キラキラネームが持つ問題

昨今話題に上がるようになったキラキラネームであるが、一体なにが問題であるのだろうか。
読者が、目の色をかえてあれとかあれとかと列挙しているものを私が代弁し列挙してみると、
おじいさんおばあさんになった時恥ずかしい
病院で名前呼ばれるのがそもそも…
面接で不利益を被る
いじめられる、馬鹿だと思われる。同義として馬鹿にされる。などなどであろう。これらも勿論その通りであろうが私は少し違う意見をもつ。
いや、結局は同じなのだが思考の仕方が違う。
勿体ぶらずに私の意見を言うと、
キラキラネームは具体的な形を持ちすぎるのだ。
親というものは子に、こうなってほしいという願いを込めて名をつけるのであるのだから何一つ問題ではないではないか。と言われれば、それはその通りであるが、親程度が想像できる範囲の願いを込めその通りになるように名前にそれを刻むというのは一種の烙印であるとも言える。だからこそ優しく育ってほしいや、愛に満ちた人に育ってほしいだとか人が形を捉えることのできない名前が一般的に評価されがちなのだろう。その子がどう生きるのか分からない状況を分かるように近づける状況というのはあってはならないのである。しかしそれこそその人を簡単に形作る手段として形がはっきりしている名前(今までの話ではキラキラネームを指す)をつけることは別に現代に限った話ではない。あまり常にみられることはないが、どんな人物であるかを簡単に捉えてほしい時はそのような手段を使いがちであった。所謂芸名または源氏名というものだ。それであれば相手に「私はこんな人間ですよ」と簡単に形作らせることは得でしかないため理にかなっているだろう。つまりキラキラネームとはとても職業的でその人の人生における一部分しか表現しきらないため人生単位で考えられている所謂一般的な名前に比べて評価されないのはそれは当たり前であるとしか言いようがない。
人生単位で考えられている名前では壮大すぎてイメージをかたどることが人風情では難しいのだ
それに対し、キラキラネームは名前の割にスケールの小さい名前であるため簡単にイメージが膨らみ簡単にその人のイメージを形どられるのだ
簡単に形どられるからこそおじいさんのイメージがないため恥ずかしいという感情も芽生えるし、
形づくったイメージが滑稽であるからこそ、馬鹿にするのだろう。これこそが私の考えるキラキラネームの問題である

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