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山口離れるの寂しいって?

こんばんは。モデキです。
お久しぶりです。
酔いながら書いてるので、支離滅裂な部分はご了承ください...ごめん。

前回の投稿から時間があいてしまったのは、
①勢いがないと書けない ②単純に時間がなかった
この2つが要因です、ごめんなさい。
(毎週何曜日とか決めたほうが書くのかな?)

最近友達と話してるときに、ふと気づいたことについて、
今日は書きます!!!

ハンガリーのこと覚えてる?

この前、友達と話してるときに、

「山口離れたくないな、寂しいな〜」って話したら、

「それって、山口じゃなくてここに今いる人と離れたくないんじゃないの?」

本質を突かれたような返事をもらいました。

たしかにそうだよな〜って思って、今までも割とそうだったのかもしれないなと、思ったんです。

僕は大学2年の夏から3年の夏まで、東欧のハンガリーに住んでたんですが、
そこでもホントに多くの出会いがありました。

もちろんハンガリーに魅力はあったし、この景色を見れなくなる、こんなに美味しいもの食べれなくなる、って悲しみはあったけど、それ以上に、今まで当たり前に一緒にいた人と会えなくなるってことが、大きかったんじゃないかなって、思うようになりました。

ハンガリー人の友達はもちろん、現地で仲良くなった日本人だったり、同じ部屋で一緒に住んでたルームメイトだったり、出会いの数だけ別れがあるのはホントなんだなって、そう思うんです。

人の存在意義

最近なんか楽しくて(夏休みだから笑)、いろんな人といろんなところに行って、話したり、笑ったりするのが、自分の人生の中の、貴重な時間だなって思うようになりました。

誰かと一緒にいる=その人と時間を共有してる

ってことなんじゃない?って最近思う。

個人的に、一人よりも誰かといる方が好きで、
誰かと一緒に笑いたいんよね、ずっとずっと。

山口に来なかったら、
山口大学に入らなかったら、
ハンガリーに入学しなかったら、
今のバイト先に入らなかったら、
出会わない人はたくさんいると思うんです。

逆に言うと、もしこうしてたら、すごく面白い人と出会えてたり、
あのとき、こうしてれば違う人生になってたかもしれない。
こういう言い方もできると思います。

自分自身が、この人と出会ったことに意義があるって、
それがどんな人であっても、
ちゃんと意味があるって思いながら生きると、
その瞬間瞬間(そのときにはそう思ったりしないかもだけど)が、
大切すぎる時間なんです。

3月になるまで

山口大好きになったよ。
受験するまで来たことなくて、(さいたまにずっといたから)
そんなに知らなくて、
でも、いい場所だなって、いまだったら断言できると思う。

ここを離れるのが寂しいのはホント。
それよりも寂しいのはみんなと離れることなのかも、
気軽に会えなくなるし、飲みにもいけなくなるし、
今みたいな生活はできないかもしれない。
(社会人忙しいよね絶対。)

だから、3月までみんな一緒に、いろんなところ行こ!

PBL(僕の学部の卒業研究)も、
部活(ワンダーフォーゲル部入ってた)も、
国総の友達も、
卒業するまで、3月になるまで、
いろいろぶつかって、喧嘩して、泣いて、笑って、怒って、
感情全部出して、それで卒業していくんだと思う。

いまいろいろあっても、それは全部自分にとって貴重なことだし、
自分にとっての課題だし、挑戦だし、経験だし、
乗り越えなきゃいけないものだと思う。

こんな僕ですが、どこでも行くので、
みんな遊んで、時間を共有してくれると、
喜ぶので、ぜひおねがいします。

長くなってすみませんでした。笑

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*表紙写真はPBLでお世話になってる、周防大島にかかる橋からの夕日
*文中写真は、2019年8月16日の周防大島花火大会2019の1枚

みんな遊ぼうね!!(ココまで1534文字)

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