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▶新型出生前診断以降、今までどんなことを考えてきたか

NIPT検査で陽性、羊水検査で陽性
40日の間でお腹の子はダウン症であると確定した

夫とはなるべくたくさん話した
二人で決めたということが大事だと思う
包み隠さずの時もあるし、
意識的に気分を変えたくて違う話をして
大笑いなんかして、
お互い「今日は話したくないのかな」と
気を使い合うときもあった

よく聞く話で、女性の方が辛い、とある。
お腹にいる感覚と、そうでない男性とでは
感じる負担が違う。

それはそうだと思う、けど
気持ちや考えが離れてはいけない、
一人で抱え込んではならないし、産後も
支えてほしいから一緒に考えてほしい、と。
2年後「やっぱり辛い」と嘆いたときに
「いつまで悲しんでるの」とは言ってほしくない。
今日・今思っていることを言葉にして伝える、
ということを意識してやってきた。得意ではないけど。

これからの家族のこと


3人目としてダウン症の子を受け入れることは
どういった影響があるのだろう。
きょうだい児という言葉があることも初めて知った。
兄弟に障害がある子をもつことになる娘
二人への影響も考えなければいけない。
私がいっぱいいっぱいになり続けていては
二人の娘、夫とも穏やかな日々を重ねられない。
そういった日々を重ねられる環境を作ることが
どれだけ大切か、みんなの生活の柱になるか、
ということは娘を育ててきた10年でさえも
感じてきている。私が家の中心で子供たちに
とっては、唯一の母親である
その私が安定していなければいけない。

老後のこと


2人の娘が育って成人を迎え大人になったころ
少しゆっくりして楽しみたい、
自分たちの人生のことも考えたい。
夫は当初からよく言ってた。
当然ちゃ当然なんだけど、夫婦なんだな、と思った。
当たり前だけど、この先何十年も寄り添って
支えあいながら生きてく、て絵を具体的に
言われたのも、初めてだったかもしれない。

疾患を併発して生まれてくる確率が高いこと


心疾患を抱えて生まれてくる可能性が50%
聴覚疾患が20%
ダウン症、とはゆっくり成長するというだけでは
なかった。程度はその子によるものとは理解しつつ
40代で100人に1人のダウン症の子
全妊娠の3%が先天性疾患を抱えた子を
妊娠するという確率をひいた私からすると、
心疾患50%という数字は
とても大きく感じた。

親族との関係のこと・仕事のこと・社会との関わりのこと


両家族の両親、兄弟・姉妹、その家族、
ダウン症の子は誰も経験したことがない。
気を使ったり、使われたり、あるだろう。
友人・社会・今までの関係がそうでなくなる可能性、
あるだろう。
夫の仕事にも影響は出るだろう、
私はいま家事・育児のバランスが取れるボリュームの
仕事をやるのが心地よいけど
そのボリュームの仕事もきっと変わるだろう。

自身のこと


私に未知の世界、ダウン症の子を育てる
キャパシティがあるのだろうか。
なんでもそこそこやりたい性格で。
料理や掃除もやりながら、
子供が帰ってくる時間には家にいてあげたいから
個人事業主の形で在宅の仕事で進めてきた。
どれも自分のやるべきこととして、
充足感だったり達成感を求めながら
やってしまうものだから、日々忙しい。
でもこれが忙しいけど幸せ、
という心地よいバランスで。
自分への充足感や達成感もありながらでないと、
家族や人のために愛情を注げない。
今日仕事うまくいったー!という日は、
夕飯作りだって頑張れる。全部が連鎖しているのも
これも10年間で感じてきたこと。
身勝手な部分もあるかもしれないけど、
母親業・人のために時間を費やし労力し続けることは
①自分の状態もきちんとケアしたり管理してる上で、
②家族に注げる
まず①なんだ。でないと、
この子育てしながらの人生という
超長距離走は走り続けられない。
瞬間最大風速的に何かをする、ではなく、
この先何年何十年も毎日ずっと重ねていくこと。
そのためには日々のペース配分と
力を抜く余裕があることも大事。
40歳、子育て10年、最愛の夫と娘二人、
このいまの状況に
ダウン症の子を迎え入れることは、、自信がない。

お腹の子の老後について


どうしたって私と夫が先に旅立つ。
10歳の娘と2歳の娘に託すものが大きい。
彼女たちの人生もある。
彼女たちが結婚し家庭を持った時、
施設にいる兄弟のことが足かせになってはいけない。
よくこの件を考えていた時に
「親のエゴで産んでいいのだろうか」という
フレーズを目にしていた。
どぎつく聞こえるけど、ゆっくり咀嚼すると、
不安や心配ごとがたえない現実を想像できる

他人からの評価について


「陽性であることを踏まえて産みました」
というのが正義であるようにも聞こえる。
事実新型出生前診断で陽性が出た方のたった
5%~10%の方が出産するそうだ。
その正義がうらやましくてそちらの方向に
進むというのも違う気がする、と
夫ともそんな露骨な話もした。
「すごいね」
「えらいね」
「らしい選択をしたね」
夫は世のため人ために動く人で
仕事も利己的な部分がなく、
人のためというそのものの仕事をしている。

仮に産む選択をすれば、そういうことを
おそらく言われる側であって、
今後の彼のキャラクターの一部になるような人だ。
言う側の人に、ダウン症の子を日々育てる責任はない。
その一瞬の評価を期待して進むのは、誰のために
産むのか、私たちはその形に何を期待しているのか、
とその点も話した。
判断軸はそうであってはならない、
自分たちが今の環境、
家族がある形でどうしたいか、を
軸に考えよう、この件については
人の言うことには耳を貸さない
でよいはず、とそんな話もした。
人間の汚い部分を話す機会でもあった気がする。

本当にたくさんのことを考えてきたし調べた。
これはこの子がお腹に宿ってくれたからだ。
私は一人の人間としてもあるし、
たった一人の夫の妻でもあるし、
唯一無二の娘たちの母親でもある。
一人で生きていない。
やるべきこと、やりたいこと、娘たちを育てなければ。
これからもずっと先も。
こんなことを強く意識させてくれた40日は
お腹の子からのプレゼントだ。本当にそう思う。

あんなに元気に動いているのに、
お腹から出すことになってごめんね。
今あなたは何を思っているのだろうか。
陣痛促進剤が左手に刺さってる。
手縫いした産着がそこにある。
勝手なことに聞こえるかもしれないけど、
私があなたをお腹にいるとわかった94日、
そして染色体異常を指摘されてから
今日までの40日で感じてきたことを
きちんと実践できるか、ずっと応援していて。
お家に一緒にいよう。いつかお母さんが
お空に行く日、お骨も一緒に入ろう。
必ず会おうね。お母さん頑張ったよ、とか、
いや、思ってたほど大したことないな笑、とか
笑いながらお話しよ。

ごめんね。


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