杉沢の事件のあとの後遺症。

これは結果的に起きたことです。
繰り返しになりますが
概要を述べておきます。

今からおよそ百年前に

現在でいう青森市 浪岡 本郷 
の杉沢地区というのがありました。

当時、結核という病気は不治の病でした。
感染したら時間の差こそはあれど
ほぼ全員が死亡する病気でした。

ちょうど、現在のコロナウィルスの話とも
似ていますが
当時はもっとやばかったわけでして。

最初のうちは各々の家庭で
結核感染者を隔離して、なんとかする
というのが

うまくいかないとこまできたので

本郷にある杉沢という集落に結核の感染者らは集められ
隔離されました。

それでも結核の猛威はとまりません。

結果的に、杉沢地区に集められて衰弱した
杉沢地区の結核患者らは
外部から鍵をかけられ
逃げられないようにしてから

各々の建物に火を放ち

結核の感染者、患者らを焼き殺しました。

これが、世に言う「杉沢村伝説」の真実です。

本郷の集落
みんなで口裏あわせたそうです。

いまだに本郷地区には仏教系の寺院がありません。

神社はあります。

廃寺は、昔ありました。
ちょうど杉沢地区に向かう
十文字、という地名のすぐそばに。

本郷十文字、という地名は
現在も残っていますが
本郷十文字、の現場は
現在、丁字路です。

これはすでに述べましたが
人為的に杉沢地区にいたる場所や痕跡を
徹底的に抹消したからです。


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