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On Air from Fukuoka #6

阿部寛太(Give me the simple life)

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◆インタビュー

モジュール(以下m):本日は宜しくお願いします!


阿部カンタ(以下K):宜しくお願いします!


m:カンタさんとは20年来の友人で、意外にもこういった事をマジマジと聞くのも初めてですが、モッズに興味を持ったキッカケなどはあったのでしょうか?


K:ファッションからだと思います。
福岡市から少し離れた久山町が僕の地元で、田舎の野球少年という事もありファッションとは無縁の毎日を送ってました。
中学生になり硬式の野球チームに入ることになりました。色んな町からメンバーが集まっている事もあって、その中には、福岡市の連中もいました。
ある日クラブ活動ではなくプライベートで集まり遊ぶ事になって、その時に見た光景が衝撃的でした!
なんと福岡市の子達は、ケミカルウォッシュのハイウエストジーンズやエドウィンのジーンズを履いていました!
前途でも書きましたがファッションとは無縁の日々を送っていましたので、僕の普段着は毎日がジャージでした。そして、その日もジャージを履いて行きました。
友達にはダセェダセェと馬鹿にされファッションでこんな悔しい思いをした事は今でも忘れられません(笑)その思いもあり後日、母に頼み込みジーンズショップに連れて行ってもらいました。
買ってもらったのは、Leeのブラックジーンズでした。
それが初めてのジーンズとなり、僕がファッションへ興味を持つ大きなキッカケとなりました。

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※幼少期のカンタさん(手前中央)


2コ上にファッション好きの姉がいて影響を受けました。
ある日姉が持っていた一冊の雑誌に目を通す事に。<Street Fashion>という雑誌です。
通常のファッション誌とは違い、商品紹介もなく、ましてや文字や文章なども全くない、写真だけのストリートスナップを中心とした雑誌でした。
ロンドン、パリ、東京などのオシャレさんが沢山写っていました。
衝撃的でした。

何かに肩を推されたのかのように僕はファッションにどんどんノメり込む事になり、自分でミシンを使って洋服を改造したり作ったりするようになりました。 
なかでも同色のジーンズとGジャンを縫い合わせてせて作ったコートは僕の中でもピカイチな傑作品でした。

また読んでいた<Street Fashion>でランブレッタに跨るタイトな服を着た若者が載っていました。
それが、モッズだということを姉に教えてもらいました。 
高校生になり部活動がひと段落する3年生の頃から、音楽にも興味が出てきてビートルズやザ・フー(姉のCDを借りて)よく聴いてました。
福岡モッズが通うお洋服店<エリーキャット>、<イエローサブマリン>にも出入りするようになりました。
※残念ながら両店舗共に2010年前後にクローズしてます。



m:その後、関東の方へお引越しされたとお聞きしてますが、東京モッズシーンへ出入りされるキッカケは何だったのでしょうか?


K:高校を卒業と同時に就職で大阪へ1年、翌年転勤で横浜で7年間働きました。

その会社の同期で大卒の4つ歳上の松元さんという方がいらっしゃって、モッズ、音楽、ファッションの話をよくしてました。
ある日いつも通り松元さんの部屋でお喋りしている流れでベスパ専門誌を見せてもらいました。
あれは確かベスパファイルという雑誌に東京モッズシーンで活躍するスクーターチーム "Numbers !" (以下ナンバース)が紹介されてて、東京にはこんなにイカしてクールな連中がいるんだと衝撃を受けました。

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※96年頃創刊されたベスパファイル。現在廃版で入手困難

それぞれのメンバーが「モッズとは…」というメッセージが書いてあり、その中でもリーダーのCAMELさんは、スエードのジャケットにスモールフェイセスみたいなサングラスして『普段はクールでも飛ばすときは飛ばすぜ俺は』(だったと思う)という言葉が1番印象に残ってます。
モッズへの興味が加速していく中、僕は実際に東京モッズたるものを見たくなりました。

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※コラム内にも度々登場するスクーターチーム<The Numbers!>
ベスパファイルの一面から

松元さんと渋谷に遊びに行った時にタイムイズオンというモッズ系の洋服屋さんでモッズイベントのフライヤーを見つけました。
そして、その洋服屋さんに教えてもらったイベント"Facing Facts" に早速遊びに行きました。
心細くも一人で遊びに行きましたが、、、
今でもハッキリと覚えてますが、白いスーツの男性がフロアの真ん中で踊ってました。
とても衝撃的で、まさに雑誌で見たことあるような小物や薄っぺらい革靴を身につけてました。
この男性こそモッズだと疑う余地もなく、カッコ良すぎてオーラもあって話しかけることは出来ませんでしたが、初めて見たモッズに感動しました。
周りのモッズ達もカッコ良く踊っていました。
気がつけば朝までモッズ達と一緒に踊ってました、、、

ファッション、音楽、そしてダンスイベントへと足を踏み入れて、次はスクーターだなぁとボンヤリと考えていたら、イベントの時にスクーターを売りたがっている人と知り合いました。その人がウルトラマスターというモッズブランドのオーナーで大橋さんという人でした。
モッズイベントも主催されていて180 SSというマニアックなベスパを50万円で売っていただく事になりました。
すぐに中免を取りに行き、大橋さんにベスパを譲ってもらいました。

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※ベスパ180SS



m:身近な方で趣味の合う松元さんとの時間がよりモッズへの興味を奮い立たせ、フェイシング経由をキッカケにモッズシーンへ出入りされる事になるのですが、当時の東京のシーンまたは何か面白いエピソードがあれば聞かせて下さい。


K:当時、東京モッズシーンは第二世代へと移行していってた時期だった気がします。
70年代後半からシーンを盛り上げてきた "March of The Mods" や "Mods Mayday" の主催者 ・黒田マナブさん、コアなオリジナルモッズ目線での様々な解釈を "whisky a go go"(以下ウイスキー)や "sir FACE" といったフリーペーパーの発行で表現してきた Blues Dress・田中さん達が中心になって動いていたと思います。

東京に来て最初の頃はロンドンの60s古着を着ていました。よく行っていたデビッドクロージング(現在は原宿へ移転)は今も常連です。
ナンバースや他の連中は並木というテーラーでスーツをオーダーしていました。身体のラインに合わせた極限タイトな細いスーツを着ていて格好よかったです。
とにかくモッズは痩せなきゃいけないんだと思い、それからは仕事が終わってから10kmぐらい走って身体を絞っていき、一番痩せた時で60キロになった時もあった。(現在は70キロがベストで、油断したら2、3キロオーバーする時も)
ナンバース以外にも沢山モッズがいて皆んな格好よかったです。
その中でも "S" というグループは斬新でシーンの中でもかなり異色な存在で僕自身もかなり影響を受けました。
月1開催のウイスキーでキラキラした存在で、ダンスやイベントを上手に盛り上げていました。
Sは6人くらいだったと思います。オーダーのモッズスーツを着てスクーターに乗るという概念を取っ払った斬新なアイデアでモッズライフを楽しんでいたと思います。
モッズメーデーに運転手付きのリムジンで登場したりTシャツやブカブカの服に身を包い、足元はスニーカーでイベントに来ていました。
いま考えると20歳ぐらいの若者には、スクーターやスーツをオーダーして楽しむ金銭的余裕はなかったのだと思います。
当時シーンで1番熱かったのがブルードレスです。
モッズを教育するフェイス達のグループでとにかく凄かったのです。なかでも力を入れていたフリーペーパーsir FACEは毎月一回発行。20〜30ページとボリュームもあり、細かな誤字脱字や文章構成を何度も皆んなでチェックを繰り返す…スタッフの熱い想い(何日も徹夜になる事も多い)で、ボランティアで作成しているなんて普通の人では考えられない書店に並んでもおかしくないクオリティでした。
モッズを四角い箱に例えた永遠のテーマ、リアギャルドとは?などを訴えかけたのもこのフリーペーパーでした。
ダイレクトに影響を受けて産まれたニュージェネレーションが先程も紹介した S というグループではないのでしょうか。

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※ブルードレスが発行していたフリーペーパー<sir FACE>

僕も少なからず影響を受けた1人で、いつだったかsir FACEへの熱い想いが高じて、1度ウォッカを片手に手伝いに行ったことがあります。その時は誰かの誕生日でお寿司などが用意されてましたが、勿論ウォッカとか飲むような雰囲気ではなかったです(笑)

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※<sir FACE>の誌面より

当時の僕は大手建設会社に勤めていて収入もそこそこあったので、ブルードレスもオススメする麻布のボストンという最高級テーラーでオーダースーツを作っていました。
ダンスの技でスプリットが(開脚をする技)できるようにストレッチ素材の生地でスーツを作ってました。
もちろん仮縫いというミシンをかける前の寸法合わせを行う儀式では、あと何ミリ小さくして欲しいとか、さらば青春の光でジミーがテーラー屋でやってるようなことを言ってました。(笑)
ボストンテーラーの主人にはお世話になりました。
また、ボストンテーラーでスーツをオーダーできる様な人生が送れたら最高です。
もし実現するならば、ダブルの襟が大きな太めのスーツを作りたいです…

東京で7年ぐらい仕事しながらモッズライフを楽しんでいましたが、いつからかブルードレスはファッションブランド(ユニットと同名Blues Dress)をスタートし、原宿に店舗を構える事になりました。洋服屋さんになっても毎週ウイスキーアゴーゴーを開催されてました。

他にもお世話になったナンバースの根本さんやCAMELさんは、 "PHELGE" というローリングストーンズ初期の音源を中心とするバンドを組み大活躍していました。PHELGEが演奏する時は必ず最前列で踊ってました。メーデーでバックダンサーしたり、2000年の福岡モッズメーデーへ出演が決まった時は、ワンボックスカーを僕が出して皆んなで遠征したりもしました。
最終的にはCAMELさんの引越しを手伝うというレアな仕事もしました(笑)

おまけですが、東京モッズメーデーでマナブさんのマイクを奪い自己主張をする不届きものでした(笑)

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※<sir FACE>の誌面より



m:東京ではNAMEというグループに所属されていたと聞いておりますが、メンバー、活動内容、面白いエピソードなどあれば教えてください。

K:東京・町田を中心に活動するグループ(モッズサークル)でフリーペーパーを制作して楽しいモッズライフを提案してました。
メンバーは、1つ下の佐藤くんがリーダーで同じ歳の山田嘉一、会田くん、1つ下の前島裕一くん、そして僕の5人が中心で活動してました。

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※NAMEのメンバー


活動内容は、毎週末に東京町田か笹丘(新宿の隣の駅)に集まってました。
<コンバージョン>というフリーペーパー発行してまして、内容はリアル小説というか文学的なモッドを提案というか個人の考えを文章にしたりなど様々でした。
休みの時は、皆んなで美術館に行ったり、罰ゲームありきのゲーム(女装してスクーターに乗る)とか、夜のイベント以外にも、とにかく一緒に時間を共にして遊んだファミリーのような感覚でした。
時々ゲストで女の子や他のモッズの方を交えて飲み会やミーティングを積極的に行ってきました。

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※NAMEのメンバーと江の島にて(2000年)


クラブを借りてダンスイベントなども不定期ながら開催してました。(5〜6回ぐらい?!)
ジャンルはリズム&ブルースは勿論ソウルなどもプレイ。YMOや80s物など幅広く、LPなども使ってメンバーそれぞれが自由にプレイしてました。

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※NAMEのイベントにて


m:2002年に地元福岡に戻られる事になり、その翌年からイベントNAME GAME、モッズメーデーのオーガナイザーを始めることになりますが、当時のメンバー、活動内容、福岡のシーンについて聞かせてください。

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※カンタさんのランブレッタSX200

K:1番初めは少し驚きました…
博多のモッズは、クールな東京のモッズと違い、親切で優しく熱く沢山酒を飲む印象でした。(笑)

当時は、仕事も一段落して時間を持てるようになり、そろそろ自分がやりたいモッズイベントを企画したいなぁと試行錯誤していました。
そして60sダンスイベント <NAME GAME> をスタートしました。
実はタイトルを命名していただいたのはブルードレスの田中さんだったと思います。

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※NAME GAMEの初回イベントのフライヤー

メンバーは当時ソウルドレッシングの西田、90年代初期の東京シーンにも出入りしてたヒデさん、スカ・ロックステディなどが好物の顔もジャマイカンな若手の内田、そして僕の4人でスタートしました。(DJではありませんが現在は僕の妻でもあるモガちゃんにもサポートして頂きました。)

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※US-UK主宰のイベント“Hit&Run”とのコラボイベントのフライヤー

リズム&ブルース、ノーザンソウルを中心にスカ、ブリティッシュビート、ガールズグループなど様々。
記憶が曖昧ですが、最初はイギリスでモッズが終わった66年までと意識してましたが、途中からノーザンソウルをかけるようになり70年ぐらいまでの音源をプレイしてました。
オリジナル盤などの規定はありませんでしたが殆どをシングル盤でそれぞれが得意分野に合わせてレコードを収集してました。
担当分けは話し合って決まった事ではなく、暗黙の了解でそれぞれが他と同じにならないように気をつけてました。

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※モガちゃんが在籍してたガレージバンド“マーブル”

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※オルベラの2人(左、右)と真ん中はカンタさん

モッズメーデーも同様、NAME GAMEのメンバー&モガちゃんの5人で日頃の積み重ねの集大成として年に一度、皆と協力して頑張ってやってきました。

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※年始ツーリング 太宰府天満宮付近にて

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※モッズメーデー福岡2003年~2007年のフライヤー
出演者を見るとジャンルも幅広く福岡らしさが出ている


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※モッズメーデー名古屋2005にて
左)fame the mod、中)モガちゃん、右)カンタさん


m:出会った時からダンスがお上手な印象でした。自身のイベントでもあるNAME GAMEでもカンタさんのダンスに釘付けだった方は多いのではないでしょうか?


C:当時は、ダンスは自己流でした。練習は、家で踊り、スタジオや、野外でアクロバットの練習をしてました。
体を動かすのが好きなので何時も同じ事を繰り返してた様な気がします。
その当時はまだダンスレッスンは、やってませんでしたが、イベントの最中にそういった曲に合わせて教えてました(ジルバやラインダンスなど)。

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m:その後渡英された際のダンスコンテストで優勝されたエピソードは有名なお話ですが、日頃からのダンスに対しての取り組みと、イギリスの時のお話を聞かせてください。


C:新婚旅行でイギリスに行ってクリスとえっちゃんの案内でクリートホープスウィークエンダーという3日間昼夜踊れるイベントに行ってきました。
初日の夜にコンテストがあって参加者は、50名くらいで生き残り戦みたいな感じでした。
一曲づつメダルを首にかけられた人が勝ち残って3曲目で優勝しました。
ダンスコンテストはその場の空気感で意思のある者が自由にエントリー出来、会場には気合いの入ったモッズも沢山いましたが、僕が最初からバリバリ踊ってたのもあって、遠慮してフロアに入ってこれなかったのかもしれません。
ノーザンダンサーと言えるようなダンサーは、10人もいなかったと思います。

日本と違って変な人(面白い人)も沢山いました。
車の窓を開けて爆音でノーザンソウルを流してる人や、相撲の着ぐるみを着た人、僕がロンズデールのTシャツを着てたら「お前はロンドンから来たのか?!」と話しかけてくる男性もいました。(笑)

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※カンタさんのダンスにはオーディエンスも釘付け!


m:現在は40'sスタイルのスイング、ジャイブなどのペアダンスなどの講師、イベントの主催をやられておりますがどのくらい前からそういったスタイルに移行されたのでしょうか?


C:妻のモガちゃんと福岡で知り合って、ペアダンスをやることになりました。
多分それが2005年ぐらいと思います。
2013年頃から東京の<アモーレ&ルル>* というインストラクターにプライベートレッスンを毎年受けてます。

ダンスも基本が大事だと思います。使わないと忘れてしまうので、沢山踊って身体に染み込ませるのが上達への早道だと思います。あと、研究も日々欠かさずすることが大事だと思います。

注釈*<アモーレ&ルル>
Lindy Hopのインストラクター東京で毎週2回レッスン開催中、毎月開催されたダンスイベントSWING JACKは、15周年を迎えた。日本のLindy Hop DANCEシーンを牽引し続けている。
毎年5月のゴールデンウィークに3日間開催されるMOOD FOR SWINGは、海外から最も旬なインストラクターを迎えてワークショップ、コンテスト、パーティー、レイトナイトと寝る間を惜しんで全国のDANCERが楽しんでる。

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※主催イベント『GIVE ME THE SIMPLE LIFE』の風景

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※『GIVE ME THE SIMPLE LIFE』のフライヤー。



m:お子様も含め子供達に野球も指導されてたとのことですが、改めてお子様のご紹介、野球に対しての情熱を語っていただけますか?

K:息子は12歳で健人(ケント)といいます。
シャイですが6年生で1番走ることが出来ます。長距離・短距離どちらも得意です。
野球ではライトで1番を打ってます。ソフトバンクの上林が好きみたいです。

野球の指導者としては、
子供に絶対手を出さない。
練習を楽しく進行する。
子供の意見を聞く。
全員の役割があって出来た喜びを感じてもらう。筋トレ、ストレッチを積極的に行う。
みたいな気持ちでやってました。

実際は子供達を甘やかしたので次の世代や、中学での受け入れ先の方が苦労しないか心配です(笑



m:最後は皆様にお決まりの質問をさせて頂きますが、あなたにとってモッズとは?


K:まさに自分です。



m:本日はありがとうございました!


◆プロフィール

阿部寛太(GIVE ME THE SIMPLE LIFE)
1977.3.6 生まれ。
福岡工業高校卒業。

これまで乗ってきたスクーターは
Vespa 180SS
Vespa 125GTR
Lambretta SX200

1997〜2001:東京モッズシーンで遊ぶ
2000〜2002:NAMEでの活動
2002〜2008:NAME GAMEを福岡で2ヶ月に1度・隔月開催
2003〜2007:モッズメーデー主催
2015〜現在:Lindy Hop ダンスイベン "GIVE ME THE SIMPLE LIFE" 開催中

☆ダンス講師として毎週日曜日レッスン開催中
※詳細は直接インスタグラムメッセージにてお問い合わせください

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■インタビュアー:fame the mod(コウジ)/モジュール

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