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冷酷な私が"100日後に死ぬワニ"を見て何を思ったか

昨日100日目を迎えたこの作品

私が知ったのは60何日目あたり?で ずっと毎日見ていたわけではないのですが
世紀の瞬間を見守る大きなエネルギーに流されて 私も100日目をリアルタイムで見ていました

そして最期の一枚の美しさに鳥肌が立ちました
周囲の意見やリプでブレてしまうような人ではとても描けないであろう 芯があり
心が動かされましたよね

今日はこの作品を通して2つのお話をしたいと思います

元々プロのイラストレーターの方のようですが
この100日間で起きたと思われる環境の変化はまさに純粋なエネルギーが動かした奇跡の連続としか言いようがないと思うわけです
グレイテストショーマンの記事に貼った動画がありましたけれど

これができれば嫌でも売れる…と ヴィジュアル系心理学の記事に時々書いている
まさにそれが起きていたと思うんですが

そもそも 論
目的が「売れる」ことではないというジレンマが

私が個人的についつい目がいってしまうアーティストさんに共通するのは必ずこれです

他者(外側)の評価 興味ない

誰かに評価されてもされなくても
誰にも見てもらえなくても
"やりたいことをやる"という
これこそが繁栄の法則なんですよね
だから キズというバンドもそれなんですよ
(よく知りませんが私はそう感じて見ています)

レポ書いてるようでいっつも私はそれを書いてる気さえする(笑)

「売れる」とか「繁栄」とは
純粋なエネルギーを放射した結果の副産物なので
やはり何よりも自分の軸という物が大事になってきます

で こちらを先程拝見しまして
答え合わせをしたというか

それで こちらを踏まえて2つ目の議題に移ります

”100日後に死ぬワニ”と 上の配信を見て
私はこう思いました


作者のきくちゆうき先生は
二十歳の頃にご友人を亡くされており
その経験から派生した作品であるということが伺えます

私自身の拙い自伝「カサンドラ」17話に ”復輝 ”という記事があるのですが

スタッフの子の親友が亡くなって落ち込んでいるので帰してあげたいという副店長からの電話に即答で私が「ダメ」と答えるシーンがあります
後半で綴っています通り私は" 友人の死"というものの悲しみが 理解できませんでした

そもそもこの「カサンドラ」という話は
殺人事件を起こす人間の心理状態を自分の本音を通して描く目的なので
周囲のドン引き覚悟で書いていますが

いつも書いていることを言いますと

人は自分がされたことをします

他人を大切に思えない=自分を大切に思えない=自分が大切にされていなかった

という公式になります
ただ 表面上はとても大切にされてきたので
表面上は人を大切にするのです
でも
家族を含め全ての対人が「心」というものを隠した状態での関係性になるので
友人関係では心が動いていないんですよね 
(私の場合は両親に対しても心が動いていませんが 憎しみという強烈な思いがあるので両親に情愛が偏っています)
祖父母から先 全ての人間関係において心が動いていないので
亡くなった時にも 心が動かないのは 当たり前なのです

私の場合ですが
初めて ”人が死ぬ” ということにおいて情動を感じたのは
当時追いかけていたVersaillesのベーシスト Jasmine Youさんという方が 亡くなられた時でした
"ついこの前 ステージで見たあの人は もういない
もう二度と 姿を見ることができない"
という事実が理解出来ず
涙さえ出ないけれど
しばらく何が起きたか 整理がつかなかったのを
今でも覚えていて

友人どころか毎日顔を合わせていた祖父母の死に何も感じないのに
喋ったこともないバンドのメンバーの死に動揺する
おかしな話だと思われるかもしれませんが
これはどういうことかというと

ライブを見ている時は心が動いている
ということだったんですよね

家族の前でさえ被っている仮面を
ライブを見ている時だけ 脱げる
笑ったり 泣いたり ライブハウスでなら
できるわけです

ここに私が頑なにライブを1人で見る理由があるんですがそれはまたの機会に(笑)


人間関係をほぼすべて切ってしまっているので現在はどう感じるか正直わからないのですが

私はこうゆう話を見聞きする度 それだけ誰かを大切に想えるということを
羨ましく思うのです

そして一番言いたいのは

そう 思っている人 絶対にいるはずなんですよ
でもそんな不謹慎なことは公言できずに自分も誰かの死を悲しめる振りをします
常人の振りをしたときは 本当はどう感じていたのか
自分だけは認めてあげてほしいのです

それほどに冷酷なのは あなたのせいではありません


マイノリティーすぎて記事にするのも怖いんですがw
それを伝えていくための自伝です

100日後に死ぬワニがあれほどに拡散されたということは
あらゆる歴史を持つ人々が読んでいたということになり
解釈も感じ方も千差万別 作者の目的はそこにあると思うわけです

人と同じことを感じなくて良いけど
自分にだけは素直でいなくてはいけません

誰もに共通することといえば しばらくは毎日死亡フラグを立てて生きるようになるということでしょうね 笑

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