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【4人用声劇台本】知を愛する者どもよ⑤「なすべきがゆえになせ」

この作品は、声劇用台本として執筆したものです。
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【あらすじ】
先人の偉大な哲学者たちのように、優れた人物を育成することを目的とした、全寮制の学園、フィロソフィア学園。
夏休みにプラトンの部屋を訪れたアリストテレス。真夜中の音楽室では幽霊の呪いで音が響かずに消えてしまう、という噂の真相を探りに音楽室へ行くと、そこには演奏会を控えて練習に来たカントがいて……。

※「哲学者シリーズ」第五話です。
 単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通して読んでいただくと、より楽しんでいただけます。

【上演時間】
約50分

【配役】
・プラトン(♂):フィロソフィア学園1年生。ひとりで真理を追求している。
  ※性別変更可

・アリストテレス(♀):フィロソフィア学園1年生。好奇心旺盛で明るい。
  ※性別変更不可(演者の性別不問)

・カント(♀):フィロソフィア学園1年生。音楽一家のご令嬢で、学園内の演奏会に向けて練習を続けている。
   ※性別変更不可(演者の性別不問)
   ※「アルケー」と兼役

・ヘーゲル:フィロソフィア学園1年生。カントの幼馴染みでいつも見守ってきた。少し内気で心配性。
   ※性別不問



カント:「よく見なさい。美とは取るに足りないものかもしれない。」(イマヌエル・カント)

ヘーゲル:「自然な魂は常にメランコリーに包まれて、悩まされるようにできている。」(フリードリヒ・ヘーゲル)

【タイトルコール】

ヘーゲル:「知を愛する者どもよ」第5話

カント:「なすべきがゆえになせ」



―ノックをする音―

プラトン:「……」

―ノックをする音―

プラトン:「……」

―ノックをする音―

プラトン:「……はあ」

プラトン、ドアを開ける。

アリストテレス:「こんにちは、プラトンさんっ」

プラトン:「何のようだい」

アリストテレス:「これから学園の七不思議を調べにいきましょう!」

プラトン:「断る」

プラトン、ドアを閉める。

アリストテレス、ドアを叩く。

アリストテレス:「なんで閉めるんですか!? 開けてくださいよー!」

プラトン:「アリス君、今日は何月何日だ」

アリストテレス:「8月1日です」

プラトン:「つまり、学校は?」

アリストテレス:「夏休みです」

プラトン:「そう夏休みだよ。夏「休み」。休めって言われているのになぜわざわざ学校へ行かなければならないんだ。君も大人しく休んでおけ」

アリストテレス:「でも、ただ寮の部屋に籠もっているだけなんてつまらないじゃないですか。せっかく時間があるんですから、取材にいきましょうよ」

プラトン:「なら君一人で行けばいいだろう。僕をわざわざ呼びつけるんじゃない」

アリストテレス:「それが、どうも不思議な事件が起こっているようなんですよ。プラトンさんなら、なにか分かるんじゃないかと思って」

プラトン:「事件?」

アリストテレス:「この学園についてなにか分かることがあるかもしれません……」

プラトン、ドアを開ける。

アリストテレス:「……よ?」

プラトン:「校内にある購買のわらび餅」

アリストテレス:「……はい?」

プラトン:「それを買いにいくついでだ。行くぞ」

アリストテレス:「は、はいっ」



アリストテレス:「この学園にまつわる噂について聞き込みをしていたら、いくつか面白い噂を聞いたんです」

プラトン:「そんなものあったかい?」

アリストテレス:「ありますよ。エピクロスさんから聞きました」

プラトン:「一気に信憑性が失われたな」

アリストテレス:「とにかく、あるんです」

プラトン:「一応聞いてやろう。どんなものなんだ?」

アリストテレス:「はい。実はかつてプロの音楽家になれなかった生徒がいるそうなんです。その生徒の呪いで、音楽室では演奏をしても音が響かずに消えてしまうらしいんですよ!」

プラトン:「嘘だね。音楽室は何度も授業で使用したことがあるが、そんな様子はなかったぞ」

アリストテレス:「私もそう思ったんですけど、本当に幽霊が真夜中に音も鳴らさずにピアノを弾いている姿を見た生徒がいるそうですよ! きっと、夜にだけ現れるんですよ」

プラトン:「なんとも都合のいい話だな。そうやって都合のいいように解釈してしまうと、大事なことを見落とすことになってしまう。注意したまえ」

アリストテレス:「それもそうですね。ちょうど音楽室に到着しましたし、さっそく中に……」

カント:「あなたたち、音楽室に用事かしら?」

アリストテレス:「ああ、はい、私達は新聞部の取材で来ていて。あなたはたしか……カントさんですよね」

カント:「ええ」

アリストテレス:「次の演奏会の練習ですよね? せっかくですし、取材させてもらえませんか? お時間は取らせませんから」

カント:「冷やかしなら結構よ。それじゃ」

アリストテレス:「あ、ちょっと……」

プラトン:「音楽室の噂について、なにか知っていませんか?」

カント:「音楽室が何だっていうの」

プラトン:「だから、演奏しても音が……」

ヘーゲル:「カントさん、ここにいたんですね」

カント:「あら、ヘーゲル。来てくれたのね」

ヘーゲル:「あ、すみません。お邪魔でしたよね?」

カント:「そんなことないわ。先に入ってるから」

ヘーゲル:「はい」

アリストテレス:「あ、ちょっと、取材は……」

ヘーゲル:「ごめんなさい、演奏会が近くて集中しないといけないみたいで。不快な思いをさせていたらすみません。あの、取材はまた今度、ということにしてもらえませんか……?」

アリストテレス:「そういうことなら、仕方がないですね」

プラトン:「君は、カントの知り合いなのかい?」

ヘーゲル:「あ、はい。へ、ヘーゲル、です。カントさんとは長い付き合いで、友達、みたいなものです……多分」

プラトン:「多分?」

ヘーゲル:「いや、その、私なんかがカントさんの友達なんて名乗るのはおこがましいというか、カントさんも友達だなんて思ってないと思うので……」

アリストテレス:「そんなことはないと思いますけど。さっきのカントさん、ヘーゲルさんが音楽室に入って来てくれるのを待っているって感じでしたよ」

ヘーゲル:「そうなんでしょうか。そうだといいんですけど……あはは」

アリストテレス:「そうですよ。自信持ってくださいっ」

ヘーゲル:「ありがとう、ございます。じゃ、じゃあ、私もそろそろ中に入りますね。では、失礼します」

ヘーゲル、中へ入っていく。

アリストテレス:「行っちゃいましたね」

プラトン:「ああ。それより、さっきのカントという生徒は君の知り合いなのかい?」

アリストテレス:「え、プラトンさん、もしかしてカントさんのこと知らないんですか?」

プラトン:「君ほど生徒について関心がなくてね」

アリストテレス:「もちろん本名は明かしてませんけど、なんでも音楽一家の家系に生まれたサラブレットらしいですよ。幼い頃からずっとピアノをしていて、プロの音楽家を目指しているそうです。学内で演奏会も予定されていますが、かなり注目されているらしいですよ」

プラトン:「なるほど。それで演奏会の練習をしにきたってわけか」

アリストテレス:「はい。だから取材しようと思ったんですけど、断られてしまいました」

プラトン:「まあ仕方がないな。諦めるか」

アリストテレス:「そうですね……。じゃあ、次は、プラトンさんの番ですよ」

プラトン:「なんのことだ」

アリストテレス:「カントさんとヘーゲルさん。モデルになった哲学者について教えてください」

プラトン:「またか」

アリストテレス:「お願いします。わらび餅、奢りますから」

プラトン:「しょうがないな、まったく。……これまでに、イギリス経験論と大陸合理論の説明をしたね」

アリストテレス:「はい。たしか経験論は自然のありのままを観察し揺るぎない法則などを知る。合理論は揺るがない一つの真理から出発し、そこから分かることを推察していく。そういう対象的な方法がとられていましたよね」

プラトン:「その通りだ。その後に出てきたのが、カントとヘーゲルだ。この二人の思想は、ドイツ観念論と呼ばれている」

カント:「経験論は経験だけを頼りにしているので、根拠に乏しい。一方で合理論は大前提とする真理が間違っていれば破綻してしまう。このような問題点を解消するには、人間の認識能力の源泉と限界を明らかにすることから始めなければならないわ」

プラトン:「カントは批判哲学というものを編み出した。経験論と合理論の問題点を洗い出し、まず人間がどのように物事を認識するのか、人間は何を認識できて何を認識できないのか、そこから考えることにしたんだね」

カント:「例えば目の前にバナナがあるとしましょう。まず私達は感性によってその直感的にその特徴を捉える。「黄色い」「細長い」「束になっている」というように。次に悟性によって情報を整理し、判断する。「黄色くて細長くて束になっているもの…これはバナナだ!」と判断する。そして最後に理性によって思考する。「誰かがバナナを置いたのかな。食べていいのかな。」というように、思考を深める」

プラトン:「カントに言わせれば、人間は見たものをそのまま受け入れることはできない。感性・悟性・理性といった人間のフィルターによって事物を認識することになる。つまり、対象が人間の意識の中に映像を生むのではなく、人間の主観的認識能力が対象を構成する。それを彼はこう表現した」

カント:「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」

プラトン:「そのような認識による捉え方は物だけではなく、道徳観にも影響していると考えた」

カント:「人間は潜在的にこうするべきだという道徳律を持っているわ。真の自由とはそうした道徳律に従い、個人の幸福や快楽を目的としない、道徳的活動をすることよ」

プラトン:「そのカントの思想に影響を受けたのが、ヘーゲルだ」

ヘーゲル:「すべてのものは、弁証法と呼ばれる方法で発展していきます。例えば、「A君は私と趣味も考え方も同じで友達になれる」という考えと、「A君と私には以外に違った面があって、合わない」という考えがあったとします。私達はこの二つの相反する考えを自然に統合し、「A君は自分と似たところも違うところもある。だからこそ付き合う価値がある」と考えます。このように相反する考えを統合しより高い次元の考えに行き着こうとするんです。人類がそのように発展してきたということは、歴史を見れば明らかです」

プラトン:「ヘーゲルは歴史という要素を哲学に取り入れ、歴史から学んでよりより方向に行くための方法を考えたんだ。そして世界はよりよい方向に発展しているんだとポジティブな意見を出した」

アリストテレス:「これまでの歴史から考えるのはたしかに大事なことですし、二つの対立するものが統合されていくという考え方は斬新ですね」

プラトン:「ああ。そしてヘーゲルはその弁証法の考えによって、カントの思想を推し進めた」

ヘーゲル:「たしかに物事の認識の仕方は人によって違います。私達が見ている世界というのは人によってまったく違うものです。ですが、だからといって共存できないわけではないと思います。お互いに見えない世界があるのなら、それを共有して新しい視点の世界を作っていけばいいだけの話ではないでしょうか」

プラトン:「カントは人間の認識には限界があり、人間が認識できないものは放って置くしかないと考えた。だがヘーゲルは人間同士が対立し協力することで、これまで見えなかったものが見えて認識できると考えたんだ」

アリストテレス:「素敵な考え方ですね。私もそう思います」

プラトン:「君ならそう言うだろうと思ったよ」

アリストテレス:「きっとみんなで考えれば、音楽室の謎も解けると思うんです!」

プラトン:「まだ諦めてなかったのかい」

アリストテレス:「ええ。きっとこの謎を突き止めてみせます!!」

ヘーゲル:「あのー、すみません」

アリストテレス:「は、はいっ」

ヘーゲル:「すこし、静かにしてもらえますか……? カントさんが集中しているので」

アリストテレス:「ああ、すみません」

プラトン:「それにしても、大した集中力だね。これだけ騒いでいても、こちらを見向きもしないじゃないか」

ヘーゲル:「あの人には、ピアノの音しか聞こえていませんから。ただ、私はあそこまで集中ができないので、お願いですから、静かにしてもらわないと困ります……」

アリストテレス:「そうですね。すみません」

ヘーゲル:「では、私はこれで……。く、くれぐれも、カントさんの練習中に音楽室に入らないでくださいね。し、失礼します」

ヘーゲル、音楽室へ戻る。

プラトン:「入るなってよ」

アリストテレス:「そうですね」

プラトン:「じゃあ」

プラトン:「もう帰るか」

アリストテレス:「(同時に)また来ましょう」

プラトン:「……なんでそうなる?」

アリストテレス:「だって、夜なら誰もいないから、邪魔にはならないでしょう? それに、怪異現象が起きるのはやっぱり、人気(ひとけ)のない真夜中と相場が決まってますから!」

プラトン:「君の図太さには本当に感心するよ」

アリストテレス:「褒めてもなにも出ませんよ?」

プラトン:「褒めていない。それに、わらび餅くらいは出るだろう?」

アリストテレス:「もちろんですよ。今から買いに行きましょう」




プラトン:「それで、どうやって夜の校舎に入るんだ? もう校舎は閉まっているはずだぞ」

アリストテレス:「それは大丈夫ですよ。ちゃんと取材の許可はとりましたから」

プラトン:「とったって、誰に?」

アルケー:「わたしです。学園総合管理システム、アルケーです」

プラトン:「夜中の学校に生徒を入らせてもいいのか?」

アルケー:「構いません。生徒の自主性を私は望んでおります。それに、きちんと防犯カメラで監視しておりますので、危険なことがあればすぐに対処いたします」

プラトン:「本当に、いざというときは頼んだよ。アリスくんが無理をしないように見ていてくれ」

アルケー:「かしこまりました」

アリストテレス:「ではいきましょうか……って、あれ、見てください」

プラトン:「音楽室の電気が、付いているようだね。ここからでは音は聞こえないが……」

アリストテレス:「とにかく行ってみましょうっ」


プラトン:「部屋の前まで来たが……やはり音は聞こえないね」

アリストテレス:「でも見てください。人影が見えますよ。それにあの動き、ピアノを弾いているみたいです」

プラトン:「いくら壁や床に防音材が使われているとしても、ここまで何も聞こえないのはおかしいね」

アリストテレス:「ここまで来たんです。入ってみましょうっ」

ヘーゲル:「あの、どうしたんですか?」

アリストテレス:「へ、ヘーゲルさん?」

ヘーゲル:「こんな時間に何をしているんですか? まさか、また取材ですか?」

アリストテレス:「いやあ、実はそのまさかで……」

ヘーゲル:「な、何度も言っているように、その……困ります。音楽室には入らないで、ください……」

アリストテレス:「でも見てくださいよっ。深夜の音楽室に電気が付いていて、誰かピアノを弾いている影が見えたんですよ!」

プラトン:「ヘーゲル、君はまるでなにかを隠しているようだね。どうしても音楽室の中を見られたくはないらしい。いや正確に言うなら、演奏している姿を見られたくはない、かな?」

ヘーゲル:「そ、そうだとしても、あなた達にはどうしようも……」

アリストテレス:「悩みを共有することで、心が軽くなることもあるかもしれませんよ?」

ヘーゲル:「どうして、そこまでして入りたがるんですか? あなたたたちには、関係ないことですよね?」

アリストテレス:「私は、知りたいんです。この学園で、みなさんがどう輝いていくのか。それを知りたんです。なにかを知りたい、誰かのことを知りたいと思うのは、自然なことじゃないですか」

プラトン:「そうだな。『知を愛すること』。この学園の校則でもあるが、知を愛することに理由なんていらないんじゃないかい?」

ヘーゲル:「はあ……分かりました。どうぞ、音楽室に入ってください」

アリストテレス:「……っ! ありがとうございます!」

プラトン:「では遠慮なく……っと、これは……」

アリストテレス:「カントさんが、ピアノを弾いているのに、音が、聞こえない、ですね」

ヘーゲル:「はい。音楽室の噂は、本当なんです」

アリストテレス:「どうして、音が出ないんですか?」

ヘーゲル:「それは……私にも、わ、分かりません。今度の演奏会の曲を音楽室で練習すると、音が消えるようになってしまって……」

プラトン:「そもそも、音が聞こえなければ練習にならない……いや、そういうことか。もしかして、関係ない、ということかい?」

ヘーゲル:「……はい」

アリストテレス:「ど、どういうことですか?」

プラトン:「彼女は、耳が聞こえにくいんだね?」

ヘーゲル:「……そうです」

アリストテレス:「え、でも以前は普通に会話をしていましたよね?」

アルケー:「それは、私が電気信号で発話内容を伝えていたからでしょう」

アリストテレス:「それだけじゃありません。カントさんはずっとピアノのコンクールでいい成績を残していたんですよね?」

ヘーゲル:「カントさんは、頭の中で音を想像して演奏しているんです」

アリストテレス:「そんなことできるんですか?」

ヘーゲル:「幼い頃から音楽の勉強とピアノの練習をさせられてきて、耳がよくなくても必死に練習していたんです。多分それでできるんだと思います。でも、やっぱり辛そうで……」

プラトン:「それで、誰にも邪魔されないように音楽室を見張っていたんだね」

ヘーゲル:「はい。……私には、ただ、カントさんに楽しくピアノを弾いてほしいだけなんです。でも、どうすればいいのか、全然分からなくて」

アリストテレス:「カントさんとお話をすることは、できますか?」

ヘーゲル:「ええ。呼んできます。(カントの肩を叩きながら)カントさん、少しいいですか?」

カント:(手話で)『なにかしら? 演奏中は止めないって約束でしょ?』

ヘーゲル:(手話で)『すみません。カントさんにぜひ会ってもらいたい人たちがいるん

アリストテレス:「なにか手話で話し始めましたね」

プラトン:「ああ。さすがに何を話しているのかは分からないが、あまり歓迎はされていないようだな」

カント:『会ってもらいたい人って……なによ、またあの新聞部じゃない。入れるなって言ったでしょ?』

ヘーゲル:『でも、最近演奏に悩んでいるみたいですし、話だけでも聞いてもらってはどうですか?』

カント:『話したって、分かるわけないわ。だって、私みたいに耳が悪いわけじゃないもの』

ヘーゲル:『でも、分かり合おうとすることはできます』

カント:『それでも分からないわよ。私がどう感じてどう悩んでいるかなんてっ』

ヘーゲル:『……』

プラトン:「何を揉めているのかは分からないが、ヘーゲル、君はもっと腹を割ってカントと話したほうがいいんじゃないかい?」

ヘーゲル:「え?」

プラトン:「僕には君が、言いたいことがあるのに我慢や遠慮をしているように見える。君が本当にカントのことを考えているのなら、もっと彼女に向き合ったほうがいい」

ヘーゲル:「……分かりました」

ヘーゲル:『……カントさん。あなたに黙っていたことがあります』

カント:『なんのこと?』

ヘーゲル:『私は、今のあなたの演奏は、好きになれそうにありません』

カント:『なによ、それ、どういうことかしら?』

ヘーゲル:『今のあなたの演奏は、アルケーから指示された曲を弾かされているだけです。あなたらしさをまったく感じません』

カント:『あなたらしさって、あなたに私の何が分かるっていうの? 知ったような口を聞かないでほしいわね』

ヘーゲル:『分かります。だって、私はあなたの音をずっと、聞いてきたんですから』

カント:『……』

ヘーゲル:『代々カントさんの家に仕えていたというだけでカントさんの護衛を任されて、身体が小さいのに格闘術を無理やり覚えさせられて、なんでそんなに力が弱いんだっやる気あるのかって怒鳴られてばかり。なんで私がこんなことをしなきゃいけないんだろうって思っていました』

カント:『は、はあ? 逆恨み?』

ヘーゲル:『違いますよ。そんなに嫌だったのに私があなたのそばで仕えているのは、カントさんのピアノの音が心地よかったからなんです』

カント:『心地いいって……そういえばあなた、小学生の頃、よく私のピアノをそばで聞いているうちに寝ていたっけ……ふふふっ……』

ヘーゲル:『そうですよ。護衛するのが辛くて仕方がなかったのに、いつしか私はあなたの演奏を聞けるのが楽しみで仕方がなくなっていたんだす。あの頃のあなたの演奏は、今まで私が聞いてきたどんな音よりも私の心に優しく響いていました』

カント:『懐かしいわね。私もあなたの寝顔を見るのが好きだったわ』

ヘーゲル:『でも、だんだんとあなたの演奏は変わっていった。コンクールで入賞できるように、正確に狂いなく、求められた音を出した』

カント:『それの何がいけないのかしら。少しずつだけど、演奏は上達している。それでいいでしょ?』

ヘーゲル:『今のあなたの演奏はとても窮屈そうで、縛られているように見えます。もっと他に引きたい音があるのに、それができずにいるんでしょう』

カント:『いい加減にしてちょうだい。それ以上文句を言うなら、たとえあなたでも許さない(わよ)』

ヘーゲル:『(かぶせて)カントさん。今、演奏していて楽しいですか?』

カント:『なんですって?』

ヘーゲル:『たしかにカントさんの演奏は上達しているのかもしれない。でも、だんだんとあなたの演奏は私の心に響かなくなってきています。聞こえなくなってきています』

カント:『じゃあ……じゃあっ、どうすればいいのよ! どれだけ弾いても、どれだけ練習しても、手から音がこぼれ落ちていくように私から離れていくのよっ。私には、ピアノしかないのにっ……!』

―間―

ヘーゲル:『あなたが弾きたいように弾けばいい。あなたの中に眠っている音を、もっと聞かせてください。それに、もしあなたからピアノがなくなったとしても、あなたには私がいます。安心してください』

カント:「(ゆっくりと口を開いて)……ありがとう」

ヘーゲル:「こちらこそ、ありがとうございます」

プラトン:「……お取り込み中のところ悪いが、ひとつ質問させてくれ。君たちは練習をするとき、いつもスピーカーを使っているのかい?」

カント:『スピーカー? いいえ、使っていないわ』

プラトン:「使っていないのなら、もしかするとピアノの音が聞こえないのはこのスピーカーのせいかもしれない」

アリストテレス:「どういうことですか?」

プラトン:「特定の周波数の音を検知し、逆位相の音を発生させることで、音を打ち消すノイズキャンセリング技術というものがある。これは一般的にはヘッドフォンなどで使用されているものだが、ある特定の音……つまり曲を弾いたときにそれを打ち消すようにスピーカーから音を流しているとしたら?」

カント:「……私の弾いている曲が消えてしまう、ということね」

アリストテレス:「それに、完全にカントさんの曲が消えてしまっているとしたら、それはつまり……」

プラトン:「カントの演奏は完成しているようだね。自信を持っていいと思うよ」

カント:「……」

―物音がする―

ヘーゲル:「誰だっ!」

カント:「え?」

プラトン:「どうしたんだい?」

ヘーゲル:「今、音楽室の外から物音がしたように聞こえて。誰かが覗いていたのかもしれません。もう今は誰もいないようですが……」

カント:「きっと疲れていて勘違いしたのよ。さあ、もう遅いから皆さん帰ってちょうだい」

アリストテレス:「ええっ。もっと取材させてくださいよ。せっかく頑張っている素敵な姿を記事にできると思ったのに」

カント:「私は忙しいの。少し時間をとって差し上げただけ感謝して欲しいわ。それに、本番は演奏会でしょ。そこでまた取材にきたらいいじゃない」

アリストテレス:「分かりました。カントさんの演奏を楽しみにしていますね」

ヘーゲル:「ではすみませんが、お引き取りください。またよろしくお願いします」

カント:「ヘーゲル、あなたももう帰ってちょうだい」

ヘーゲル:「ですが、また何者かが来るかも分かりませんし、それにあまり無茶をして体調を崩されでもしたら……」

カント:「一人にしてって言ってるのが、分からないわけじゃないわよね?」

ヘーゲル:「は、はい。では私も帰ります。でも、本当に無茶はしないでくださいね」

カント:「分かってるわよ。じゃあ、またね」



アリストテレス:「いよいよ演奏会ですね。楽しみです!!」

プラトン:「結局どんな曲なのかは知らないからね。アルケーがどんな曲を彼女に求めているのか。それについては興味があるね」

アリストテレス:「あ、カントさんが出てきましたよっ!」

アルケー:「お待たせしました。これより、カントのピアノソロコンサートを行います。どうぞ最後までお聞きください」

―拍手―

―カント、演奏を始める―

アリストテレス:「……わあ、とてもきれいな音ですね」

プラトン:「ああ。だが、この音は……なんだ……」

アリストテレス:「プラトンさん? どうしたんですか?」

プラトン:「うぅっ……。僕は、何者なんだ?」

アリストテレス:「何者って、プラトンさんはプラトンさんじゃないですか」

プラトン:「プラトン? そうか、僕はプラトンだ。他の何者でもない。この学園で、プラトンになるんだ。それ以外のことは、考えなくてもいい」

アリストテレス:「考えなくてもいいって、学園の謎はどうするんですか? 一年前にソクラテス先生が辞めた真相を、突き止めるんじゃないんですか?」

プラトン:「もうそんなことはどうでもいいよ」

アリストテレス:「え」

プラトン:「僕はもうそんな個人的な感情で動いてはいない。そんなことでは立派な哲学者になれない。真理なんて見つけられない。ただプラトンになりきることに専念すべきなんだ」

アリストテレス:「それは、そうかもしれませんけど……」

ヘーゲル:「大丈夫ですかっ!?」

アリストテレス:「ヘーゲルさんっ! どうしましょう、プラトンさんの様子がおかしくて、どうすればいいのか……」

ヘーゲル:「プラトンさんだけではありません。演奏を聞いている生徒がみんな苦しみだして、ぼーっとしているんです」

アリストテレス:「ヘーゲルさんは、なんともないんですか?」

ヘーゲル:「私も苦しかったです。でも私は、もともと哲学者になりたかったわけじゃないんです。ずっとカントさんの音を、そばで聞いていたい。私だけは最後までカントさんの演奏を聞いていなくちゃいけない。そう思ったら正気に戻ったんです」

アリストテレス:「なるほど、そうだったんですね。とにかく無事でよかったです。哲学者になりきるというのは素敵なことですが、どうにかして苦しんでいる皆さんを救ってあげられないでしょうか?」

ヘーゲル:「多分、アルケーが弾くように指示した曲が原因なんです。だから、演奏をやめてもらえば元に戻るかもしれません。私はカントさんのところへ行ってきますから、あなたはプラトンさんたちのそばにいてあげてください」

アリストテレス:「分かりました。お願いしますっ」


ヘーゲル:「カントさん、カントさん、演奏を中止してください!」

カント:「ダメよ。演奏をやめたら、私に価値なんてないんだもの」

ヘーゲル:「そんなことはありませんよ。演奏をやめたって、私にはカントさんが必要です」

カント:「いくら言われても、私自身が演奏していない自分に価値なんて感じていないの。だから、お願い。演奏させてっ……!」

ヘーゲル:「だったら、カントさん自身が弾きたい音を弾いてください」

カント:「え?」

ヘーゲル:「今演奏しているのは、アルケーから言われて演奏している曲ですよね? それはあなたの曲じゃない。あなたの音じゃない。カントさんが弾きたいと思う曲を、自由に弾いてください。私はそれが聞きたいんです」

カント:「私が思う曲なんて弾いても、あなたたちに理解できるの? 私には耳が聞こえないのに」

ヘーゲル:「分かりますよ。美しいと思う感覚は、誰でも持っているものですから。幼い頃に楽しく自由に演奏するあなたの演奏を、私は美しいと思ったんです。だから、またカントさんの中にある音を、聞かせてください。お願いします」

カント:「……分かったわ。ちゃんと最後まで聞いてね」

ヘーゲル:「はいっ! もちろんですっ!」



プラトン:「んん……頭がぼーっとする……」

アリストテレス:「よかった、正気に戻ったんですね」

プラトン:「アリス君? 一体何があったんだ?」

アリストテレス:「カントさんが演奏を始めると、みんな様子がおかしかったんです。プラトンさんも、真理なんてどうでもいい、プラトンになりきらなきゃって言い出して」

プラトン:「そうか……迷惑をかけたようだね。すまない」

アリストテレス:「いいんですよ」

プラトン:「それにしても、僕だけでなく他の生徒もそうなったということは、あの曲にはなにか洗脳してしまうような作用でもあるのかもしれないな」

アリストテレス:「洗脳、ですか?」

プラトン:「そうでなければ、君がさっき言ったような言葉を、この僕が言うはずがない」

アリストテレス:「そうですね。プラトンさんは一年前の真相を解き明かさないといけないですもんね」

プラトン:「……その話、誰から聞いた」

アリストテレス:「ライプニッツさんです。ソクラテス先生のことを慕っていたって聞きました」

プラトン:「ああ。だからこそ、先生を辞めさせた学園に納得ができない。それに今回の演奏……アルケーはやはりなにかを企んでいるようだね」

アリストテレス:「よく分かりませんけど、アルケーさんが考えているのは悪いことなんでしょうか。私達の学習をサポートしているだけじゃないんですか?」

プラトン:「本当にそれだけならいいけどね。それに、以前音楽室を覗いていたかもしれない人影も気になる。この学園の謎が更に深まったように感じるよ」

アリストテレス:「……まあ、今日のところは難しいことを考えるのはやめましょうよ。ほら、まだ演奏は続いていますよ」

プラトン:「そうだな。ここまで自由なピアノの演奏を聞くのは初めてだが、悪くないね」



アルケー:「生徒を哲学者に近づけるためのプログラム、演奏療法は失敗。ただ、生徒の精神に影響を与える方法は効果的であると思われます。他の手段を検討し、計画を進めていくことにします。この学園の生徒が知を愛す哲学者となれるよう、あなたも引き続き協力をお願いいたします」


《終》


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