大阪市 西区 の魅力について、つづき。

歴史的な背景として
大阪市 西区 は

江戸時代に
オーサカが
「天下の台所」

と言われていた頃に

そのDNAが
生まれていたのでは
ないか?

と私は思う。

これは
京都、オーサカ
の特色なのだが

江戸時代の
武家社会において

大名の支配を
受けなかった
数少ない街の

一つである。

天皇陛下が
押すまいの
「千年の都」

京都は
別格とするにしても

オーサカは

士農工商の
身分社会から
切り離された

「商人の街」であり

自治都市であった。

それゆえに
都市文化が
他とは

だいぶ違う。

大阪商人
彼らにとって
一番の財産は

「人材」である。

これは
断言しても良い。

優れた人材を

・生み出す
・引き上げる

という点に
おいて

タイプは違うけど

オーサカと
京都は
突出してるし
傑出していると思う。

首都機能をもつ
東京には
ほっといても

優秀な人材が
集まってくるけども

京都
オーサカは

自前で

ゼロから
優秀な人材を
育てていかないと
いけない。

また、
都会と田舎
との

違いの問題もある。

何をもって
都会だ
田舎だ

と定義するのには

様々な考え方があるが

私は

「カネを稼げなくても生きていけるのが田舎」
「カネを稼げないなら死ぬのが都会」

という風に考えている。

青森くんだりの
田舎だと
カネを稼げなくても

自分の田畑さえ
もっていれば
そこで取れる
コメ、作物だけで

とりあえず、生きてはいけれる。

対して

自分の田畑をもたない
都市部の人間は
カネを稼げれないと

あした食うコメにすら
困窮する。

ていうか、死ぬ。

では、
どうやって
カネを稼いで
生き残るか?

というのが

「都会」の人間の
背負わされた
宿命である。

カネさえあれば
なんでもいい

というワケには
いかない。

そこにその人の考え方とか
地域の考え方とか

そういうものが
でてくるわけであって

これがまた
生々しいわけだけども。

オーサカという街が
「下品だ」とか
よそ様から
よく言われるが

ようは
「ぶっちゃけて」
るわけである。

その意味で
オーサカは
下品だ、というのは
正しい。

ただ、
その赤裸々なまでに
「ぶっちゃけた」
正直さに

崖っぷちの人間の

面白さ 
哀しさ
愚かさ


あったりする。

そこで
どう生きるか?に
その人の個性が
露骨にあらわれる。

この間合い、息づかいは
オーサカに
住んでいないと

わからないと思う。
私は楽しんでいるのだけども。

とりわけ

大阪市 西区
に関していえば

「教育」というものを

インフラストラクチャー

として

江戸時代の時点から
重視していたのが
強かったと思う。


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