小林光弘死刑囚と杉沢

武富士放火事件の小林光弘死刑囚は
逮捕時、浪岡中学校そばに
住んではいましたが
もともとは
浪岡の生まれ育ちでは
ありませんでした。

同じ津軽地方の
平賀町(現・平川市)出身です。

なので、一応
「いや、あれはヨソの人が
やらかしたことだから」


浪岡の人たちならば
言えるのですけども、、、

これはだいぶ、あとに
なってからわかったことなのですが

小林光弘死刑囚の一族は
もともと、浪岡に住んでいました。
しかも浪岡の本郷に。

すでに書きましたけども
いわゆる「杉沢村伝説」の実態は
結核患者を杉沢地区へ集団隔離し
その後、複数犯による
放火で皆殺しにした、という案件です。

その後、
良心の呵責にたえきれず
自殺したり
発狂して精神病院送りになったり
本郷から去っていった人たちがいた
ということも

すでに書きました。

本郷から去っていった人たちの中のうち
その末裔が
小林光弘死刑囚でした。

なんという因果応報でしょうか?

杉沢で結核患者たちを焼き殺した
犯人たちは
法で裁かれることは 
ありませんでしたが

その禍々しい因果から
逃れようと
本郷から去っていった犯人の末裔が
わざわざ浪岡に帰ってきて
居をかまえ

そして
再び人を焼き殺しました。

今度は死刑判決になりましたけど。

単なる偶然だとは思えません。

が、これで、話は終わったのだと
思っていました。

けれども話はこれで
終わらなかったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?