームサントラとは何か?~

こんにちは。同人音楽サークルkaguyadepth(カグヤデプス)代表の萌尽狼(もえつきろ)です。

2021年7月4日に『ウンディーネ(仮想ゲームサントラ)』というシューティングゲーム風の新作CDを頒布開始予定です。

そこで今回は、これまでの音楽活動を振り返り「仮想ゲームサントラとは何か?」について語り尽くします。

ぼくのかんがえたさいきょうのサントラ

仮想ゲームサントラは、いうなれば「ぼくのかんがえたさいきょうのサントラ」です。

シューティングゲームだったら、ステージBGMとボスBGMが、ステージの数だけ繰り返しあって、ステージクリアのファンファーレや、ストーリーを盛り上げるオープニングやエンディングがあるとなおいいですよね。

RPGだったらイベントシーンがあって街があってフィールド画面があって、通常バトルがあってダンジョンがあってボスバトルがあって、笑いあり涙ありのストーリーが展開していくわけですよね。

対戦格闘ゲームだったらキャラクターセレクトがあって、キャラクターの数だけテーマ曲とエンディングがありますよね。
世界中から猛者が集まるから国際色豊かな曲調になりますよね。

そういった「想定するゲーム」にあってさえすれば、既存の楽曲の寄せ集めでも仮想ゲームサントラは成立します。
なにもすべてがオリジナル曲である必要はないのです。

ただし個人で楽しむうちはそれでもいいのですが、作品として世の中に発表するならなるべくオリジナル曲のほうがいいですよね。

架空のゲームを想像しながら聴く音楽

そして仮想ゲームサントラというのは「架空のゲームを想像しながら聴く音楽」です。

ゲーム音楽史研究家の田中“hally”治久さんによれば、1986年6月21日発売のカセットテープ『ファミコン必勝攻略サウンド』がおそらく初めての「架空のゲームを想像しながら聴く音楽」なのだそう。

そもそも日本初のゲームサントラで細野晴臣プロデュースの『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年4月25日発売)はプレイ中の効果音入りであり、当時はこれを聴いてイメージトレーニングしたり、サントラと同じタイミングで効果音が鳴るようにプレイした人がいたそうですから、ゲーム音楽はもともと「ゲームを想像しながら聴く音楽」なのかもしれません。

ゲームを知っている人は音楽を聴きながらゲームを思い出し、ゲームを知らない人は曲調や音色からどんなゲームなのか想像して楽しむことができます。

私も知らないゲームの音楽をたくさん聴いて育ちました。

ゲームづくりはかんたんじゃないけど音楽だけなら

スーパーファミコンの『RPGツクール』や『デザエモン』あたりからゲームを作る遊びというのが一般にも広まっていきましたが、なんとなくゲームの形になっているだけでなく、誰もが面白いと思えるゲームを作ることはかんたんなことではありませんね。

スーパーファミコンはコンポジット出力とRF出力が同時に利用できましたから、片方のモニターを90度倒して『デザエモン』でオリジナルの横スクロールシューティングゲームを作ろうとしていたこともありましたが、ドット絵を起こすためのイラストを描いたり、ストーリー設定をふくらませた小説を書いたりする方にハマってしまって、結局タイトル画面すら完成させられなかったんじゃないかな。

その小説には後で曲を付けて、その頃にはセガサターンの『デザエモン2』やプレイステーションの『デザエモンKids!』、Windowsの『シューティングツクール95』など横スクロールシューティングゲームを作れるソフトも出揃っていたんだけど、ゲームサウンドクリエイターになりたくて上京したあとだったので、すっかりゲーム音楽を作ることに夢中でサンプルゲームで遊ぶだけでした。

ゲームを作ることはかんたんじゃないから仮想ゲームサントラを作っている側面はあるのかもしれません。

思い描いたゲームを伝える難しさ

音楽CDをバラすとケースをのぞいて、レーベル、ジャケット、インレイ、キャップの4つのパーツに分けられます。

今でこそジャケットさえあれば音楽配信できますが、音楽CDは意外と印刷物が多いのです。
その印刷物にはタイトルや曲名以外の情報を入れることができます。

仮想ゲームサントラの場合、CDがゲーム音楽的であれば、それだけで作品としては成立しているので「想定するゲーム」に関する説明は必須ではありません。

最低限「RPG風」とか「シューティングゲーム風」といったジャンルがわかれば、あとはジャケットイラストからどんなゲームか想像をふくらませていくことができるでしょう。

このRPGやシューティングゲームというのは過去に流行ったジャンルでゲーム画面もある程度共通しているので、ゲームを遊んだことがある人どうしならジャンルだけである程度の意思疎通を図ることができますが、マイナーなジャンルや複雑なゲームシステムは仮想ゲームサントラでは伝えることが難しいです。

なので仮想ゲームサントラは類型的なジャンルで作ることが多いのです。

音楽はオリジナルだけど二次創作?

私はこれまで「想定するゲーム」は二次創作だけどCDはほぼオリジナル曲という仮想ゲームサントラを作ることが多かったのですが、創作オンリー同人即売会のコミティアに出るようになると「想定するゲーム」をどのくらいCDに盛り込むかで頒布できるかできないかが変わってきてしまうことに気づいたのです。

たとえば二次創作が部分的(ジャケットだけとか、CDの半分未満とか)なら「二次創作が含まれています」と注意書きをすれば頒布可能ですが、CDが全曲オリジナルでも「想定するゲーム」が二次創作の場合は作品全体が二次創作とみなされ、コミティアで頒布することができなくなるというジレンマがあります。

今作はもともと二次創作としてスタートしましたが、CDに付帯するジャケットやストーリーは完全にオリジナルとして独立させました。
元の二次創作部分はわかる人にだけ楽しんでもらえればいいかなと思っています。

音色の魔力

私はゲームボーイ音源で15年以上曲を作ってきた弊害で直感的に思い描いた曲をまとめられるのがゲームボーイ音源になってしまいました。

ところが今作は元ネタがFM音源だったのでFM音源を避けて通るわけにはいきません。

最初からFM音源で作れればよかったんでしょうが、しばらくFM音源で作ってなかったのでFM音源で作ろうと思ったら手が止まってしまいまして。
これではいけないということでまずはゲームボーイ音源で作って、それからFM音源にアレンジすることにしました。

このように「想定するゲーム」には音色が紐付いていて、その魔力が絶大ということもあるのです。

ゲームボーイ音源の場合よく言われるのが「ポケモンっぽい」とか「ロックマンっぽい」という感想ですね。
これも音色の魔力です。

作ったものがポケモン風やロックマン風の仮想ゲームサントラだったら好印象なのですが、困ったものです。

ボタン数が合わない問題

ゲームボーイはファミコンやPCエンジンと同じ十字ボタン、A・Bボタン、スタート・セレクトボタンの5ボタンです。

なのでゲームボーイ音源の曲を聴いた人はゲームボーイで操作できるゲームを思い浮かべます。

ところが仮想ゲームサントラが「想定するゲーム」が複雑で、6ボタン以上使うゲームだったらどうでしょう?

ゲームボーイなのにボタン数が合わないから操作できないじゃないか! と考える人も出てきてしまうのです。
これも音色の魔力です。

スーパーファミコンのゲームを想定しているのであれば、スーパーファミコン音源で作ったほうが齟齬が生じにくいのですが、ファミコンやゲームボーイの音源で作りたいことだってあるんですよね。

個人が1枚から音楽CDを作れる時代

M3が初めて開催された1998年頃の出来事といえば、CD-Rドライブ・メディアの低価格化と、音声圧縮フォーマットMP3の普及でしょう。

パソコンの音楽機能が強化され、個人が1枚から音楽CDを作れるようになり、またインターネットを介して音楽をやり取りすることが容易になっていきました。

私は4連装CD-ROMドライブ内蔵のCanBe(PC-​9821Cu16/HA2)を持って上京した関係で、ゲームスクールを卒業して自作PCに切り替えた2000年までCD-Rで音楽CDを作ることはできなかったのですが、その頃にはどのメーカーのドライブ・メディアが音楽CDを作るのに最適かといったノウハウがインターネット上に蓄積されていました。

ところがミツミ撤退あたりから暗雲が垂れ込みはじめ、太陽誘電撤退によって市販CD-Rで音楽CDを作ることは絶望的になってしまいました。
現在は太陽誘電を受け継いだCMCproなど数えるほどしか使えるメディアがありません。

M3より前はカセットテープやMD、演奏データを記録したフロッピーディスクなどで音楽作品を頒布していたようですが、CD-Rの普及が同人音楽ブームを後押ししたのではないでしょうか。

コナミレーベル・インフォメーション

1992年3月25日発売の『沙羅曼蛇~Again~』に「コナミレーベル・インフォメーション」の案内が掲載されていて、そこから担当のさゆ鈴さんとの文通がはじまりました。

もともと学級新聞を作るのが好きだった私は、手紙とは別に吹奏楽部のニュースや関心事などをワープロでまとめて送っていたのですが、それが現在の同人活動のルーツです。

私が最初に立ち上げた個人サークルEDIA LABELは、コナミレーベル・インフォメーション終了を埋め合わせるようにそれを模倣したものとなっており、つまりはゲーム音楽レーベルごっこだったのです。

EDIA LABELとほぼ同時期に誕生したオリジナルキャラクター粳麻唯も、ウィンビーや藤崎詩織に影響を受けたバーチャルアイドルという位置づけでした。

当初は粳麻唯を中心とした「ウルチメディア(後にアルティメディアに改称)」のオリジナル曲を発表しようとしていましたが、ほどなくゲーム音楽アレンジもやるようになり、やがて仮想ゲームサントラを作るようになっていきます。

そして今年はDTM歴25年の節目の年です。

打ち込み初体験

私が打ち込みを始めたきっかけは中学校に導入されたばかりのFM TOWNSの楽譜ワープロ『MUSIC-PRO TOWNS』で東亜プラン『ヘルファイアー』の「READY TO GO」を毎週水曜日の放課後に1時間だけ全員参加の一般クラブ活動で半年かけて打ち込んだことと、

(レンタルCDから書き写した楽譜を打ち込んだだけでテンポや音色はデタラメ。データや録音は残っていない)

その後おもちゃのバンバンで安売りされていたファミコンディスクシステムの『オトッキー』でつまらないシューティングゲームをクリアすると使えるたった4小節のループシーケンサーで手持ちの楽譜を手当たりしだいに打ち込んで遊びはじめたことでしたが、

その遊びにいっそう夢中になったのがスーパーファミコンで1994年9月30日に発売された『描いて・作って・遊べる デザエモン』で、この頃から少しずつオリジナル曲を作るようになっていきました。

ちなみに当時流行った『マリオペイント』での作曲は、コナミのグラフィックコンピュータ『ピクノ2』を買ってしまったため未体験です。

デザエモン

『デザエモン』は縦スクロールシューティングゲームのグラフィックや敵配置、BGMを作り変えて楽しむかんたんなゲーム作成ツールですが、シューティングゲームにはタイトル、ステージ、ボス、ステージクリア、エンディングに合った曲が必要だということは『デザエモン』から教わったようなものでした。

既存の楽曲を打ち込んで、アレンジで曲の雰囲気を変えて各場面に当てはめていくだけでもゲームになりますが、それだけでは思い描いたとおりのゲームにはならなかったのでオリジナル曲も作ったのでしょう。

また『オトッキー』や『デザエモン』はセーブできる曲数が限られているため、作った曲はカセットテープに録音して気に入った曲だけデータを残してまた次の曲を打ち込んでいたのですが、そのカセットテープをくり返し聴いて楽しむうちに、次はこんな曲を入れたいと思うようになっていきました。

別のカセットテープに曲順を変えてダビングしてサントラ風にして楽しんだこともありました。
既存の楽曲とオリジナル曲が並んで収録されることは快感でもありました。

OMY

1993年11月22日放送のNHK教育テレビ『天才てれびくん』でYMOの「ライディーン」を知り、

(当時ゲーム雑誌でも再生YMOが話題となっていたため6月20日にNHK衛星第2で放送された「YMOコンサート」は録画してあり、またWOWOWノンスクランブル放送の『アトムの気持ち』もたまに観ていました)

同級生に坂本龍一ファンのdjkb君がいたことも手伝ってYMOを聴くようになったのですが、

元ナムコ社員によるYMOパロディー「Oriental Magnetic Yellow (OMY)」がサイトロンからメジャーデビューしたことをきっかけに細江慎治さんのゲーム音楽もよく聴くようになり、

(ただし『F/A』はそうとは知らず話題になったときに買ってよく聴いていた)

自分でも食にこだわるYMOパロディー「Yoghurt Mousse (YoM)」を作ってM3のトルバドールレコードに持っていったりしました。

そこで細江さんになかなか会えない私の話し相手になってくださったのが元ZUNTATAの古川典裕(なかやまらいでん)さんだったりするのですがそれはまた別のお話。

OMYも1stアルバム(メジャー盤では2nd)『SONIC SKATE SURVEYOR』は中期YMOの延長線上にあるオリジナル曲だったので仮想サントラの一種と考えることもでき、私の活動に少なからず影響を与えていると思います。

プロジェクト・イース

さて中学、高校とラジオドラマ『ツインビーPARADISE』にハマってD.W.B.C.(ワルモン博士後援会)という同人サークルを結成して『ザコビーパラダイス』というパロディーを作って仲間内で聴き回していたのですが、回を重ねるとこちらもオリジナル曲が必要になってきました。

そうすると『オトッキー』や『デザエモン』では作れないものが多くなり、『音楽ツクールfor Windows ログイン版Music Magic』や『カシオ 日曜音楽 SZ-50N(GM音源「GZ-50M」同梱のDTMパッケージ)』を使って本格的にDTMを始めました。

そして上京後ではあるのですが、ともにDTMをやっていたアキヒロ君からこんなものがあると送られてきたのがmushi.netの『プロジェクト・イース』(1997年)と『プロジェクト・ツインビー』(1998年)だったのです。

これはMIDI虫(深井淳)さんが制作した『イース』と『ツインビー』の仮想続編サントラCDです。

マネシス'99改

これに触発されて作り始めたのが『沙羅曼蛇2エピソードⅡ』でした。

MIDI虫さんに誘われてM3-2000春に一般参加し、同年秋からサークル参加するようになりましたが、翌春のM3-2001春から『ステイリゼル』に改題しました。

どうして改題したのかというと理由は2つあって、ひとつは初参加のM3-2000秋で飛ぶように売れてしまい『沙羅曼蛇2』というタイトルを使ったことに負い目を感じたことと、

もうひとつは魚人様さんが作ったMSX版グラディウス風のフリーゲーム『マネシス'99改』がコナミの警告を受けて公開中止になってしまい、グラディウスの二次創作界隈がざわついていたことです。

『マネシス'99改』以前にもこつえーこと駒都えーじさんがいたサークルCO2-PROが制作した『ガルディウス'95』など多数のクローンゲームがあり、『マネシス'99改』はコナミ法務部による見せしめの犠牲になったのではという見方が強いのですが、私は完全に震え上がってしまいました。
ただし今のところおとがめなしです。

今作をオリジナルにしたかった理由の発端でもあります。

ブロークンサンダー

『ステイリゼル』がM3-2001秋で完結したあとは、M3やコミケに毎回参加してMIDI虫さんたちと親交を深めつつ、互いに仮想続編サントラを作りあっていたのですが、MIDI虫さんは『ドラゴンプロジェクト』(2006年)を最後にオリジナル曲へと完全にシフトしてしまいました。

音楽CDが売れなくなる中で同人音楽に注目が集まり、M3も規模が大きくなって会場の移転先を探していた頃ですが、この頃問題になったのがサンダーフォースの続編を謳った同人ゲーム『ブロークンサンダー』(2007年)の販売停止騒動でした。

私はメガドライブのサンダーフォースⅡ~Ⅳは遊びましたがⅤ以降についてはまったく状況が把握できておらず経緯はよくわかりませんが、元が九十九百太郎さんが作った仮想サントラであったこと考えると「先に仮想サントラとして発表したものは安易にゲーム化してはいけない」という教訓を残した事件でした。

なぜなら仮想サントラは聴いた人の数だけ脳内に思い浮かべたゲーム体験があり、その理想を現実のゲームが上回ることは不可能だからです。

エクステイリゼル

2006年の冬コミで頒布した『えでぃあ すぺしゃる みゅ~じっく 萬両箱 ~活動満了記念~』をもってEDIA LABELが活動満了して、翌年からASIA LUNARにサークル名を変更しましたが、このとき引き継いだプロジェクトが『ステイリゼル』のPSP版を想定して完全リメイクした『エクステイリゼル』でした。

『エクステイリゼル』ではロックからダンスへ曲調を沙羅曼蛇2っぽくアレンジし直したり、沙羅曼蛇2の未使用曲などグラディウスシリーズのマニアックなアレンジを中心にしてオリジナル曲を少なくしたり、ヤフオクでダミーケースを入手して実際にPSP風のパッケージを作ってみたりとそれまでにない試みをいくつか行っていますが、特にDVDトールケースの中に取扱説明書風のぶ厚い解説書を入れた(PSPには入らなかったのでCDにPDFで入れた)ことには、設定資料がウェブ上にあり、それをリニューアルや移転と称して散逸させてしまった過去への反省がありました。

これは今作の解説書でもCD単体で作品が完結するよう必要な情報はすべて載せようという方針につながっています。

鏡音リン・レン

また2007年はビックバイパーが登場するテレビアニメ『スカイガールズ』が放送され、そして『VOCALOID2 初音ミク』が発売された年でした。

スカイガールズ版ビックバイパーのプラモデルとほぼ同時期に発売された鏡音リン・レンを私は買ったのですが、初音ミクのヒットによる同人音楽とDTM界隈の変容には目を見張るものがありました。

「乗るしかない、このビッグウェーブに!」というヤツです。

2008年春のM3-大阪で発表したカプコン19シリーズ風仮想サントラ『加賀峰(かがみね)』は、プレイステーション版『蒼穹紅蓮隊 黄武出撃』風のオペレーター演出入り(つまり新世紀エヴァンゲリオンの伊吹マヤ風)という一部の人にしかわからないマニアックなネタがウケてしまい、私を完全に勘違いさせてしまいました。

その後池澤春菜さんの音声素材集『Mac音ナナ』(2014年発売の『VOCALOID3 マクネナナ』のルーツ)にハマったんですが、同ネタで続編の『播嶺(まくね)』はあまりウケなかったんですね(笑)

東日本大震災

2011年3月11日は大泉学園のオペラハウス(ファミリーソフト)で編集アシスタントをしていました。

(この頃翡翠の立ち上げに奔走していた梅本竜さんともすれ違っていますが、面識が薄かったので挨拶のひとつもできなかったのがいまだに心残りです)

電車が止まってしまったためその夜はひとりで会社に泊まったのですが、暇をもてあまして作っていたのも『FMPSG015 -いちご-』収録の仮想ゲームサントラでした。

ビバリウムでGC『大玉』やPS2『シーマン2 ~北京原人育成キット~』に関わって多忙だった2005年夏からの1年間にもGBA版雷電風『蕾電伝説(つぼみでんでんせつ)』やもうひとつの沙羅曼蛇2をつくる『0th4th:revive(ゼロスフォース:リヴァイヴ)』といった仮想ゲームサントラを作っていましたし、私はどこか仮想ゲームサントラを作ることを心の支えにしているところがあるのかもしれません。

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