山茶花

自己肯定感0だった毒親育ちHSP女が自分の頭で考える事を覚えた為、日々の気付きや学びを書き始めてみた。 自分を構成する要素として大きいのが深く考える性質だと気付き、考えを書き出すのが今の習慣。

山茶花

自己肯定感0だった毒親育ちHSP女が自分の頭で考える事を覚えた為、日々の気付きや学びを書き始めてみた。 自分を構成する要素として大きいのが深く考える性質だと気付き、考えを書き出すのが今の習慣。

最近の記事

買い物したら袋は要らないですね?と何故か決め付けられてモヤモヤした話

※ただのモヤモヤデトックス。 某オタク店舗での買い物時、個人的に初めてのサービスを体験した。 買い物をすると、有料の袋は要るか/要らないか聞かれるものだが、私はこれが地味に苦手だった。 (日々あーだこーだ色々な事を考える事で決断力が枯渇しがちな為) そんな客に袋の要/不要の判断をさせまいという新サービス。 「有料のレジ袋はご利用ですか?」でも 「このままのお渡しで宜しいですか?」でもなく、 「このままのお渡しで宜しいですね?」 と、確認の面倒を省き一方的に決め付けてく

    • 〈脱・泣き寝入り体質〉不当な扱いをされたらその場で解消し後に持ち越さない。負の連鎖を生まないこと。

      理不尽な事って沢山あるよね。 そういう理不尽な扱いを受けた時などに、 そもそもの原因を作った張本人に対して、 怒りや不満をその場ですぐ相手に主張できない〈泣き寝入り体質〉だと、 後から自分の勇気の無さに自己嫌悪したり、八つ当たり出来る人に八つ当たりしたり、やけ食いしたり、ストレス買いしたり、負の連鎖が生まれてしまう。 この負の連鎖を生まない意識がめちゃくちゃ大事だと思う。 そして、その場で負の感情を対処できなかった場合に、他者を巻き込んでそれを解消しようとしてしまう行為(愚

      • 生きる事に絶望しない為の言い訳を作るのが大事だと思っている

        ミニマリスト筆子さんのブログの「いかに物が私たちの時間を奪っているか?」という記事の〈自分の信じる物語の為に人は行動する〉という内容を読んだのをきっかけに、そこから生きる理由付けを考えてみたよ。 生きる事に絶望しない為の言い訳を作る事が、生きづらい世の中を生きる為に重要なのかも。 「目標」とか「夢」とか、必ずしもキラキラしたポジティブワードを掲げる必要はないと思う。 (というか私がポジティブ!前向き!を感じさせるワードが苦手なだけ) そして自分が理想とする物語を頭の中に常に

        • 叶わない事を諦めるのは絶望ではなく、執着する苦しみから解放されて自分の幸せを見つけようと前に進む事

          ちきりんさんの書籍「ゆるく考えよう」の14ページを読んで考えた事。 自分では叶わない事や諦めるしかない事に対しての向き合い方を早い内に知れた方が、穏やかに生きられる時間が増えるよねって話です。 「諦める」って、 「本当は望んでいるのにそれが叶わなくて不幸」とか「かわいそう」みたいなネガティブなイメージがあって 逆に「諦めない」は、 「ひたむきに努力し続ける姿が美しい」とか「健気」とか「無謀でも可能性が有るなら続ける事が美徳」みたいなイメージがあるんだけど、 「諦めない事」を

        • 買い物したら袋は要らないですね?と何故か決め付けられてモヤモヤした話

        • 〈脱・泣き寝入り体質〉不当な扱いをされたらその場で解消し後に持ち越さない。負の連鎖を生まないこと。

        • 生きる事に絶望しない為の言い訳を作るのが大事だと思っている

        • 叶わない事を諦めるのは絶望ではなく、執着する苦しみから解放されて自分の幸せを見つけようと前に進む事

          ある時から全然スポンジが泡立たなくなった理由が分からないという話

          noteを書く様になってから、毎回真面目な事考えるのも大変だわー。と気付いた為、頭を休める為にもしょうもない内容でも良いかと思い、しょうもないけど考えたり印象に残った事も書いてみようかと思った次第。 最近というか少し前から、どこの店で買っても食器洗い用のスポンジが全然泡立たなくなった。なぜ??? スーパーで買ってもドラッグストアで買っても百均で買っても、とにかく全然泡立たない。 何回洗剤をプッシュしてもマジで泡立たなくなった。 世のスポンジが全て改悪されたの?ってくらい泡が

          ある時から全然スポンジが泡立たなくなった理由が分からないという話

          前に進みたくて、「自分の個性だと思い込んでいた存在」を捨てた。

          それは、学生時代に好きになったロリィタ服の事。 お姫様の様な夢の世界観に一目惚れして、 少しづつ買い集めて着て出掛けた。 お茶会やイベントに参加したり同じ趣味の子と一緒に出掛けて遊んだり、 見ず知らずの人に「素敵なお洋服ね」「可愛いね〜」等とよく声を掛けてもらえて嬉しかった事を覚えている。 ここ数年、 自分のやりたい事とは? 理想とする暮らしはどんな暮らしか? 自分の時間をどんな事に使いたいか? その為にはどうしたら良いか? こういった事を沢山考える様になって、去年から断

          前に進みたくて、「自分の個性だと思い込んでいた存在」を捨てた。

          「自己犠牲を美徳とした物語」に洗脳されてきたけど「都合のいい存在で居ろ」を美しく言ってるだけでしょ?

          アニメや漫画等フィクションの物語では感動的で美しく表現されるけど、 現実世界では自己犠牲を実行した人だけ損を押し付けられて恨みや怒りしか生まないよねって話です。 美しいフィクションで主張するけど、 「さあ、あなたもこんな風に自己犠牲して、人として清く尊く美しい生き方をしましょう」みたく提唱するけど、 言い方・主張の仕方が綺麗っぽいだけで、要求してる事は「都合のいい存在で居ろ」って事でしょ。 小さい頃に読まされる絵本だったか教材みたいなのから既にこういうのだったなと。 アニ

          「自己犠牲を美徳とした物語」に洗脳されてきたけど「都合のいい存在で居ろ」を美しく言ってるだけでしょ?

          自分が嫌いだったけど、コツコツ積み重ねてきたら自分嫌いはどこかに消えてた

          自信は付けようと考えて付くもんじゃなくて、 試行錯誤してコツコツ努力を積み重ねてきたら、 いつのまにか付いてるんだなと実感した。 小さい頃から自分を肯定的に見てくれる人が誰も居なくて否定しかされなくて、当然の様に自分が嫌いだったんだけど。 自分の頭で考える事を覚えて、 自分の心と向き合って、 弱い 惨め 恥ずかしい カッコ悪い そういう直視したくない自分と向き合う事をしてきたら、 認めたくない部分を自分で攻撃する事をやめたら、 こんだけ散々な目にあってきたのに、 ずっ

          自分が嫌いだったけど、コツコツ積み重ねてきたら自分嫌いはどこかに消えてた

          「手抜き」とか「ズボラ」ってワードに反発を覚える様になった。

          あ〜今日何食べれば作れば良いのか何も思いつかないわ〜 と、 めんどくさい中YouTubeや献立アプリ探すと山の様に出てくる 「手抜きおかず」とか「ズボラ飯」とか「ズボラ弁当」とか。 本来ならきっちり全部やるべき事をやらずにサボっている そしてその作り手が悪い と無意識に感じさせられるワードというか。 同時に思うのが、 日常の色んな事をこなすのに必死にさせて、 本当に大事な事に気付かせない仕組みが出来てると思った。 会社に属さず自分で収入を得られる様になりたくて、 得意だっ

          「手抜き」とか「ズボラ」ってワードに反発を覚える様になった。

          〈人を思考停止させ、支配するには自己肯定感を奪う事〉。そうやって支配されてきたと気付いた。

          生まれガチャ外れは、外での人間関係を難なく出来ない事が多いから更に孤独になり、心を病んだりひきキニートになったりする。 力が上の男の場合は、自分より力の弱い女への暴力で自身の思い通りにならない不満や怒りを発散させたりする。(父親、パートナーがそのままそうだった) 自分には価値がないと人生スタート当初から思わされているので、屑人間や自己中人間に不当な扱いされても それが当たり前なので反発もしない。 結果、良い様に利用される。 更に自己肯定感が低くなる。 けれど、屑人間は野放し

          〈人を思考停止させ、支配するには自己肯定感を奪う事〉。そうやって支配されてきたと気付いた。

          自分の努力でどうにかなると思わされ過ぎじゃない?あと何でもかんでも「自己責任」にされすぎじゃない?

          「もっと早く気付けばよかった」と自分より若い人が言っていると、 「自分はもっと気付くのが遅かった」 「時間を無駄にした」 「人生損した」 って落ち込みそうになるけど、 自分の力ではどうにもならなかった事なんて有り過ぎるから、そこに対して落ち込むべきじゃない。 と、最近になって思える様になった。 1番最初の親ガチャ、育った家庭環境、性格、出会う人、時代、タイミング、 全部がコントロールが及ばないもので、 この沢山の要素が合わさり、自分だけの経験が出来上がった。 これが自分の

          自分の努力でどうにかなると思わされ過ぎじゃない?あと何でもかんでも「自己責任」にされすぎじゃない?

          浮かんでくるのは全部ほんとの気持ちだから、良い・悪い分類しないで全部承認だけでいい

          いわゆる毒親の父親・母親と久々に接して思った事。 許すとか許さないとか、白か黒か、1か100か、 これまでとにかく極端思考で生きてきたんだけど、 その人の全部を悪だと思うのに必死にならなくても良いと思った。 その人を悪だとレッテル貼るのに懸命にエネルギー消費したくないなって思った。 自分が年老いて弱ってきたからって優しくされたいなんて、どれだけ自分勝手なの??って思うのよ。 これまでの事なかった事にしようとするなよって思うのよ。 けど、至らなかったけど愛情が皆無だったとも

          浮かんでくるのは全部ほんとの気持ちだから、良い・悪い分類しないで全部承認だけでいい

          考えまくって心を壊したけど、今は考えまくって心を癒している。だからnoteを始めてみた。

          思っていることの言語化が苦手な私が、 なんでわざわざnote書こうと思い至ったのかというと、 自分を構成する要素として 絶対に大きいのが考えまくる性質で、 それはいっつも自分を苦しめてきた邪魔な存在で、 人からは「考え過ぎ(笑)」とか、 面倒くさくて人生損してる可哀想な奴 扱いされたり、 アドバイスを装った見下しされたりするばかりの、 とにかく足を引っ張る邪魔な性質 だったんだけど、 それは、私の性質を「劣ってる」と決めつけて 見下してくる人間しか身近に居なかっただけで、 自

          考えまくって心を壊したけど、今は考えまくって心を癒している。だからnoteを始めてみた。