攻撃的コメントは刃物を振り回すナントカと同じ

前回の投稿で頭がアレな人のnoteにコメントを残したことで不快な目に遭ったことを書いた。あの投稿は自分に対する戒めとして書いたもので第三者の目に触れることは考えていなかった。が、思いもよらず多くの人に読んでいただいた。不快なコメントに苦しんでいる方が多いということだろうか。

自分に対する戒めというのはこういうことだ。記事として残しておけば「仕返ししてやる!」といった気持も抑えられるのではないかと考えたのだ。これは当たっていた。文章にしたことで怒りは何割かはやわらいだ。いきさつを客観的に辿ったことによって、反省すべき点も見えてきたし、相手が取るに足らないカスであることも再確認できた。

反省すべきは「こいつは頭がおかしい」と直感が閃いた時点で速やかにコメントのやり取りを中止すべきだったことだ。離脱してしまうと自分の弱さを認めるようで抵抗があるとか、相手が何か勘違いをしているかもしれないから説明しようとか、そういうことは後で考えればいい話で、とにかく可能な限り迅速に相手との関係を断ち切ることが肝要だった。私が愚かだったのは相手が刃物を取り出して振り回し始めたのに何とか防御できると思っていたことだ。刃物を振り回すキチガイからは逃げるしかない。判断が遅れれば遅れるほど傷が深まるし相手に仕返ししてやろうという憤りも強まる。

離脱して冷静になってみると彼はやはりキチガイだったと評価せざるを得ない。なにしろ自分のnoteが匿名にもかかわらず私の匿名性にイチャモンをつけてくるのだ。ほかにも根拠もなく私を「ネトウヨ」と決めつけ、私のコメントと全く無関係の「自民党ネットサポーターズクラブ」とか「南京大虐殺」といった単語を織り込んで理解困難な理屈を展開してくる。そして汚い言葉で罵倒・侮蔑・・・。

彼は自分自身を途轍もなく頭がいい人間のように思っているらしい。そういうことは思っていても胸に納めておくのが品性のある人間なのだが狂人の倫理は逆であった。恥を知らない。だから何でもやってのける。

また彼の脳内プログラムは粗雑だった。妄想から生まれたレッテルを貼って攻撃してくる。どうでもいい事柄をわざわざ取り上げて嘲笑する。こちらからの問いかけには論点ズラしで徹底的に逃げる。ほとんどこれだけ。罵倒・侮蔑のボギャブラリーは豊富だが基本的なプログラムは単純であった。プログラムに従って言葉を配列しているだけなのだから倦むこともないのだろう。

攻撃的コメントというものは不愉快なものだ。ことに正体が分からない相手に対しては「こちらに落ち度があるのだろうか」「危害が加えられるかもしれない」と心が揺さぶられてしまうから不安がいや増す。が、相手が人間ではなく欠陥プログラムで動く機械だと思えば憤懣も不安も幾分かは薄められる。相手は強大なモンスターでは決してないのだ。卑小で浅薄な正体が分かれば恐れも消える。

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古代中国の思想家・荀子は言った。

傷人之言 深於矛戟 [栄辱篇]

「言葉で人を傷つけるのは刃物よりも深く抉(えぐ)る」という意味に私は解釈している。ちなみに矛と戟は古代中国の武具である。

古代の賢人の指摘は真実をうがっている。言葉での不条理な侮辱、敵意むき出しの攻撃は心の奥深いところまで突き刺す。この傷は生涯癒えないと思う。何十年も昔の残酷な言葉の記憶にチクチク胸を刺される人は多いのではなかろうか。

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