お金を使ってストレス発散

お金を使ってストレス発散する人の気持ちが最近わかるようになってきた気がする。今まではその気持ちは全くわからなかった。そもそもストレスを感じたことがないのでストレスというものが何なのかさえわからない。いや何となくわかる気はするのだが…。

最近無意識に無駄遣いをしていることが多い。街を歩いているとふとコンビニに立ち寄り「ドリンクでも買おうかな?」と考えている自分がいる。特に喉が渇いて水分を欲している訳でもないのに。なんとなく何かを買いたい。この気持ちはなんだろうと考えたとき「もしかしてストレスの現れなんじゃないだろうか?」とふと思った。結果的には何も買わなくてもイライラすることはなく時間が経てば買おうとしていたことさえ忘れているのに。

買わなくても良いものを買おうとしているのは何故か?

買わなかった後にイライラするということであればやはり「買いたい」という気持ちは直接ストレスの現れであるとも思えるのだがそうでもないということは原因はストレスではないとかもしれないと思った。こうなると買わなかったあとの気持ちを考えても仕方がないので買おうと思ったときの気持ちを考えてみたい。

ここではわかりやすくコンビニでジュースを買うという行為について考えることにする。「コンビニでジュースを買いたい」と思う。その思ったときの状況としてはこうだ。何となく時間があったり考え事をするために街を歩いている。「うーん何かしよう」と考える。手っ取り早く何かをするという選択肢のひとつに「何かを買う」という行為が思い浮かぶ。何故だ?何かを買わなくても「何かしよう」の答えはいろいろあるはずだ。逆立ちをしてもいい。突然何かに向かって走り出しても良い。誰かに話しかけたり電話をしても良い。しかし「何かを買う」という選択肢には他の選択肢にはない何かがあるはずだ。

誰かに話しかけたり電話をかけたりする行為は時として相手に迷惑をかける行為にもなり兼ねない。これは避けたい。しかし逆立ちをしたり突然走り出すのは誰にも迷惑はかけない。ただ奇妙には見られるかもしれないが。そう考えると「何かを買う」という行為は誰にも迷惑をかけないし奇妙にも見られない。しかも自分に何かを与える行為なのでほんの少しだけではあるが「買う前」と「買った後」の変化を感じることができる。そう思うと要は変化が欲しいということなのかもしれない。

変化が欲しいということは現状に満足していないとも言える。「満足していない=ストレス」と考えると「何かを買う」という行為はやはりストレスを発散しようとしているとも考えられる。

ここで大切なことは「ストレスを発散する必要があるのか?」という疑問だ。コンビニで何かを買わないことによってストレスが溜まる訳ではない。前述したようにものの数分もすれば買おうとしていたことさえも忘れてしまう。一時のストレスに心を奪われてはいけないということである。

無駄遣いとストレスの因果関係が判明したところでそろそろまとめに入る。

無駄遣いを強制的に止めるために財布を持つのを止めようと思っている。ケータイひとつあれば日本全国どこへでも行けるし空腹で仕方がない場合は少なくともコンビニに行けば電子マネーも使える(使えてしまう)。生きて行くには困らないような気がする。財布を持たないということはクレジットカードも持たないということだから余計な出費や無駄遣いもしなくなるしそもそもできない。ということで先ずは一週間の半分くらいから初めてみようと思う。

週の半分くらいは財布を持たない生活をすることをここに宣言します!

なので、飲みに誘ってくれたとき「今日は財布を持っていないから奢ってもらってもいい?」と言っても怒らないでね。

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