メキシコで感じた事

2週間メキシコに行ってきた。具体的にはハリスコ州のグアダラハラという都市とその周辺に。主にテキーラの蒸留所巡りと街の観光が目的だ。

テキーラエクスプレスに乗った話やアガベ畑でヒマドール体験をした話、そして蒸留所を巡った話などはまた改めて書くとしてここではメキシコで感じた「生きる」ということについて書いてみようと思う。

グアダラハラの街で食事をしていて一番驚いたのはお店の中にあからさまに客ではないとわかる人が入ってきて物を売ったり物乞いをしたりしてくることだ。店員もそれを見ても特に何も言わない。あまりにしつこいと「もういいだろ…」的なことは言うが基本的にその行為自体は容認している。街中で身体に障害のある人が物乞いをしている姿も何度も目にした。日本ではそこまであからさまな光景を目にすることはない。

自分は常日頃から“生きること”についてよく考えている。生きることについて考えるということはイコール“死ぬこと”について考えるということである。「死んだらどうなるんだろう?」「死にたくない」物心つく前の幼稚園児だった頃から考えていたことだ。それは今でも変わらない。

メキシコに滞在して1週間を過ぎた頃。ふとメキシコに着いてからというもの“生きること”について考えることはあっても“死ぬこと”については考えていないことに気がついた。それはもしかしたら初めて訪れたメキシコという土地に慣れていなかったからなのかもしれない。言葉もカタコトしか話せず右も左もわからない不慣れな土地で“生きることに精一杯”だったからとも言える。そして街中の至るところで“生きることに精一杯”な人たちを目にしていたことも自分の思考に影響を与えていたはずである。

日本にいるときふと“死ぬこと”について考えてしまうこと。それは生きることに精一杯になっていないということなのかもしれない。

死ぬことについて考えている時間などない。生きることについてだけを考えて生きて行こうと思う。それこそが満足の行く死を迎える最善の方法なのではないだろうか。

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