浪岡と小林光弘死刑囚

2005年に隣接する青森市に
吸収合併されるまで
浪岡町というのは
人口2万人の小さな自治体でした。

面積でいえば
人口271万人の大阪市の
6割程度の面積をもってて
人口2万人なんで

ここら辺でどれだけ田舎なのか
感じとってもらえれば?と?

当然、
小林光弘死刑囚は
浪岡はじまって以来
初めての死刑囚ということに
なります。

浪岡町(現・青森市 浪岡)には
中学が
浪岡中学校の一校しかありません。
その、浪岡中学校の至近に
住んでいたのが
小林光弘死刑囚でした。

ことのあらましが明らかになった時
少なからず浪岡の人々は
衝撃を受けました。

平和なことだけが取り柄の
ひなびた田舎街から
いきなり死刑囚がでたわけですから。

しかも浪岡中学校すぐそばに
住んでたとか
中学校に通う生徒らには
ただならぬ衝撃が走りました。

当時、すでに青森から離れていた
私ですら
かなりショッキングでしたから
地元の人たちには
もっともっとであっただろうと
推測されます。

個人的には
「あぁ、鹿内電器の前でぶつかった、あの時の」
というのもありましたしね。

鹿内電器の前でぶつかってきた
酔っぱらいが 

「オラは悪ぐね」と

捨てセリフをはいて去って行ったわけですが

小林光弘 死刑囚の場合
逮捕の決め手となったのは
新聞各社他へ送りつけた
犯行声明がきっかけでした。

「殺すつもりはなかった」
「さっさとカネ出さない方が悪い」
という身勝手な言い分のあと
「オラは悪ぐね」

という言葉でしめくくられて
おりました。

こっちからしたら
「うわぁ」って話です。

この犯行声明文に残っていた指紋と
後に任意聴取のときに採取した
指紋が一致し、逮捕となりました。

目撃証言だけで逮捕するのは
難しい案件な上
目撃者の多数がすでに死亡している
事件だったので

もしも万が一
小林光弘死刑囚が
「オラは悪ぐね」という主張で
犯行声明を新聞各社へ
送らなかったのならば

この事件は迷宮入りしていたのかも
しれません。

その後、2015年8月29日に
小林光弘の死刑は執行されます。

死刑執行の日
小林光弘は
両腕をつかまれ引きずられながら
泣きわめき

鼻水たらし
小便をもらし
クソをもらしながら
死刑執行台へ

連れて行かれたといいます。

最後の最後まで
「オラは悪ぐね」と
絶叫していたそうです。

最後の最後まで
亡くなった遺族らへ
謝罪の言葉は
ありませんでした。

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