ココロが濁ることを恐れていた

今日は、撮影依頼ではじめての中学校に行ってきた。

依頼は、吹奏楽部の顧問の先生から。
先生最後の定期演奏会の撮影をしてほしいとのことだった。

中学生と話すのは久しぶり。
もともと、母校の中学校に吹奏楽を教えていたから、技術的なブランクはあっても、大きな壁は感じなかった。

中学生って、小学校からあがったばっかりで、ほんとうに純粋で素直で。

とっても可愛らしい子ばかり。

その子たちが、友達同士で、曇りのない表情で楽しんでる様子を見て

なぜか、ふと冷静になった。

「ああわたし、いつの間に濁ったんだろう」と。

そこには、それを懐かしげに、どこか憧れるように、見つめているじぶんがいた。

あの頃はよかった。なんて言うと、過去にすがりついているようで嫌に思う。
けれどわたしは、今このときも、その頃の純粋な気持ちを少しずつ失っていってる感覚がして怖くなっていた。

なんで怖いのか。

それはきっと、わたしが思うわたしの素晴らしさが、その「純粋さ」という部分にあるから。

それがなくなると、わたしの価値が消えてなくなるような気がして怖いんだろう。
そんなことないはずなのにね。

だから、他人からの評価を求めていきがちになる。
自己評価が高い人に憧れを抱く。

いつも、ないものねだりなんだ。

わたしのよさは、わたしにしかないものなのにね。

ほかにもよさはたくさんあるから、それらも一緒に大切にしていったらいいのにね。

だけど、時々不安になる。

そんなときは、わたしのよさを知ってくれてる人に言葉をもらいに行ったりする。

いつも、自信をなくしたり怖くなったりするときに、愛がある言葉をくれる人、ほんとうにありがとう。そんなあなたをこれからも大切にしていきたい。

中学生に会うことで、自分の価値観の一つに気づいた。

じぶんより遥かに若いor年上の人と会うことで、気づくことが山ほどある。

これからも、様々な人生に触れて自分の解像度を上げていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?