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人工死産、火葬の当日

4月15日(金)18週5日で
200g 20cmの女の子を人工死産した。

翌日退院をして、娘は棺のお箱と一緒に
火葬の日まで病院で預かってもらうことに。

退院したその足で役所へ行き、
火葬場の予約を20日(水)、
朝9時30分に
火葬場の予約をした。

今回業者を特に頼まず自分たちで
棺や骨壷の準備、役所への書類提出、
火葬場の予約まで行ったけど、よかった。
自分たちのペースでやりたいように
やれ、準備も色々行ってから迎えた
火葬だった。
半年前は病院提携の業者さんにお願いしたが
お別れの時に「もういいですか?」と時間を
区切られたりと、あまり対応がよくない
ことが印象に残ってしまうことあったから
自分達でやれるなら、その方がよい。
費用的にも5分の1や一般の業者に頼んでいたら
10分の1程度で用意できた。

朝早くに産院へ娘を迎えに行った。
一緒に預けていた棺に入れてくださってた。
病院に咲いてる花を切って
少し入れておきました、と言ってくださり。
朝番の時間にいらしたスタッフさん、
先生も温かく見送ってくれた。
車で膝の上に小さな棺をのせて
斎場へ向かった。

火葬場に着くと私たち以外は誰もいなかった。
仰々しい喪服のスタッフの方が「この度は」と
いう空気で深々と頭を下げ出迎えられる。
半年前妊娠7ヶ月で火葬に来た娘の時と
同じ方だ、とすぐわかった。

着くと早々、最期火葬に運ぶ直前の部屋に通され
お別れの時間をどうぞ、
お時間来ましたら声かけてください、と言われる

広い台の上に30cmほどの小さな棺のお箱を置く。
蓋を開けて数日ぶりに娘の顔を見てみた。
変わらず穏やかな顔で安心した。
触ると氷のように冷たく、冷凍されていた
んだと思う。けど思ったより
お顔が何も変わってなかった。温まりだして
おでこには結露のように汗をかいていた

最後抱っこしてあげたいと思い体の下に
手を入れてあげた。冷たくて硬い。
お花や写真を入れてあげて、
2歳のお姉ちゃんには最後棺にシールを
貼ってもらった。
抱っこ抱っこともせがまず、
何か空気を感じるものなのか、
大人しく小さな赤ちゃんを眺めていた

キンキンに冷やされたり、
この後には燃やされてしまったり、
数日前まで動いてたのに、突然お腹から出されたり。
この子は今何を思っているんだろ、と
思うだけで涙が止まらなくなった。
静かな斎場で私の鼻をすする音だけが
響いてる。

「お願いします」と伝えたら終わってしまう。
目の前で姿を見れるのも、あとわずか。
もう蓋を閉めよう、と一度蓋を閉めたが
やっぱりもう一回見たい、ともう一度開けた。
最後声をかけてあげたくて。

「ごめんね」
「お母さんのとこに来てくれてありがとうね」
「またね」

気持ちとしてはありがとうよりも
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
目の前にいる20cmほどのこんなに
小さな体は私の意志で外に出されてしまった。
けど今さいご、姿が目の前にあるうちに、
ありがとうも伝えたくて
両方を声にだして最後伝えた。

本当にお終いだ。
蓋をして、スタッフの方を呼んだ。
「お願いします」

スタッフの方は物々しく
棺のお箱を抱えて大切に火葬の台に載せた

「それでは お別れでございます」
一息ついた後のしっかりと張った声で、
その時を言われる。
スイッチが押され、ドアが閉じる。
小さな棺が物々しく大きくゆっくり閉まる
ドアの向こうに行ってしまった

閉じた。もう戻せない。
閉じたその直後から何か怖い轟音が
ギュイーンとなりだしスタートする。
火のスイッチはもうついたんだろうか、
燃されているんだろうか。

手前の台でお焼香をあげる。
2歳と10歳の娘にも、こうやるんだよ、と
一緒にやってもらった。

燃えて収骨部屋の用意ができるまで
1時間、待合室で待つよう通された。
私はその部屋には居ずに、
なるべく近くにいてあげようと、
火葬の場のすぐ近くに1人でいた。
火の中で怖いだろうな、
熱いだろうか、
誰もいない斎場で、空調の音なのか、
燃やしている音なのか、
轟音が響いてる。
その無機質で怖い轟音の中で最後の時まで
娘の近くにいて思いを馳せていたかった。

待ち時間は長くなかった。
用意ができたので、と収骨部屋に
通された。18週でお骨が残るか残らないか
不安だったが、かろうじて小さなお骨が
いくつか残った。

夫と、娘、最後に私がほうきで集めながら
持参した骨壷に入れてあげた。
少しも残さず一緒におうちに帰ろう、
きっとたくさんの思いがこれからも
交錯するだろうけど、
近くにいてくれたら
きっとお互い嬉しいからね。
どこか遠くのお寺とかに
納骨するつもりはなかった。
私がお骨になる時に一緒に
お墓に入れたらいいと思う。
半年前に7か月で死産した
娘のお骨も一緒に。

死胎児の場合、納骨の義務はない。
手元に置いておくで良いのだが、
魂はお供養してあげたいので、
「うちの子をお願いします」と
鎌倉にある長谷寺でお供養してもらうことは
決めていた。そこにいけば半年前の
お姉ちゃんもいるからね、観音様のもとで
他の赤ちゃんとも穏やかに楽しく
仲良く過ごしててね、
という気持ちで。

この日はどこかで
家族の中で私1人だけがひどく落ち込んでる
雰囲気を感じた。
そっかみんなそんなに悲しくならないか、と
雰囲気だけだがちょっともの寂しい感じがした。

改めて久々に自分の体だけになった日を
お産後数日過ごしただけで、 
お腹にいる・いないでは
体感するものが違う、と、
改めて痛感している

「お腹の中にいる」時の
重さを感じて逃げられない深刻な気持ちと
「お腹の中にいない」時の
時々考えては時々休める気持ちと

そうかこれは全く違う、と思った。
それであっても、この先一人で
抱え込むことはないように、
気が済むように私は
夫に気持ちを伝えていこうと思う。
一人で悩みたくない。
今回の判断に、一人での責任を
感じたらいけない、と
漠然とそこだけは思う。

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