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私の青春~そして狂った恋愛観への始まり~第一章



私の生涯の恋愛に大きく影響している一人G。

私が自ら好きになり、付き合って、長い時を過ごし、この人と生涯を終えるまで~と本気で願い、そして結ばれなかった人。
彼との付き合いはなんがかだと7年間だった。高校1年から24歳だったと記憶している。

始まりは前回K君と同じ高校だったG。
K君から学校行事で行った際に撮ったプリクラにGは写っていたのだ。私は一目ぼれ。鮮明な画質じゃないんだけど、とにかくとにかく気になる彼になったのだ。
古い言い方だけど、ビビビッときたってやつに違いなかった。

『〇〇高校のG君』そのワードはウキウキしたものだった。私と地元も隣町だ。
後々分かるのだけど、中3の時通ってた個別の塾が一緒。
その時には何とも思ってなく分からないものだよね。よく占いで出会いがある→もう出会ってるとかってこんな感じなのかと思った。
人を好きになるのって。決まってるのかな??とすら思う。

K君とのフェードアウト後に合コンのようなものが開催されたのだ。G君もいる高校の子も来るというカラオケ合コン。
期待していたG君はいなかった。ただ、乱入してきたのだ!!終盤に!!主役の登場としか思えなかった。まさにミラクル。

そしてそして帰り方向が一緒という素敵なタイミングで、乱入ではない子の中に幼馴染なKU君がいて3人で帰宅して連絡先を交換。
KU君は頭もよく優しく、今思えば優良物件。でもあのころから私はそうゆう優良ではないほうへ行くんだろうね。好かれるのに(笑)
見てくれてる人でなく、見えてない人・見てくれてない人に行きだがる症候群なのだろうかとも思い始める。
KU君と付き合ってたら安定して平凡でも楽しくて~結婚なんかしちゃってたらTHE普通の幸せなんだろうな。彼は今消防士~Gは職人。
どちらに惹かれるか?職人だなw

そして、G君とも連絡はとるものの進展は特にない。ただ、その時の私はモテ期絶頂だったように記憶する。それで心に余裕があった。
当時は高校生はよくたむろっていた。いつしかG君の地元仲間のイケてる男子達がつるむ中に自然と居るようになった。

その中の男の子何人かから電話もあるしアプローチも受けた。とにかく誰にも咎められないモテ期は最高だった。
家は窮屈だし、女子高の女子ともうまくいかないこともあったり、それでも居場所があるのだった。数時間でも数十分でも居心地の良い居場所に毎日行く。

中学では男子と仲良くするだけで何あのビッチみたくすぐ言われたから。一つ学区が違うだけでこの差は何なんだろう。地域性なのか??
最近のJCはどうなのだろう...。

Gがやっぱり好きで私は懸命に電話したし、当時のPHSでPメールもした。

電話では今までになくアピールした。人はやる気になればできるんだと今でも思う。その頃の私はただただ夢中なだけ(笑)

なかなか告白されないことに悩んでるときにG君は好きな子がいて、まだその子が好きらしいと噂を聞いた。その子は可愛いだけでなく強い子だった。見るからにメンタルも
強そうなB系寄りのでもナチュラルな自分最高ギャル。自己肯定の塊みたいなwこれまた私は自信を失うのだった。
でも、G君とも話したりその周りの友達とも仲良く日々たむろったり楽しかった。ある日突然G君が電話で告白らしきことを言ったのだ。なんかあまりストレートな言い方でないことを
覚えているけど、拍子抜けしながらも嬉しかったのは確かだった。その日から私はただただ一途だった。本当に。

G君は不器用でピュアでとにかく男気がある。私は彼の全てが好きだった。嫌いなところなんてどう頑張っても見つけられなかった。
まだ自分に自信が持てない面倒な女な私にも彼はまっすぐ接してくれた。話してやっぱり『なんでもない』っていう私に
『なんでもないなら話さないんじゃないの?どうしたの?』とさらっと聞いてくれるような人。
感動しかない日々。

自分の事優先したずるい考えを持ち合わせてない人。この人なら私は心を許して信じてもいいのだなと私は初めて飼い主に出会えた犬のような気持だった。
期待を裏切ることなく、事あるごとに彼は正面から受け止めてくれた。
この付き合いより少し前から高校でも女の子特有のハブられていた。身に覚えのない言った言わないってやつ。女の世界はいつだってそう。
大人になってママの世界だって、仕事だってなんだって女が集まればあるのだ。

中学の時と違ったのは女友達がいなくても私は気持ちが強かった。彼の存在1つだけで。学校なんてどうでも良かった。
地元にたむろってればあたりまえのように入っていける環境、そして大好きな人がいてその周りとの出会いも広がってたから。行きたくないときは学校をさぼった。
ハブられてるのは悲しかったけど、前みたく恥ずかしいとも思わなくなってた。大丈夫?なんかあったら言ってって普通に言ってくれる子たちがいたから。前はいなかった。

環境って大きい。話それるけど、辛くて心がどうにかなりそうになるまで今の環境にしがみつく必要ない。
私は逃げてるかもしれないけど、いつも心がどうにかなっちゃう前に逃げるよ。今もね、仕事、恋愛、無理して頑張っても報われないこともあるから。心が病んだらなかなか
治らないからね。そうゆう意味では自分を大切にできてるのかもしれない。男を見る目はないのは自覚してるけど(笑)

そのうちG君と付き合ってるんだってね。とハブってた子達が少しずつ話しかけてきた。やったことはどうであれ、謝ってくれた。私はそれが嬉しかった。今でも仲良しだよ。
許せる気持ちも心に余裕があればできることもあるんだね。
私は自分を好きになれない子だったから、そんな私でも好きでいてくれる力強い見方が私を救ってくれていた。情けないんだけどね。
でも自分に自信を持つことは、その都度、自信つけてはぶちのめされ、未だに自信を持つのが課題...。


高校3年間はG君以外見えなかった。口を開けばG君の話だった。家でも学校でもね。周りも周知で私といえばG君。そんなのも嬉しかった。
3年間の間にも色々あった。まずは私の家出。家が厳しかった私。18時になっても帰宅してなければ電話が入り何時だと思ってるの!!と怒られる。
バイトはNG、学校帰りの寄り道自体NGみたいなね。そうそう、そのころ流行ってた雑誌にエッチな事とか掲載されてて庭でまとめて燃やされたり(笑)
日サロは風俗だと言われ(笑)とにかく干渉も半端なかった。
親となった今は~わかるようなところもあるけど....


毎日怒られてた気がする。当時は携帯の通話料とか高額で3か月くらい高額請求が来てついにママがブチ切れてて、家に帰ると冷静な怖い顔でこの番号誰??かけるからと言われた。
明細を取り寄せてたのだった。私はまた別れさせられると恐怖しかなくママに罵声を浴びせダッシュで家出。追いかけられて捕まるのも嫌だから相当走ったし、走りながら何処なら
見つからないか考えながら走った。
運動駄目で走るのも遅いわたしだけど、逃げたり追うときだけは自分でない力で走れることを知った。

そして行きついた公園。ひっそり公衆電話からG君に泣きながら電話をした。とにかくこんなんで彼と別れる選択肢なんてなかったから。その日はG君の家に泊めてもらうことになった。
何度も昼間はお邪魔してたけど。G君はちゃんとママさんにも言ってくれた優しいママさんだった。ちゃんと連絡して明日は帰らないとねと。
私はG君の家族全員が大好きだった。
彼の家族と家族になりたいと長く思っていた。

家出したその日から大騒ぎなのは分かるくらいに凄かった。即捜索願(笑)友達にもガンガン電話。学校もね。
とにかく私は暫く帰らないつもりだった。ただG君の家には今日だけの約束。結局3日くらい?あと2日はG君のお友達の家に泊まらせてもらった。
。先に寝てた私のそばでG君と友達が喋ってて『Gも疲れてるなら先寝れば俺起きてるし』『いや、俺は全然たぶんコイツのほうが疲れてると思うし』寝ながら聞いて泣いた。
私は本当幸せだし、彼を選んだ自分を最高に褒めた。

日中はフラフラ時間を潰し、放課後は彼と落ち合って~このままでもいいけど、このままは無理なのも分かっていた。
ここは渋谷でもなんでもない海がある田舎。夜通し若者が~な街ではない。
ママがあまりの心配で倒れたと聞かされ、もうパパも怒ってないし等々留守電やら友達の連絡やらで帰らなければもっとややこしくなると思い帰ることにした。
帰ったときは涙の再会みたいな。悪い事したなと思ったけど、これしか私には方法がなかった。

驚いたのはG君は私が帰る前に電話してくれていてパパと話していた。自ら電話をしてくれてたのだ。その対応などなどをパパはちゃんとした子だと。そして今まで厳しくしすぎたと。
うまくいきすぎで私が戸惑うほどにG君との付き合いは公認になった。彼は神だった。私を全てから救ってくれたような存在。
お互いの両親も会った(笑)もう自由だった。
正直この時が人生で一番楽しく恋愛してた。これ以上の恋愛はできる気がしない。

彼との事は簡単に書き終われないほどの長い月日がある。7年ね。
これが第一章。

次は学生時代の出来事~遠距離含め社会人になり~な第二章・第三章へ


私の青春~そして狂った恋愛観への始まり~第一章~完~


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