きっかけの日

私が、ネット上でしりあいでもない人々に自殺へ向かうこころのメカニズムについて書くようになった、ひとつのきっかけの日が12月18日です。

2年前のこの日、神田沙也加さんが、札幌のホテルで投身自殺をしました。

最初に自殺報道をみたのが21時、亡くなったという情報が出たのは23時ぐらいだったか、私はきっと助かるのだろうと思い込んでいたので、この日の21時以降のすべてがいまだに信じられずにいます。

助かると思い込んでいた理由は、彼女が人の羡む全てを持っているように見えていたから。何かうまくいかないことがあったために、少し世間を騒がせようとしたのではないかと思っていました。

けれどそうではなかった。

彼女はほんとうにすべてを悲観し、人生を終わらせてしまったのでした。

日本はなんておそろしい国になってしまったのだろうと、心の底から思いました。彼女が生きていることは日本にとってメリットのほうが大きいはずで、彼女が亡くなって喜ぶのはどう考えても良い人格の人間ではないだろうと、誰でも思ったのではないでしょうか。

少し前の記事で、身近な人のアドバイスも納得できなければ疑うべきだと書いたのは、神田沙也加さんのことでもあります。逆に言えばそれさえできたら、死にたいと思わせられるような環境から抜け出すチャンスをつかむ可能性が出てくるはすだと、何度もそのことを考えさせられました。

私から見た彼女は、生まれたときから35歳で亡くなるまで、ずっと美しく聡明で、あまりに完璧すぎる人生のように見えました。死にたいほど追い詰められてしまったなら、すべてをシャットアウトして逃げても良いのだと、そう声をかけられる立場にいられたら良かったと思いました。

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