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光浦靖子さんの「49歳になりまして」を心理学視点で読む記事

長い夜、思っちゃいますよ。「私は誰にも必要とされていない」

文春オンラインにて公開された光浦靖子さんの「49歳になりまして」
興味深く読ませて頂きました。
上記は、その中の一文です。

人生100年時代、日本の生涯未婚率は全体で20%前後と言われる中この一文を見て、思い出したことがありました。


「あなたは何故生まれ、何故幸せを求めるのでしょうか」

これは、キズ(バンドw)が「0」というシングルを出した時に、招待制アコースティックワンマンの抽選を掛けてオフィシャルから掲示された、公開質疑です。
”誰にも必要とされていない”という感覚を覚える時、きっと彼女も
この質問をご自身に投げかけたのではないかと思ったのですね。

人生詰んでる人ほど、”自分はなぜ生まれ、何のために生きて、そしてなぜこれからも生きるのか”という問題と、早い段階で向き合うことになります。
私はキズのこの質疑を見た時、すでにいくつかの答えを持っていました。
世間一般論での答え、20代の頃の答え、30代の時の答え。。。でも
公式には”自分の答え”と記されていたので、再度考えてみたんですが
20代、30代の時とは明らかに変わっていました。
そして今また改めて考えてみても、2年前とは違った答えが出てきます。

20代の頃は幸せになれない恋愛にばかり溺れては生きる意味を考え
30代の頃は今までできていたことができなくなり、自分に価値を見出せなくなった時にこの質疑を自問しました。
自分のことを”世間のゴミ”だと心底思っていた日々のことを、昨日のことのように思い出します。


光浦靖子さん。公開されている生年月日が本当であれば
普通にしていても目を引く人でアーティスト肌だし、芸能界は適職のひとつとして占い師がお勧めする職業です。
でもお人好しな面もありそうですので、損をしてしまうこともあるのかもしれません。
しかし彼女の生きにくさはそれ以上に、
成功に拘るという資質を持っているため、他者の評価が自分の評価となると
自分を評価するのに相当多くの課題をこなし、かなり高い基準値での実績を残さなくてはいけなくなります。
つまり、ご自身に厳しいのだということですね。
それが文章の随所から読み取れます。

”みんなができることができない”と思うということは、
”みんなができること”という基準をどこかで教えられたのだろうと思うのですが
人生で最初の社会は、家庭。でしたよね。
ですからみんなができること”という基準は、ただ単にご家族が持っていたモノサシの話であって、それができたから全世界的に人生ポイント3獲得とかそういった話ではないわけなんですが
これはどうゆうことかというとやっぱり、そのモノサシを持っている”親の期待に応えたい”ということになってくると思うわけです。

巷ではよく褒めて育てるとかって言います。
例えば○○ができた!すごいね~とか、”ありがとう”言えたねぇ~偉い偉いみたいなの、これは何をしているかというと
行動(言動)を褒めているわけです。
気持ちではなくて、行動(言動)を。
ということは、

自分の気持ちより行動が大事

ということがお子さんに伝わるわけです。つまり、思ってなくてもありがとう言っとけばいいし、
本当は嫌だけど我慢して○○ができれば、大好きなお母さんの笑顔が見られる公式
がインプットされます。

親御さんにだって悪気はまったくないどころか、この子のために良かれと思ってしている褒めて伸ばす戦法ではありますが
これが人生に苦しむ原型のひとつとして加担していると言えます。

子供達は自分の本音を抑えて、お母さんが褒めてくれる○○ができるように頑張ります。
努力して器用にできてしまう子は、そのまま「できる子人生」を歩み、それができなくなった時に初めての挫折に苦しみます。(高齢引きニートなどに多いです)
一方、褒めてくれる親であっても不器用でそれができない子、及び貶されたりできないことを指摘されて育った子は、みんなができることが「できない子人生」を歩むことになり、自己否定をすることが日常化します。
後者はもはや諦めから全てのことに入るために、何かできたとしてもそれはまぐれであるだとか、褒められてもここがダメだとか
なんとかして自分を否定しようとします。光浦さんのこの文章の中にはそんな否定が散りばめられています。
全国民が名前と顔を知ってる芸能人という時点でどう考えてもみんなができないことだと思うんですけどもね。

そしてこの「できる子」と「できない子」どちらも、親の期待に応えているということが注目すべき点です。

できる子が期待に応えているというのはわかりますよね。
一方で課題を与えてできない子は、”いつまでも親がお世話をしなくちゃいけない””貶し続けられる”などという親のお役立ち欲求に応えているわけです。
※心理用語でヒーローやスケープゴートなんて括りがあります。

パワハラの話で、できない部下をわざわざ手下に置いて自分の価値を認めるという公式がありますが、それと同じで
”できない子供”と”できる(ように見える)親”もワンセット、共依存関係として成り立っていることも少なくありません。
しかし表面上はどんな親でも色んな意味で「できる子」を望んでいるわけですから、そちら側に応えられてないという不足感は、できない子側にも残る上に
そこから脱却して自分らしく生きることも期待を裏切る行為であるために、年齢を重ねるほど身動きが取れなくなってきます。

さてではどうしたらいいか。

母ちゃんからの脱却です。
どこまで行っても母ちゃん(支配者)なのです。

長い夜、思っちゃいますよ。「私は誰にも必要とされていない」

誰にもってか、根底ではお母さんに必要とされてない。と感じるんですね。
それは、自分の気持ち(存在そのもの)ではなくて付加価値を褒めたり怒られたりして育ったゆえ当たり前のことなのです。

いつも書いています通り、自分=気持ち、本音です。
どう育てられたにしろ

お母さんには、私(の気持ち/本音)以上に大切なもの(娘の行動/言動)がある

と、潜在意識下で理解しているのです。
だから行動を頑張らなきゃいけない。
だから成果を出して認められなきゃいけない。
そうじゃなきゃ、生きる価値がない。誰にも必要とされない。と
思ってしまうのですね。

自覚の有無を別にして、生きていることに虚無感を覚える理由は自分の気持ち以上に優先している何かがあるからです。
親からされていたことを、親元を離れた後は自分の脳内でやるようになります。ですから無意識なのです。
大事なことなので何度も言いますけど、一番大事なのはあなたの気持ちです。
あなたの気持ち。本音。それ以上に大切なものはありません。

(親の)期待に応えるマン達が最初にやることは
自分の気持ち、本音を探ることです。
遡るのが難しければ、一番最近、嫌だなと思いながらも引き受けてしまったことだとか
食べたいなと思ったけど、買えなかった時のことを振り返り
”本音”を、自分で認めてあげることです。

子供の頃、お友達が持っているおもちゃが羨ましくて、お友達が泣きだすまでそのおもちゃで遊んでいたとします。
するとお母さんがやってきて言いました。「返しなさい。○○ちゃんに謝りなさい!」
これは親としての正しい行動ではあるんですが、
あの時あなたには、あなたなりの気持ち、言い分がありました。
お母さんがそれを、聞いてくれるだけで良かったんですね。
本当はこうこうこうで、こう思って、だからそうしてしまった。
ちゃんと言葉にできなくても、お友達が嫌がることをした理由、気持ちがあるわけです。
また、気持ちを無視された上に「~~なさい」という言い方は支配のエネルギーを含んでいるために
いつも自分の上に支配者を置く人生を作りやすくなります。
その支配者が実際の上司であったり、見えない観客であったりはしますが
常に誰か、何かの評価を気にして自分を変えようとする動きはこの支配関係が根底にあると思われます。

逐一気持ちを大事にされてきた子供は、何を感じても良いとすべての感情にOKを出すことができます。
何かができた、できないことより、自分が何を感じていて、どう思うのかを大事にされているのがわかるので
自分の存在自体が大切にされていると体感できます。それが本来の自己肯定感として育っていきます。

親御さんがそれをしてくれなかったのなら、今からあなたがあなたの親になって、そうゆう細かい本音をひとつひとつ拾っていけば良いんです。
そうすると自信がつくし、圧倒的に幸福感が上がります。

光浦さんはここで海外留学ができてしまった場合、新しい世界を知ることで目覚める可能性は確かにありますが
再び自分が”できる”何かを求めて、結局自分に付加価値を付けることで良し悪しを判断する沼から抜けられないであろうことを考えると
コロナに強制終了されたおかげで、そもそもの根本、前提や基準自体が正しいのだろうかと見返すチャンスが訪れたとも考えられます。


「あなたは何故生まれ、何故幸せを求めるのでしょうか」

あの時確か私は「幸せは物質ではない」とか、「親を許すため」みたいなことを書いて応募した記憶があります。笑
今はどうかと聞かれれば「この人生で経験できること全てを経験するため」に地球に生まれ、「幸せは自分の中にしかないと気付くため」に幸せを求め、そして求め切ると答えるかなと思います。
そうそう、人は良いことも悪いことも経験するため。に人間に生まれると思うのです。
私の中で「親を許すため」が撤回されたのは一周回り切った時だったと思うんですが
ご周知の通り私の人生は殆どの時間を母親への復讐に費やしてきました。
しかし一周回ったところで、最初から許していた。という事実に気が付きました。

人生のほんの一部を掻い摘んだだけでも自伝が書けるほど波乱気味だった理由は、確かに両親でした。
両親なんですが、、、それを天の采配として見てしまうと自分の不運を呪うだけで、解決ができません。
ですから、私が自分でこの親を選んだ、特に母親を自分で選んで生まれてきたと考えるほうが、私は楽だったんですね。

親子関係に悩まれている方や、これから戦う方にお伝えしたいんですけど
あなたがその親御さんを選んだ理由は、あなたがその親御さんを愛せるからです。
その親御さんだから愛せる、からです。
どんな酷いことをされても、どんな人間であっても、それはたとえ殺人犯であったとしても
その人だから、あなたは愛せるのです。

その根底には誰にも負けない深い深い愛情が眠っていることを、どこかでずっと、知っていたと
体感で得られる時が必ず来ます。
だから恨めるし、怒れるし、憎める。のですね。
これは、とても素晴らしい経験です。

感情を優先されずに育つと、感じたくない感情というのが存在するようになるので
どうしてもその避けている感情を感じる出来事を引き寄せてしまいます。
ですが、感じたくないと願うその感情を感じることさえ
実に尊く、大切な”経験”となり、あなたの土台をしっかりと固めてくれます。

どうか、”経験”をして、”感じて”ほしいと思います。
その虚無感は、誰かに必要とされることで埋まるものではありません。
誰にも必要とされなくても、何ができなくても
私は私のまま、これが最高なのだと
他でもない自分自身が証明してくれます。

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