おめでとうって呪い(エッセイ的な)

丁度入学、進級時期だけど、三月の卒業シーズンからおめでとうって、よく聞くけどそれってあんまりよくないんじゃないかと勝手に思ってる
おめでとうって、呪いの言葉なんじゃないかと思ってる
呪い(まじない)の方が合うかと思いもしたけどどっちにせよ字面的な意味は多分一緒だ
読み方違うだけ
祝い事って呪いだ
入学、進級おめでとうは、これから(高学年だよとか中、高校生だよとか)そういう風になろうねって呪いで
卒業おめでとうは、もうこの程度のことはできるよねって呪いで
結婚とか妊娠とかおめでとうは、夫婦、親というものとして自覚を持ちなさいとかの呪いで
いろんなおめでとうがあるけど
おめでとうって期待の言葉で
期待とか言う明るい言葉はその実相手を縛るためのまじないでしかない
そのまじないのおかげで成長できたなら、それは必要な重荷だけど、いい傾向が一つもなかったり、逆効果だったり、必要ないなら下ろしていいと思う
おめでとうって相手に喜ばしいことが起こったときの言葉で、期待をかけるような言葉じゃないんだろうけど、贈る方がなんとも思ってなくても受け手が深読みし過ぎたらこうなってしまうんじゃないかと思ってしまう
僕が深読みし過ぎてしまっているのか、神経質なのか、どうも一つの言葉を気になったら、違和感を持ったら調べないと気が済まない
言葉の意味は時代によって変わると言うし、それに合わせることが一番楽で現代的で正しいことなんだと思う
ただ昔と今で意味が変わってしまった言葉を今はこうだからで片付けるのはなんかもったいない気がする
かと言って本来の意味を知って周りに広めるのも自分が合わせるのも結局面倒にはなるんだけど
僕がおめでとうが一番変だなって思うのが誕生日おめでとうで、なんかずっと違和感あって誕生日って一年成長した節目とか、これだけ長生きしてる節目とか、お祝い事のようだけど、僕からしたら死に近づいてる節目にしか思えない
成人してからは歳を取るほどできることも少なくなるし、年齢的にという目で見られることも増えていく
成人まではともかく、それ以降年を重ねるのって、ただ衰えていってるんだよね、多分
年取るのがいいこととも悪いこととも言えないけどとりあえず年に敵わないって、いつでも言えることなのは分かる
未成年なら体の年齢が若いからできないことたくさんあるし、成人なら、知識や経験をたくさん身につけた老人に敵わないってこともあるだろうし、老人は身体的に若さに敵わないってこともあるだろうし
いつだってやりたいやりたいって思っても、年齢的、身体的な制限を打ち破ることってなかなかできないんだろうなって思う
でも精神的にやりたいことは全然やっていいんじゃないかな
それに制限とかないでしょ
若いからとか年老いてるとか男だから女だから、体関係なくできることなら、周りから止められる筋合いないと思うけどね
止めてる奴らは何様だよって思う
話ぐるぐるするけど、誕生日おめでとうって、英訳ではhappy birthdayなんだよね
おめでとうはコングラッジュレイションズなのに
単語ごとに訳したら“幸せな誕生日”、でおめでとうとは言わないんだよね
英語苦手だからちょっと詳しくは調べる気力と知力が足りなかったけど、多分誕生日を幸せに過ごしてねってことなんじゃないかと思う
他人事というか、深く関わってない感じがする
それがいいんじゃないかな
大人になったねおめでとうとか
長生きしておめでとうとか
そういうなんか人生を縛られかけてる感じがない、と勝手に思ってる

僕はなにかと疑問を持つけど、別に答えなんてないんだよね大抵
今回もそうだと思う
おめでとうはなんなのか
言葉である、文字であるってこと以外に確かなことはよく分からない
答えは求めていないのに疑問を持ってしまう
これが青年期特有のものなのか、分からないけどとりあえず適当なところで諦めをつけるべきと言うことは分かってる
だから今回はここで切る
僕としては誕生日はおめでとうよりありがとうのがしっくりくるな、が今回の成果、ということにしておこう

いつか使うかもしれない殴り書きメモ
それがにっき

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