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ウェルテル用メモ

※感想を残しておきたい!という思いがありつつ、論じ方がちょっとキショいのであんまり検索とかひっかからないようにしてます

演技

・やっぱり声優さんの生の演技すげ~~~
・えりちのロッテの「無邪気だけど聡明」とウェルテルに評された部分が(嫌と言うほど)よ~~~く表現されていた無自覚に人を魅了してそうな部分もね
・そこ含めると今回の布陣の中でロッテを演じるにあたって一番最適のキャストだったんじゃないかなって個人的には思ってる、他の回見てないから知らんけど

・その他3名の中だと広瀬さんが特にすごかった、一番兼役多かったんだけどいわゆる「山寺宏一さんみたいな七色の声」ではないけれど、逆に声色をそこまで変えずに抑揚やトーンで年齢層や性別の区分けをしていたのが凄かった
・ただ、これが(しっかりと絵としてビジュアルが提供される)アニメとかの媒体だと違和感あっただろうから、ある程度の画を観客の想像に任せる朗読劇という媒体だからこそ活きた技能って感じがしてここが一番朗読劇来た甲斐あるなぁ~って感じた部分

・えりちとあきちゃんが事前に読むの推奨してたの、書簡体小説って前提が無いと分かりづらいからかなぁって、というか手紙の読み主が3人で入れ替わるから序盤は前提知っててもやや混乱した
・でも市川さん(ウェルテル)が市川さん(ヴィルヘルム)の声色とか読み方に寄せてた(ややこしい)から同一人物の手紙として受け入れやすくてそこもすげ~~~ってなった

作品の内容

・うん……まあ……やっぱりウェルテルにはあんま感情移入できんね……
・自分が「身の丈に合わないことはしない」という人生哲学なのでその辺があんま合わんのかもね、まあウェルテルもこっちの考え方嫌いだと思うけど
そ、そっかぁ……(´・ω・`)

・(あくまで今回の朗読劇で描写されたシーンに限るが)上流階級の決めつけたような価値観に対し憤慨するシーンがある一方、自分自身も他者の価値観を迎合できてないよなぁ(その青さ故に”若き”ウェルテルなんかもしれん)

・変わっていく環境、変わっていく街並みを受け入れられず美しき過去に囚われてしまった時点でまあ~詰んでおって、でもこういう「変化を受け入れられない」ことに対して思い当たる人間は多いんじゃないかなぁ~って(自分も)

・ただ、環境の変化のために自分を殺すのが正しいのかはわからん(実際神聖ローマ帝国が衰退していく末期の時代なのであのまま宮廷に仕えてても人生安泰ではなかったかも)し例えそのまま生きた人生が幸福だったのかもわからん、それが余計に後味を悪くしてんな~??

・「歴史にifは無い」とは言うけど今回の物語は「あの時点でああしていたら……」っていうすら無く物語開始時点(もっと言えば婚約成立時点)から詰んでてほんま……ほんま……
・オペラ版ではラストシーンで「実はシャルロッテもウェルテルを愛していた」っていう展開になる作品もあるらしいんだけど、今回のロッテがウェルテルに向けていた感情は兄弟に向ける慈愛とかそういう感じっぽかったので(邪魔者である)アルベルトがいなかったとて可能性は……………

本題

・いや……まあ……嫌な刺さり方するねこれ……?
・同担拒否オタクに刺さる言われてたけど人を推すオタク全般に刺さるねこれ……?
・双方向的でない一方的な好意やデケ~感情というと我々オタクのことがどうしても頭の中をよぎらざるを得ない

・ウェルテルの好きになれんところに「恋は盲目を地で行くところ」「指が触れた、脚が触れたの些細なところに過剰に胸踊らせる」「理想が先行しすぎて思い込みに走る」っていうのがあるんですけどこういうのかつての人生で通ってきた道すぎてアアアアアアアア🤮
・人間関係の「やってんなぁ」を追体験させられるというか紐づいて自分の経験も掘り起こされるのアアアアアアアア🤮

・(あんま見ないから知らんが)普通の恋愛作品が「愛することの素晴らしさ」を描くとすれば、この作品は「愛が持つ毒、呪い」みたいなもんを描いてるよね、愛は正の方向にも負の方向にも原動力になるっていうのが嫌なほど表現されてる

・「求められてない愛って使い所間違うと逆効果だし身を滅ぼす」とも読み解ける内容に関してはなんとも言い難いです、ハイ

・「あなたの気持ちを満たす人は私一人ではないはず」っていう一幕に関しては多推しという安直な手段に逃げている自分としてはほんのちょっと身につまされる思いがしました(小声)

農夫

・こいつこいつこいつゥ~~~!
・作中出てくる農夫はウェルテルの未来の姿であり、
オタクの未来の姿かもしれない🤮

・「この人は報われて欲しい」「その支えに自分がなりたい」という献身から「自分は信頼されている」「自分は他人と比べて特別である」「自分なら他人より相手を幸せに出来る」という無根拠な自我の暴走があって、
傍から見れば「何いってんの??」って話ではあるんだけど推し活というフィールドにおいて自分がその当事者にならないと言い切れるかっていうと、非常に難しくないですかこれ

・オタクの場合は(直接相手と接することが出来る)ウェルテルや農夫と比べて憧れの対象との距離が遠いから一概に同じとは言えないんだけど、
この二人にしても「自分が思っている以上に適正距離が遠い」ことを自覚できていなかったわけで
・対象との直接的な関わりがあろうがなかろうが適正距離を測り間違えてしまうのであれば、ウェルテルも農夫も我々オタクも「求められてない愛を提供する側」という意味では同じ立ち位置まで堕ちる可能性はいくらでもあるのでは?

・尚更えりちの演技に関しては「思わせぶりなムーブ」みたいなのも無く「裏表の無い心からの言葉・行動」に見えるので余計にこっちが勝手に期待して勝手に思いを募らせていった感が補強されててつらァい

・そんで、「イカロスみたいに太陽に近づきすぎるとその身を焼くことになりますよ」って読み取れなくもないこの物語をオタク達は惹かれるような推しの演技で見せられ、終幕後カーテンコールで見目麗しい推しの眩い姿浴びせかけられるんですよね
・無理やん、なるやん、”そう”なるやん
・今回の題材選んだスタッフは悪魔か??
・メフィストフェレスおるんか??

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