悔しさの共有が私の原動力
高校生の時に剣道部で試合をした。男子と女子それぞれで試合をした。
試合の後に、私の前に正座しているマドンナの様子がおかしい。
観察すると、彼女は不本意な負けを喫して悔し涙を流していた。
かわいいお顔とは裏腹に闘争心が強いと感じた。
彼女はその後、大会で満足の行く勝利をした。
私は職場で若手の育成に携わっている。
ある時Tさんという男性がミスを繰り返すので、ミスの本質は
「甘えと依存やないか?」と諭すと、彼の心が動揺して心で悔し涙を流すのを感じた。私も心で泣いた。
Tさんは、思考回路を洗練されて二度と同じ過ちをしなくなった。
私は若い頃、意中の女性に振られた。帰宅して泣いた。
その後思考回路を改めて家庭を築いている。
私は勝利する前に悔し涙を流している。
私は日常生活で、心で悔し涙を流す仲間を感じると私は
「君らしくないな。」と言う。それだけで伝わる。
その後仲間は、勝利し私に満面の笑みをされる。
この悔しさの気づきが、私の原動力だ。
今日も心を研ぎ澄まして傷ついた心をいたわっている。
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