詐欺師ちゃんサイダー背伸びして

諦めたらいいのに懲りないね。君のためにタルトを作っていたけど約束を守ることすらもできない悪い子にあげる分はないんだなあ。残念だったね。痛いこと嫌いな君のことを思って優しくしてあげてるのに素直に受け取る姿勢を見せてくれないなんて、ひどいよ。君が何度間違えたって意味はないのにさ。

レールの上をかたことかたこと慎重に進む姿を誰かが安全地帯で必死になっちゃってと呆れていた。

 玄関のドアを開けると光が出迎えてくれた。今日も帰ってきていたことに安心感と何故かほんの少しの疲労感。不器用な靴をつま先で揃えてあげる。別に何も意味ないのだけれど。うん。

「ただいま」

 ソファにだらしなく預けられた成人男性の体。重力に負けた髪の毛が垂れて宙ぶらりん。シンクが助けを求めて苦しく泣いている声が聞こえる。

「ん~。ごはん食べてきたの?」

「うん。飲み会だったの」

「ふうん。俺、風呂入ったから先寝るね。おやすみ」

「おやすみ」

 いつからだったか始まった半同棲生活。連絡なしに来たり来なかったり。いつまでこの生活なのだろう。この人と結ばれる未来を歩いていると確信できなくて空気の読めない海馬が揺れた。

 テニスの文字だけ見て入ってしまったのは間違いだったかもと思ったときには遅かった。LINEのグループに頻繁に現れる飲み会の文字。テニスはお遊び程度のおまけ状態で。まともに出席しないメンバーが多く代返を押し付けられるようになってしまっていた。

「今までのレジュメとノート見せてって……」

 私がいるから楽できているのに簡単な文字だけで頼むだけなんて失礼すぎる。友達どころか仲良くもないのに。連絡先を交換するんじゃなかった。1回目しか出席してないのに単位が欲しいというのはバランスの悪いわがままでしかない。

「あれ、日向さん?」

「えっと、?」

「あー、俺もテニスサークルなんだけど、覚えてない?」

「ごめんなさい。私、あまり飲み会とか参加しないから」

 図書館を出たところで背後から話しかけられた。同じサークルでも図書館に来る人いるんだ。全く記憶にないけど私を知っているということは初回の集まりにいたのだろうな。

「そっか。俺、佐々木。よろしく」

「どうも」

「俺、学校で同じサークルの人に会うの初めて。日向さんはいつも来るの?」

「え、はい」

 なんだこの人。何も話題を振っていないし何も訊いていないのにぺらぺらと饒舌に喋っている。扇風機に負けないのではないかと思うほどよく回る舌だ。今考えるとこの日の授業後図書館に行かなければよかったのかもしれないね。

 結婚式か。私達の未来に結婚は待っているのかな。2人と私達は並べることができないくらい違う。いつか2人のような関係になれる日が来るなんて全く思えない。零れそうな溜息に蓋するように中途半端に巻いたパスタを口に突っ込んだ。

「かれんちゃん」

「ん?」

「私は、長続きすることが幸せに必ず繋がることではないと思うの」

「え」

「盲目は時に事故を起こすから」

 顔を見合わせて控えめに笑う。私は何も言っていないのに。彼氏がいることも半同棲しているのも。2人が結婚式をすると聞いて考えてしまっていることも。長続きしている人たちを目の当たりにしてこのまま流されていくことが本当に今後の人生の幸せに繋がるのかもしれないよと囁いた自分を2人が殴り倒した。呆気にとられる私を見て何事もなかったかのように笑顔を向けられる。すとんと引っかかっていた物が落ちて消えた。

「飽きたら手放す選択も、ありだよね」

「いいと思う」

 2人の左手。きらりと薬指の付け根が光って私は何も言わずにいつきのコーラをひとくち飲んだ。

 玄関で仕方なくお出迎えしてくれた靴とリビングに今日も変わらずだらけた体。ただいまを言わないで帰ってきた私に何も言わない。気づいていたのに口を閉ざし目を瞑ってきたことに少しの後悔。言ってしまえ。飛び出してしまえ。

「ねえ、ゆうくん」

「なに」

「別れようか私達」

「え?」

 顔を合わせたのは随分と久しぶりだと目を見て初めて気づいた。慣れは麻痺を起こして警告音が鳴らない。

「別れよう。もう終わりにしよう」

「かれんちゃん急にどうしちゃったの?」

 愛おしいほどに馬鹿な人だ。なんでこの人と付き合ってたのだろう。どうかしているのならそれは告白に頷いた瞬間からだ。目の前で感情を殴られ揺さぶられているのは殺されても気づかずに生きているタイプの人間でそんなのがいい男ではないことくらい赤子でもわかることなのにね。私達は哀れでお似合いだから時間と空気を共有できない証明はとっくにできている。

「ゆうくんと別れたい、それだけだよ。意味わかるでしょ?」

「意味わかんないよ! 急に別れたいってなんで!」

「いいから早く出て行って。はい、荷物持って」

 床に放置されていたバッグを持たせて手首を掴む。残りの物は後でフリマアプリで売ってしまおう。それがいい。

「ちょっと待ってよ、かれんちゃん! 俺帰らないよ!」

「ゆうくんに決定権ないの。ここ私の家だから」

「話をしよう。ね、かれんちゃんお願い、1回話そう」

 都合よく眉を下げて今日は珍しく久しぶりに饒舌。こういう場面でお願いなんて言葉を使う人間は本当につまらないなと思考回路をおもちゃのロケットが宇宙と間違えて旅した。

「別れる以外に何を話すことがあるの?」

「俺は別れたくないの。だから話を──」

「別れるんだよ。残念でした」

「だから」

「私を選んだから今こうなってるんだよって教えてあげてるの」

「どういうこと? 俺何もわからないって」

「知らないよ。文句なら脳みそに言えばいいんじゃないかな」

 きゃんきゃん吠えちゃってうるさいなあ犬だったらかわいいのに。可哀想な生き物。私じゃない子を選んでいればこんなこと起きなかった未来もあったのにね。

「かれんちゃん! ねえ! どうして!」

「さようなら。ばいばーい」

 自分よりも背の高い成人男性を思い通りに動かすことは難しかった。それでもなんとか無理やり押し出してがちゃんと鍵をかけたら何かが抜け落ちて朝までカップヌードルお供に映画見て感情に大負けしてネットショッピングで散財。勢いに任せて裸足で駆け回るような。なんて最高な地獄。

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