にっき

嬉しい
読んでる間ずっと嬉しくてなんかふわふわした気持ちになる
なんでかな

生理、大丈夫?
痛くなければいいな
苦しんでないかな
生理ってほんとは痛いのは病気なんだって
苦しくないのが正常なんだって
昔は痛い人少なかったのかな
今じゃ生理痛がありふれすぎて病気とも扱われないけど
痛かったらやめるとかそんな選択肢もないんだよね
酷いよね
なんでそんな構造になったのかな、したのかな

おさがりは、妹は別に着なかったみたいなんだよね
保育園はあったかもしれないけど、小学校から趣味も全く違う方向いって服とか僕が着れなくなったらもうリサイクルだったし妹は妹で買ってもらってた
中学からはお母さんのおさがりもらってたな
ほぼ制服か体操服で私服着る機会も少なかったから上下(夏冬合わせて)四セットと+お母さんの借りれば着まわせてた
あとこれ言ったらみんなに驚かれるんだけど、服以外は妹からのおさがりが多い
文房具とか収納雑貨とか
自分で買わなくていいくらい妹から回ってくる
妹は部屋にこだわるけど、僕はあんまりこだわらないから、とりあえず収まればいいやってもらってる
サンダルは家族で回してたりする
回すっていうか勝手に履いたり履かれたりなんだけど
足のサイズ近いからサンダルなら回せる

彼は結構空気読めないタイプだったんだよね
頑張ってはいたけど、幼かったのと知識も浅かったのがあって、知らない間に人を傷つけて人に嫌われてた
もちろん友達だよねって言ってくれる子もいた
小学校の頃は陰口言われてたこともあったみたいだけど、それはそれで別にいいよ、悪いのは自分だしって、気にかけないタイプだったみたい
なんか洗脳かかってる時の彼って結構強くて普通ならいじめととってしまってもおかしくないものでも全く傷ついてなかった
でも、逆に普通なら褒め言葉になるような言葉に傷ついてた
繊細なのか図太いのか、よく分かんないけど、よく泣いてた
よくこけててしょっちゅう怪我してたのもあるけど人前で泣けてた
助けは求められてた
でも、自分を見つけたというか、ほんとの自分について考え始めてからできなくなってた
中学卒業したら死のうって考えてた
その前に死んでしまったけど
僕は彼らの約束を聞いてて、成人までは生きたいね、生きようねって言ってた記憶が微かにあって、最低限それは守りたい、守らせたいって思ってた
当時の成人が二十歳だったから、それまで生きさせたら、あとは自由にさせられたらなって思ってた
今ではそれ以降も生きてみようと思ってる
読み直して、なんかちょっと表現違うなと思うけど、多分これが一番近い

僕一回つづさんに服選んでほしいな
つづさんが選んだ服着てみたい
僕も選んでみたい
会ったらしてみたいこといっぱいある
それまで死なないようにしたい
今はそれが生きがい

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