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自己紹介

はじめまして!こーじです。

私の自己紹介ページをタップしていただきありがとうございます。

グローバル副業プロデューサーとして活動しております。

「日本にいながら、世界で稼ぐ」をキャッチコピーに、世界を相手に稼ぎ続けるプロフェッショナルを招いて、【グローバル副業事例検討会】を開催しています。

わたしがなぜ、このような活動をはじめたのか、を説明する前に、私という人間を知って頂きたいと思い、このような記事を書きました。

少し長文なのですが、私の人生観をまとめたものになっていますので、ぜひお付き合い頂けると嬉しいです。

今では本業と副業で安定して稼いで家族と幸せに暮らしている私ですが、はじめから今のような生活を送れたわけではありません。


22歳で立教大学を卒業したものの、就職したくなくて就職活動をしなかったので、結果フリーターになりました。

「俺は必ず年収1000万は稼ぐ!」

周りに吹聴したもののフリーターの私の年収は200万円そこそこ。

20代はほぼ平均以下の収入しか得られませんでした。

カラオケのバイトや引っ越しなどの日雇い仕事、コールセンターなどのアルバイトで生計を立ててました。

実家で暮らしていたから年収200万円でもなんとかやっていけた、という情けない状態。

それでも「俺は将来年収1000万は稼ぐんだ!」と言いふらしていたのですが、徐々に周囲から、大口をたたくビックマウス野郎として白い目で見られるようになっていました。

「このままではダサい大人になってしまう」
「なんとか一発逆転しなくては!」

そんな気持ちを抱えながら、気がつくと私は26歳になってしまっていた。

当時、2歳年上の奥さんとの付き合いは4年を超え、このままでは結婚もできないと焦りだしました。

よくもこんな稼げない口だけ野郎に愛想を尽かさず、一緒にいてくれたものです。もっといい男が周りにいたでしょう(笑)

ほんと感謝しかありません。

デートで行く店は安い店ばっかり。
ラーメン屋かサイゼリアが多かったですね。

焼肉といえば安楽亭。
もちろん、安くておいしいですが、お金がなかったのでそれ以外に選択肢はなかったです。

車も持っていなくて、移動はもっぱら125ccのスクーター。

雨の日も寒い日もスクーターで移動。

信号待ちで隣に停まっているポルシェに自分と同じくらいの人が彼女を乗せているのを見た時は、あまりの自分の情けなさに落ち込んだと同時に、彼女に対して申し訳ない気持ちがいっぱいでした。

30歳まであと4年しかない。私は自力で起業することを諦め、ある飲食店に修行に入ります。

しかし、大学卒26歳フリーターには厳しい逆風が待ち受ける

それまで飲食店で働いた経験が無い私は、包丁の研ぎ方もロクに知りません。兄弟子たちからは容赦ない指導が入り、何度もくじけそうになりました。

もう辞めたい、逃げて楽になりたい、そんな気持ちが毎日湧いてきましたが、それを抑え込み、なんとか仕事を覚えて、30歳で自分のお店を開店。

ただ、仕事は激務の上に長時間労働。月曜日から土曜日まで、毎朝7時から23時まで働き詰め。

それでも頑張った甲斐もあり、念願の年収1000万円は31歳の時に達成。

順風満帆に見えた生活

開店の時に借りた600万円も1年で全額返済。

バイト時代には行けなかった高級焼肉店に嫁さんを連れていくことが出来た時は本当に嬉しかったです。

今は食べることが出来ませんが、嫁さんはレバ刺しが好きだったので、一皿1300円するレバ刺しを注文すると、「え!こんなに高いの・・・、じゃ頼まなくていいよ。もったいないから」と困惑していた顔を今でも思い出します。

700円のラーメンばかり食べさせていたのだから当然と言えば当然の反応だったのかもしれません。

毎日忙しかったのですが、土曜日を昼営業だけにしたので、土曜日の夜に嫁さんと美味しい物を食べに行くのが楽しみでしたね。

そんな中、嫁さんが妊娠しました。1年以上不妊治療に通っていたので、2人して嬉しさのあまり泣きました。当時嫁さんは34歳。私は32歳でした。高齢出産ということもあり、不安な気持ちはありましたが、初めての子供を授かって、めちゃくちゃ嬉しかったですね。

しかし、妊娠3か月目、いつものように土曜日の外食から帰ってきて、嫁さんがトイレに入ると、しばらくしてから泣きながら出てきたのです。

「血が、血がでちゃって・・・、もしかしたら赤ちゃんダメかも・・」

私は頭の中が真っ白になって、しばらく言葉が出ませんでした。

しかし、動揺する嫁さんを目の前にして、僕までテンパってしまったら、どうしようもないので、なんとか冷静になり、救急車を呼ぶことにしました。

産婦人科に運ばれると、嫁さんはすぐに入院となりました。私は主治医と二人っきりになり、嫁さんと赤ちゃんの容態を聞きました。

「切迫流産ですね。」

私は全身に電流が走ったような気がしました。

流産・・

頭が真っ白になり、どうやって嫁さんを慰めようかと頭の中を色んな言葉がぐるぐると回り始めました。

その時、先生が言ったんです。

「切迫流産で胎盤が剝がれかかっているが、今日から入院して1週間安静にしていれば妊娠が継続する可能性がある」
「あとは赤ちゃんの生命力に賭けるしかない」
と。

私はその言葉を聞いて、大げさでなく床にへたり込みそうでした。

「ああ、まだ希望は残ってるんだ。」

結局その日は嫁さんには会えませんでした。

翌日お見舞いに行くと、嫁さんはベッドから一歩も動けない状態でした。

そして「ごめんね。私が不注意だったから・・」と私に詫びてきたんです。

切迫流産になった原因は、妊娠初期の大事な時期に、お店の掃除や買い出しをやらせていたことが大きいと主治医に言われてました。

私は嫁さんの手を握り、力なく頭を下げました。

「ごめん。俺が大事な体なのに店の手伝いなんかさせたから・・・」

私はこのとき、自分の軽はずみな行動が嫁さんや赤ちゃんの命を危険にさらしてしまうということを思い知りました。

立ち合い出産36時間

なんとか流産の危機を乗り越えて、妊娠10か月目に入りました。

出産予定日は8月11日。お店は相変わらず忙しかったんですが、私は8月11日から一週間夏休みを取る予定でした。

そして、8月10日。予定通りに陣痛が来たのです。

私たちはタクシーで病院に向かい、分娩室の隣の部屋に通されました。
破水するまでは、その部屋で待機。初産ということもあり、なかなか子宮口が開かず、繰り返す陣痛に、だんだん嫁さんの顔に疲労の色が色濃くなってきました。私は嫁さんの手を握り、時には腰をさすったりして、一夜を過ごしました。それでもなかなか子宮口が開かずに、気が付けば病院に入ってから36時間が経ってました。嫁さんも私も一睡もできずに、疲労困憊でした。

目の前には繰り返す陣痛に苦しみ、額に汗を浮かべている嫁さんがいます。
私ははこの時ばかりは、本当に何もしてやれることがなく、情けないと思いましたね。

このままでは分娩に使う体力が無くなってしまうという事で、見かねた主治医が陣痛促進剤を投与しました。それから間もなく、激しい陣痛が起こり、嫁さんは分娩台へと移動されました。

分娩室に入ってから10分。

主治医の爺さん先生、助産師の皆さん、私が見守る中、無事に女の子を出産してくれました。

私は嫁さんの手を握り、何度も「お疲れ様。ありがとう。」と伝えました。
もう二人とも涙で顔はぐちゃぐちゃでした。

命がけで娘を産んでくれた嫁さんと大事な娘を改めて一生守っていこうと心に誓った日です。

守れなかった誓い

感動の出産から2年が経ちました。

お店は相変わらず忙しく、私は心身を削りながらお金を稼ぐ毎日を過ごしていました。

唯一の休みである日曜日、当時2歳だった娘が私にじゃれついてきました。いつもなら「可愛いね~」と喜んで応じていたんですが、その時は疲れのピークだったんです。

私は自分でも出したことのない怒気を含んだ声で叫びました。

「疲れてるんだからあっちいけよ!!!」

2歳の娘と奥さんは唖然としたまま、隣の部屋に逃げるように消えていきました。

私は少し冷静になると、自分がしてしまったことの重大さに震えが止まりませんでした。

不妊治療をしてまで授かった大切な娘に向かって暴言を吐いてしまった。
命がけで娘を生んでくれた嫁さんに取り返しのつかない言葉を吐いてしまった。

その時私は自分の人生のにおいて、大きな間違いを犯していることに気が付きました。

「俺はなんのために働いているんだ。俺はなんのために生きているんだ。」
「一番大事な家族を傷つけてしまって、俺はなんて最低な奴なんだ。」

家族を幸せにしようと思い、がむしゃらに働いてきました。

でも、あとから嫁さんに聞いたのですが、「本当はあまり無理をしてほしくなかった。いつもイライラしていて、話しかけるのもためらっていた。」と言われた時は本当に申し訳ない気持ちになりました。

私は忙しすぎて、一番身近な嫁さんと娘を遠ざけるような生き方をしていたのです。

そして、私は一つの決断をしました。

夜の営業をやめよう

それは収入が4割以上減ることを意味していました。

当時の稼ぎは月80万円。

夜の営業をやめ、昼営業だけにした結果、収入は50万円台になってしまいました。

それでも私は満足でした。

もともと年収1000万円というのは、若い時からの目標でしたが、達成してみると、案外喜びは長続きせず、倹約家の嫁さんなので、あまりお金を使わない生活を維持していました。

なので、月収50万円になってもあまり不自由はしませんでした。

それから二人目の娘も授かり、最初に嫁さんと二人で借りたマンションに4人で暮らすことになります。

2人暮らしから4人暮らしへ。

狭いながらも楽しい我が家。

私は毎日15時半には帰宅し、娘を幼稚園に迎えにったり、自転車で土手に行って虫を取ったり、図書館に行って絵本を読んだり。

とにかく、仕事以外の時間はすべて家族と過ごしてきました。

おかげさまで、家族同士が仲良く、幸せに暮らしてます。

副業を始める

次女が小学校に上がった2019年から、少し時間に余裕が出来てきましたので、副業を始めようと思い立ちました。

お店の営業時間はこれ以上伸ばしたくない、でも収入は増やしたい、ということで、僕は在宅でできる副業を探し始めます。

とはいえ、ネットで調べても怪しい物ばかりが出来てきます。あまり言いたくありませんが、怪しい情報商材を買って、FXで20万円くらい損をしてしまいました。ベトナムの株でも50万円失いました。

「もう副業なんてやらないで節約するかな」

と思っていたんですが、たまたま電車に乗って買い物に出かけている時に転機が訪れます。

前に立っていたOLさん風の女性がスマホでメルカリの画面を開いていて、お客さんとやりとりをしている様子でした。

僕は盗み見をしては悪いなと思いながら、こっそりとその画面を見てみました。

こちらはイメージ画像です

僕はその女性の出品物を見て、すぐに自分のスマホのメルカリで検索してみました。

すると、その女性のものらしきアカウントがすぐに見つかりました。※その女性の商品画像はピンク色の縁取りが特徴的だったので、すぐに見つかったのです。

その女性にバレないように出品物を見てみると、単価2000円くらいの商品(女性向けのアパレル商品)の売却済みの画像がズラーッと出てきました。

中国輸入を極めた今ならわかるのですが、その女性は月に2〜30万円は稼いでそうなアカウントを持っていました。

僕は家に帰るとPCを開き、メルカリを開いてみました。そこで先程の女性が扱っているような商品は他にないか、他の出品者はいないか、など調べました。

するとその女性が出品して売れていたような商品は他の人もたくさん売れていたのです。しかも画像はほぼ一緒。

どういうことなんだ??

当時私はまったく中国輸入などをやったことがなく、メルカリも自分の私物を売りさばいたり、中古の本を購入したりするだけでした。

まさか、OLのお姉さんがメルカリで中国輸入品を売買して儲けているなんて想像もしていませんでした。そこから、私は中国輸入ビジネスについて情報を集めまくります。

どうやらアリババやタオバオというところから仕入れることができるらしい。

中国での仕入れはめちゃくちゃ安いので儲けが出やすいらしい。

など、ネットで調べるだけでわかることはありました。

「よし!俺も中国から仕入れてメルカリで売って稼いでやろう!!」

もしかして、中国輸入の稼ぎが本業を超えていけば、本業を辞められるかもしれないぞ!

私はそんなふうに考えるようになりました。

もちろんそんなに簡単に人生はすすみません。

まず第一に、日本人はアリババやタオバオから直接仕入れができません。

アリババやタオバオから商品を仕入れるには中国にある代行業者に買付を依頼しないとならないのです。

そこで私はいくつか代行業者に当たってみました。当時口コミの良かったNという代行業者に依頼することにしたのですが、今思えば手数料は高いし、検品は甘いし、良いところはありませんでした。挙句の果てに買付資金が残っていたのに倒産してしまい、預けていた買付資金は半分も戻ってきませんでした。

私はまたもや大事な貯金を失ってしまい、失意のどん底でした。嫁さんには正直に話し、理解してくれましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。それからは家にいてもどこか気分が落ち込む毎日を過ごしました。

なぜもっとよく代行業者を調べなかったんだろう。
なぜきちんと誰かに教わって堅実にやろうとしなかったんだろう。

悔やんでも悔やみきれない日々が続きました。

その時私はようやく

「独学が無理なら誰かに習えばうまくいくかもしれない。」

と思うようになりました。

誰だって新しく何かを始めるとき、例えばスポーツなんかがわかりやすいですが、スクールに入ったりコーチを付けたりしますよね。

では、中国輸入をうまくやりたいと思ったら、すでにうまくやっていて、なおかつ教えてくれる人を探せばいいんじゃないか?

そう思うようになりました。

中国輸入を始めた当時はまだあまり情報発信者もおらず、ネットに上がっている情報だけが頼りでした。

それでも何人かの中国輸入プレーヤーがブログで中国輸入のやり方を解説したり、不定期ですがコンサルを募集している人もいました。

その中の一人にコンタクトをとり、65万円のコンサルを受けました。

当時の私のお小遣いは月3万円でした。カラオケや飲み会で毎月使い切ってましたが、それをすべてやめました。家にいる時間はほとんどPCの前に座り、リサーチ作業に没頭しました。

嫁さんと娘達が寝たあとも暗い部屋でリサーチを続けました。

朝5時に起きて、店に行く前にリサーチ、画像作成、販売、仕入れなどをやるようにしました。

コンサルの内容はもちろん良かったですが、それ以上に実際に稼いでいる人の仲間に入れてもらったことが大きかったように思えます。

その人は中国からコンテナで商品を仕入れていて、社員も20人以上抱えて、年商は20億くらいあるすごい人でした。

もちろん私はそこまで高いところを目指していたわけではありませんが、自分より先を走っている人に手を引いてもらったり、伴走してもらったりできる環境は非常にありがたかったです。

コンサルを受けたあとは、メルカリ、ヤフーショッピング、楽天市場にも出店し、月商は300万円になりました。利益率が20%くらいの商品を扱っているので月利60万円くらいです。

本業と合わせると月収は100万円を超え、再び年収1000万円を達成することができました。

中国輸入だけで毎日これくらいは出荷してました


ebayは一個当たり3000~5000円の利益です
ヤフオクは高単価高利益しかやりません

中国輸入を経験したあとは、eBay輸出、ジャンクゲームヤフオク/メルカリ転売、ノートPC転売、ブランド小物リペア販売、コンテンツ販売、アフィリエイトなど様々な手法を用いてマネタイズをしてきました。

令和の時代になり、日本経済はますます苦しい状況です。

正社員と言えども雇用は安泰ではなく、収入が上がらず、物価や税金だけが上がる厳しい時代。

このまま何もしなければ、どんどん生活は苦しくなってきてしまうことは明白です。

幸いにも私の周りにいる人が色々な稼ぎ方を教えてくれるので、教えられたままに実践しているだけで、ここまで来れました。

ただ、普通の人は副業を始めようと思っても、

  • 相談できる人がいない

  • 信頼できる人がいない

  • ネットで断片的な情報を調べても、結局よくわからない

  • 独学で初めてみたが1円も稼げずに断念した

というようなパターンが多いです。

なので、私は、今までの副業経験・副業界隈のネットワークを活かして、副業で稼げる人をひとりでも増やしたいと思うに至りました。

今はもう会社や組織の時代ではありません

個人で稼いでいく時代です。

個人で稼ぐスキルさえあればこれからどんどん不況になろうが、物価が上がろうが、税金が上がろうが怖くありません。

だれでもはじめの一歩は怖いものです。

私だって怖かったです。

間違いもしました。

失敗もしました。

でも、今言えることは、それでも副業をやって良かった、ということです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

こちらで最後のエピソードになります。

あるとき奥さんが私にこう言いました。

「結婚の挨拶をしに、わたしの実家に来たとき、なんて言ったか覚えてる?」

私はあまり記憶がないんですが、

「娘さんを幸せにします!私がきちんと稼ぐので、共働きはさせません!!」

と豪語したらしいです(笑)

今、その言葉どおり自分の稼ぎだけで家族4人暮らせてます。

学歴なんて必要ない。

資格なんて必要ない。

住んでる場所なんて関係ない。

やればやっただけ収入が増える。

そんな稼ぎ方を私は実践してきました。

最後に

2024年現在、海外との物価、給料の差は大きく開いています。

欧米と比べると3倍はあるでしょう。

日本でいくら稼いでも、海外旅行にも行けない。

ハワイに行くのに、サトウのご飯を大量に持っていく観光客もいましたw

それだけ日本は安い国、貧しい国になってしまったんです。

このまま日本国内で稼いでいても生活は豊かにならない。

日本人同士が小さいマーケットで富を奪い合っても幸せにはなれない。

そんな思いから、グローバル市場を使って稼いでいる方に着目し、講師としてお話をしてもらおう。そして、みんなで後に続こう!

そんな思いから、『クロスボーダーズLab』を立ち上げました。

今はまだ小さい集まりですが、いつか日本最大のグローバルビジネス実践者のコミュニティにしていきたいと思ってます。

そして、2024年9月から開催中のセミナーが【グローバル副業事例検討会】です。

【グローバル副業事例検討会】では、私より数段レベルが上の講師の方に、
稼げる副業の選び方、始め方、続け方、稼ぎ方をレクチャーしていただきます。

1人で悩まず、1人で抱え込まず、私といっしょに副業を頑張ってみませんか?

家族の為に、自分のために。

日々の発信はXでご確認頂けます。ぜひフォローしてください!
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クロスボーダーズLab主催
大久保弘治



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