新「あいつ今何してる」について

芦田太郎様
突然の投稿で失礼いたします。私は、明年65才となり現在勤める電鉄会社を定年退職する須藤義之と申します。
             メールアドレス nibunno1@outlook.jp
「あいつ今何してる」の番組には、視聴するたびに感動させて頂きました。松坂投手の機会には、私も高校球児だった事もありウイスキーを飲みながら、涙を流して頷くばかりでした。様々なご事情が御座いますと思われますが、新たな「あいつ今何してる」の放送を絶対楽しみに待ち望んでいる1人です。
自己紹介致します。高校卒業後、独立を目指し調理師専門学校へ進学。そこでの夏季休暇、湘南道路を120キロで走るオートバイで対向車と正面衝突して18.5メートル空中を飛んだ身体は、11ヵ所の粉砕骨折でした。合計11回の手術と治療と看護で1年後、自らの足で歩いて退院致しました。調理師学校へ復学、卒業と同時に結婚式場へコックとして就職しました。32才独立へのスタートラインにやっと立つ事が出来たのです。ところが半年後、今度は車で大型トラック3台との激突でした。頭蓋骨骨折の脳挫傷と両足挫滅で医師からは「3日の命、助かっても植物状態」との宣告でした。しかし、奇跡が起こりました。3日で死なずに1週間で目を開け、1カ月で意識を回復してしまったのです。死んだ自分が生きてると実感した時、心の奥底より大歓喜が込み上げました。実は、私の記憶では、回復するまでの1カ月間、全くの空白であります。仕事を終え退社するためエレベーターに乗ったのですが、ここから記憶が無くなり、ある日、深い眠りから目を覚ましたのです。個室のベッドの上でした。私は、何故、ここで寝ていたのか?そして、ここは一体何処なのか?考え続けてました。暫くすると母親が姿を見せたので、私は、直ぐに疑問を投げかけました。母は、衝撃的な言葉を返して来たのです。
「また、交通事故やったんだよ」その言葉に私は、あまりの情けなさと親に対する申し訳なさで愕然と地獄の底に落ち込みました。母は、「3日の命、助かっても植物状態」との宣告から奇跡的に回復した事と交通事故の凄さを語ってくれました。まだ、ベッドに寝たままの状態でしたが、死んだはずの自分に命があった歓びを噛みしめて居りました。母が帰宅し1人ベッドに寝ながら生きてる歓びは、徐々に膨れ上がり大歓喜へと変わったのです。
翌日、部屋に入って来た看護師さんへ私は、1番気にしてることを聞きました。「退院の時期ですが、いつ頃になりますか?」彼女は、こう答えました。「須藤さん、はっきり言います。須藤さんの両足は、事故の時に切断されて無いんですよ」それを聞いた私は、(噓でしょ。だって足の感覚はちゃんとあるぜ)と思いながら寝たままの状態で、毛布を手で剥がして両足に視線を向けたのです。目に映ったのは、太腿半分から下が無い包帯の巻かれた棒状の物でした。それを見た瞬間に大きな衝撃が走り愕然としました。全く信じられない現実だったからです。ところが、前日の死んだはずの自分に命があった歓びの方が、両足の無い驚きより大きかったのです。一瞬の静けさのあとに、私は、「あっちゃー、どっかに忘れて来ちゃった。看護婦さん、知りません?」と質問して居りました。驚いた彼女は、意を決したように私に、意見を言って来たのです。
「須藤さん、こう言う事は、人生の大きな失敗だと思うんです。その原因について色々考えるんじゃないですか」
以下は、それからの私と彼女の対話です。
「いやー、そんな事は考えません。その失敗を経験したから原因は実感してます。」
「では、今、何を考えているんですか?」
「この両足を無くした身体で、将来どのように生きて行くのかを考えるんじゃないですか」
「ええっー、須藤さんて強い人なんですね。感動しました。実は、他の病室にオートバイの事故で、片足を切断した高校生が居るんですよ。明日、連れて来ますので激励して上げてください」
「分かりました。明日ですね。待ってまーす」
部屋から看護師が出て行き一人になった自分は、両足の無い身体で将来を展望するが、何をしてどんな仕事をするか全く思い浮かばなかった。ただ、この両足の無い自分を、世界がまだ必要としてるから生き残ったんだと信じるしかなかった。翌日、両足の無い事実を教えてくれた看護師の畑さんが、片足切断の高校生をストレッチャーに乗せて私の部屋へ入って来た。私は、高校生の彼に「君は、一本か。僕は、二本だ。切断同士、お互い頑張って行こうよ」と励ましながら自らをも激励していた。この20才の時、両足の無い身体で未来を信じて第2の人生を開始したのです。このスタートのフラッグを振ってくれたのが、看護師の畑さんでした。それから約7カ月後の退院の前夜、私は、畑さんへ話かけたのです。
「自分に両足が無いことを言ってくれたのは、畑さんでしたよね。覚えてますか?」
「ええ、しっかり覚えてますよ。だって、両足無いことを告げるのに本当に勇気が必要だったから・・・」
彼女は、ここまで言うと感極まったのか目を真っ赤にして泣き声を抑えながら「須藤さん、まだ、1日早いです。明日の退院の時に思いっきり泣かせて頂きます」と囁いて小走りに部屋を出て行ったのです。退院当日、涙を流した沢山の看護師さんに見送られたのは言うまでもありません。両足義足と車椅子の併用生活。それから社会復帰(印刷会社)。結婚。3人の子供の誕生。仕事の独立。印刷会社設立。社長就任。42才までの自叙伝「命ある限り」を出版。自らの経験を語り、全国250カ所以上5万人へ生命尊厳を訴える。沢山の感想に目を通して行くと自殺未遂を繰り返した中学3年女子から「命の大切さが解りました。もう、絶対に自殺はしません」との決意が書かれてあった。この瞬間、私は、足を無くして生き残ったのは、この彼女のためだったのかと天命を知ることが出来た。何故なら足のある自分が声を大にして生命尊厳を訴えても彼女は、ここまで決意くれるとは思えないから。14年間、会社経営をするが、印刷業界の過渡期でパソコンとコピー機に印刷の仕事を取られ、48才で会社を解散し電鉄会社へ再就職。58才で自らを題材にした恋愛小説「やっと会えたね 巡り愛」上下巻を出版。また、60才までの自叙伝「二分の一になった俺」を出版。
さらに、「いっすーくるまの自虐の極み」というタイトルでYouTubeデビューも致しました。そして、65才定年退職後には、世界へ生命尊厳を語りに行こうと決意しています。本年12月で両足を失ってから44年の歳月が流れます。実は、私の第2の人生のスタートの合図を切ってくれた畑看護師の事が大変に気になって居ります。もう1度会って御礼の言葉を伝えたいと願っています。また、彼女と再会し自らの原点を再確認したいのです。
芦田太郎様 どうぞ、この私の願いを叶えてください。そして、アメリカ版
「あいつ今何してる」の復活放送で畑看護師との再会を、是非、実現させて頂きたいのです。勝手なことばかり書いてしまい申し訳ございませんが、何卒宜しくお願い申し上げます。

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