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【4人用声劇台本】知を愛する者どもよ⑥「幸せか否かを問え」

この作品は、声劇用台本として執筆したものです。
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【あらすじ】

先人の偉大な哲学者たちのように、優れた人物を育成することを目的とした、全寮制の学園、フィロソフィア学園。
文化祭に向けて演劇の練習をすることになったプラトンとアリストテレス。そんな中、演出のベンサムと脚本のミルが対立してしまい……。

※「哲学者シリーズ」第6話です。
 単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通して読んでいただくと、より楽しんでいただけます。

※方言監修:NAKA.さん

【上演時間】
約50分

【配役】
・プラトン(♂):フィロソフィア学園1年生。ひとりで真理を追求している。
  ※性別変更可

・アリストテレス(♀):フィロソフィア学園1年生。好奇心旺盛で明るい。
  ※性別変更不可(演者の性別不問)

・ベンサム(♂):フィロソフィア学園1年生。頭が堅いところがあるが、言い換えると何事にも夢中になれる。   
   ※「アルケー」と兼役。
   ※性別変更可

・ミル(♀):フィロソフィア学園1年生。自分に自身がなく、いつも誰にでも敬語。
   ※性別変更可



ベンサム:「我々は、他人に幸福を分け与えることにより、それと正比例して、自分の幸福を増加させるのだ。」(ジェレミ・ベンサム)

ミル:「自らに幸せか否かを問うてみよ。そうすれば、幸せではなくなるのだ」(J.S.ミル)

【タイトルコール】
ベンサム:「知を愛する者どもよ」第6話

ミル:「幸せか否かを問え」



ベンサム:「諸君、そろそろ文化祭の準備をしていかなければならないのだが、なにか出し物の案はあるだろうか?」

アリストテレス:「はいっ」

ベンサム:「はい、アリストテレスくん」

アリストテレス:「私は演劇がやりたいですっ!」

ベンサム:「演劇?」

アリストテレス:「はい、前に演劇部の公演を見たときにも思ったんですけど、みんなで頑張って一つの作品を作り上げていくのって、素敵じゃないですか。ぜひ学園演劇、やりましょうよ!」

ベンサム:「演劇か。たしかに文化祭の王道ではあるかもしれないな。他の者はどうだろう? なにか他に意見はないだろうか?」

プラトン:「準備が大変そうだが、間に合うのかい?」

ベンサム:「皆(みな)で協力すれば問題なかろう。役者、脚本、音響、照明、衣装、大道具、演出。どれも必要な役割になるが、手分けしてやっていけばよいだけだ。さっそくだが、役割を決めていこう。役者は、そうだな……発案者のアリストテレス君にしようか」

アリストテレス:「えっ、いいんですか!?」

ベンサム:「もちろんだ。君にはぜひ主演をお願いしたい。頑張ってくれたまえ」

アリストテレス:「ありがとうございますっ! 頑張ります!」

ベンサム:「では、その相手。準主役は誰がいいかね? アリストテレス君、選んでくれ」

アリストテレス:「そうですね……じゃあ、プラトンさんでお願いします!」

プラトン:「……なぜ僕なんだ」

アリストテレス:「一緒にやりたいんですよ。お願いします!」

プラトン:「どうせ断ることも許されないんだろう。仕方がない、やればいいんだろ」

アリストテレス:「はい、お願いします!」

ベンサム:「私は演出をさせてもらうとして、あと、脚本は……君に頼むとしようか、ミル君」

ミル:「私、ですか?」

ベンサム:「ああ。もちろんだ。君は文芸部で小説を書いているのだろう? 適任だと思うのだが」

ミル:「分かりました。私でよければ、書きましょう」

ベンサム:「では話は決まったな。さっそく脚本をお願いしよう。脚本ができしだい、稽古開始だ。ミル、ある程度完成したら一度私に見せてくれ。演出プランを相談しよう」

ミル:「はい。では図書館に行って資料を探してきます。戯曲を書くのは始めてですから」

ベンサム:「ああ、よろしく頼むぞ」

アリストテレス:「こういう学園のイベントってやっぱりわくわくしますね」

プラトン:「ああ、そうだな。なにか隠された学園の秘密が分かるかもしれないからな」

アリストテレス:「そういう意味で言ったわけじゃないんですけど……。ところで、ベンサムさんとミルさんってたまに話したりしてますよね。やっぱりモデルになった哲学者のベンサムとミルも関係があったんでしょうか」

プラトン:「二人とも、功利主義を唱えた人物だったようだよ」

アリストテレス:「授業で名前は聞いたことがありますね。えっと、どういう思想でしたっけ?」

プラトン:「19世紀のイギリスでは、資本主義が発達し、個人個人の格差が大きくなっていった。そんな社会で人々は、個人の幸福と社会全体の幸福を一致させるにはどうすればいいかを考えた。そして生まれたのが功利主義という考え方だね。功利主義とは、人生の目的は利益や幸福を追求することにある、とする考え方だ」

アリストテレス:「社会が大きく発展していく中で、判断の基準を決めておくことはたしかに重要ですね。そこで登場したのが、ベンサムさんとミルさんなんですか?」

プラトン:「そうだ。法律家だった彼が興味を示していたのは、客観的な善悪の判断基準を確立することだった。彼は考えた判断基準は、快楽が増えることと、苦痛が減ることを善とする、というものだった。つまり、行動の善悪を、幸福の大小で判断したんだね。彼の思想は「最大多数の最大幸福」という標語によく表れている」

ベンサム:「私達は社会で生きていく上で、最も多くの人々が最大の幸福を得られる行動や決定をするべきなんだ。例えば、5人家族のうち3人はカレーが好きで、2人はシチューが好きだとしよう。この場合、正しい夕飯の選択はカレーということになる。しかし、シチュー好きの2人のうち1人はカレーが大嫌いだった場合は、その人の幸福度はかなり下がってしまう。その場合は、シチューを選んだ方が5人の幸せの総量は多くなるはずだ。その時々によって最も幸福度が高い選択肢を考えなければならないのだ」

プラトン:「ベンサムは、多数決をとり、できるだけ多くの人に幸福をもたらす意見や考えを取り入れ実行していくことで、社会や国全体の幸福につながると考えた。個人個人で考えるのではなく、全体の総和を見て考えるんだね。だから彼の思想は量的功利主義と呼ばれた」

アリストテレス:「たしかにそれなら全員が幸福になれるように行動できますね」

プラトン:「だが、ベンサムの考え方に影響を受けつつも、疑問を呈した人物がいた。その名も、ジョン・ステュアート・ミル。彼は、多数決は万能ではない、つまり多くの人が喜ぶからといってその意見や考え方が正しいとは限らないと主張したのさ」

ミル:「たしかに、「最大多数の最大幸福」を目指すべきだ。しかし、単なる量的な幸福ではなく質的な幸福を重視しなければならない。例えば、精神的な幸福は肉体的な幸福よりも価値があります。詩を読む喜びは、食事する喜びよりも価値があり、より大切なものだと思います」

プラトン:「彼は幸せについて、社会全全体の「数」や「量」ではなく、個人個人の幸せの「中身」や「質」を重視したんだ。その思想を的確に表した言葉がこれだね」

ミル:「満足した豚よりも不満を抱えた人間の方がよく、満足した愚か者よりも不満を抱えたソクラテスの方がよい」

プラトン:「また彼は個人の自由を重視したが、それについて次のように解説している」

ミル:「自由で幸せな社会を実現するためには、個人の意見や行動が他者に危害を及ぼさない限り、社会は個人に干渉してはなりません。逆に、他者に害を及ぼすような自由は認められません。例えば、私が誰もいない場所で好きな歌を口ずさむことは私の自由です。しかし、隣にいる人がその歌を不快に感じる場合は、私の自由が他人の自由を侵害していることになり、私がその歌を歌う自由は認められません」

プラトン:「このように、ミルにとって自由とは、自己中心的な自由放任ではなく、他人の自由を尊重し、同時に社会全体の幸福も追求するものだった。これを他者危害原則という。二人は幸福の考え方が少し違っていたようだ」

アリストテレス:「幸せって難しいんですね。どっちが正しいのか分からなくなってきました」

プラトン:「正解なんて決まっていないのだろうね。それこそ幸せなんて曖昧で、個人個人が自分で決めるものだからね」



アリストテレス:「もう台本ができたんですね。ミルさん、すごいです!」

ミル:「別に。大したことはしてないから」

プラトン:「いや、これは素人が書いたとは思えないようなクオリティだよ。しかも数日足らずで仕上げてしまうなんてね。充分に君は貢献していると考えていい」

ミル:「あまり褒めないでください。褒める時間があるなら、稽古を始めたらどうなんです?」

ベンサム:「そうだな。では、さっそく稽古を始めていこうか。ナレーションを入れながら進めていこう」



アリストテレス(イライザ):「『なぁ、花(あなぁ)買っちくりよ、大将。半(あん)クラウンなら崩せっからさ。一(いと)束二バンスでいいんだよ』」

ミル:「舞台は19世紀のロンドン。貧しい花売り娘の少女イライザは、メモをとる一人の男に出会う。その男は、出会った人間の出身地を瞬時に特定することができた」

プラトン(ヒギンズ):「『ただの音声学ですよ。言語の科学。それを仕事にしてまして、趣味でもある。好きなことをやって食べていけるなんて、幸せ者です! まあ、誰だって泥臭い訛りを聞けばアイルランド人かヨークシャー者だろうって分かるでしょう? わたしの場合、六マイル圏内に出身地を特定できます。ロンドンなら二マイル圏内。時には通りを二本以内に絞れることもある』」

ミル:「その男はヒギンズという音声学者だった。彼はイライザのひどい田舎訛りを聞いてこう言った」

プラトン(ヒギンズ):「『どうです、このドブ板に泥水を流したような英語の発音は、これじゃ一生貧民街から出ることはない。けど、わたしなら三ヶ月でこの子を大使館の園遊会でも公爵夫人として通用するようにして見せます。なんなら、ちゃんとした英語を喋る必要のある仕事に就けてやることもできる、奥様付きの女中とか、店の店員とか。』」

ミル:「この話を聞いてピカリング大佐がヒギンズに賭けを申し込み、ヒギンズはイライザを立派な公爵夫人へと教育することを提案する」

アリストテレス(イライザ):「『ああ、もういい! あちし、帰る』」

プラトン(ヒギンズ):「『イライザ、チョコレートどうだ?』」

アリストテレス(イライザ):「『中に何(あに)入(えー)ってるか、わかったもんじゃねえや。あんたみたいなやからにクスリを盛られたって話(あなし)、聞いたことあんぞ』」

プラトン(ヒギンズ):「『ほら、誠意のあかしだ。わたしが半分食べる。お前がもう半分食べる。こういうのを何箱でも食えるようになるんだ。毎日、いくらでも。なんなら食事の代わりに出してもいい。どうだ?』」

アリストテレス(イライザ):「『あぐあぐ、うぐ……。食いたくて食ったんじゃねえぞ。ただ、お行儀がいいから口に入(あい)ったもんを出さなかったっちだけでえ』」

ミル:「こうして二人の特訓が始まった」

プラトン(ヒギンズ):「『アルファベットを順に言ってみたまえ』」

アリストテレス(イライザ):「『そんぐれえ知ってらぁ。あちしがなんも知らねえと思ってんだろ? 子供じゃあるめえし、んなことまで教えてくんなくても――』」

プラトン(ヒギンズ):「『言ってみろっ』」

アリストテレス(イライザ):「『アーイ、ベー、セ―、デー』」

プラトン(ヒギンズ):「『エイ、ビー、スィー、ディー』」

アリストテレス(イライザ):「『言ってんじゃんかよぉ。アーイ、ベー、セ―――』」

プラトン(ヒギンズ):「『もういい! じゃあ、言ってみろ。「ア・カップ・オヴ・ティー」』」

アリストテレス(イライザ):「『ヤァ・カッパラッテ――』」

プラトン(ヒギンズ):「『舌を前に突き出すんだ、下の歯の先に押し付けるように。ほら、カップ』」

アリストテレス(イライザ):「『ぜんぜん区別がつかねえよ、ただ、あんたがゆうと、上品(じょういん)に聞こえるっつうのはわかんだけど』」

プラトン:「『それがわかっててどうしてギャーギャー泣きやがるんだ、チキショー。ピカリング君、こいつにチョコレートをやってくれ』」

ミル:「こうして言葉遣いも立ち振舞いも教育されたイライザは、完璧な公爵夫人として振る舞うことができるようになった」

アリストテレス(イライザ):「『ご機嫌よろしゅう存じます、ヒギンズの奥様。ヒギンズ教授にお招きいただいて参りました』」

ミル:「賭けはヒリングの勝利に終わる」


ベンサム:「カットッ! いいだろう」

アリストテレス:「あの、本当にこれでいいんですか?」

ベンサム:「え? なにか問題でもあったかい?」

アリストテレス:「なんだかスッキリしないというか、これで終わり? って感じがしちゃって……」

プラトン:「原稿は、これで全部なのかい?」

ミル:「いや、最後はどうするかちょっと迷ってて」

ベンサム:「そのことなら前に君と私で話し合って決めただろう。迷うことなんてない。イライザとヒギンズが結ばれてハッピーエンド。これ以外にないだろう」

ミル:「でも、それは本当にハッピーエンドなのかな……」

ベンサム:「私は演出なんだよ。私がハッピーエンドと言ったらこれがハッピーエンドなんだ。演出に意見する気かね?」

ミル:「だったら脚本担当の私に意見するのはやめてくださいっ」

ベンサム:「なんだとっ。君にそんなことを言う権利があると思っているのかね?」

ミル:「ないでしょうね。でも、同じようにあなたにも勝手にストーリーを変える権利はありませんよね。作者が本当に書きたかったことも汲み取れないなら、あなたに演出に向いてないですよ。だから、やっぱりやめてもらえませんか?」

ベンサム:「何をだね?」

ミル:「この脚本、使うのやめてください」

ベンサム:「どうしてだい? せっかく素晴らしい脚本になっているのに」

ミル:「私は素晴らしいなんて思えません。だから、やめてください。失礼します」

アリストテレス:「あ、ちょっと……!」

プラトン:「行ってしまったね。どうする?」

ベンサム:「どうするって、稽古も進めているのに、今から振り出しに戻されたら到底本番に間に合わない。えらいことになってしまった」
アリストテレス:「困りましたね、プラトンさん。私達で説得に行きましょうよ」

プラトン:「なんで僕が……」

アリストテレス:「主役なんですから、当然じゃないですか。行きますよっ!」

プラトン:「拒否権はないのかい、まったく……」

ベンサム:「頼んだよ、ふたりとも」



プラトン:「ミルがよくいる場所はここらしいが……」

アリストテレス:「ここは図書館ですよね。そういえば前に噂話を調べたとき、図書館の噂も聞きましたよ」

プラトン:「どんな噂だい?」

アリストテレス:「図書館の特定の棚に置いた本は必ず消えてしまう、というものです」

プラトン:「少し気になるね、その噂。もしかして、今回のこととなにか関係があるのかもしれない……とそんな話をしているうちに、見つけたようだ」

アリストテレス:「ミルさん、大丈夫ですか?」

ミル:「すみません、迷惑をかけちゃいましたよね」

アリストテレス:「い、いえ、そんなことは……」

プラトン:「まったくだ、迷惑千万極まりない」

アリストテレス:「ちょっと、プラトンさんっ」

プラトン:「君にも事情があるのかもしれない。けれどね、今回の学園演劇は君ひとりでやっているわけではない。他の生徒にも迷惑がかかってしまう。台本をとりさげてくれと言われても困るんだよ」

ミル:「それは申し訳ないと思っています。でも、やっぱりこの台本を使うのは……」

プラトン:「気になったんだが、本当にラストは書いていないのかい?」

ミル:「そうですよ。期待してもらってたようで悪いですけど、もう私にはなにも書けませんよ」

プラトン:「たしかに、こんなに短期間で台本を書きあげるのは難しいだろう。……既存の作品を使用しないかぎりね」

ミル:「何を言っているんですか。私が書いたんじゃないとしたら、誰が書いたっていうんですか?」

プラトン:「図書館にある戯曲集から、なにか選んだんじゃないのか? 例えば、そう……この棚。戯曲集が並んでいるが、ここの戯曲集だけ抜き取られてている。誰かに借りられているようだ。おい、アルケー」

アルケー:「はい、学園総合管理システム、アルケーです」

プラトン:「この場所にあったのは、どのような本なのか、教えてくれ」

アルケー:「その位置にあったのは、バーナード・ショーの戯曲、『ピグマリオン』です」

プラトン:「内容はどういうものだい?」

アルケー:「貧しい花売り娘のイライザが、言語学者のヒギンズから公爵夫人になるためのレッスンを受ける、というものです」

アリストテレス:「それって、ミルさんが書いたものとまったく同じじゃないですか」

ミル:「……すみません、盗作するような真似をしてしまって」

プラトン:「別に謝ることではないが、なぜ原作があることを隠していたんだい? 最初から戯曲集からとってきたといえば問題なかっただろう」

ミル:「それは、その、いろいろあって……」

プラトン:「君もしかして、これまで自力で物語を書ききったことがないのか?」

アリストテレス:「え、でも、文芸部で小説を書いているってベンサムさんは言ってましたよ。たしか文化祭でも作品集を作って配る予定になっているはずです」

プラトン:「さっきミルは自白していたじゃないか。彼女はずーっと盗作をしていたんだよ」

アリストテレス:「盗作?」

プラトン:「なにか他の作品からアイデアを持ってきてそれを使用したり、周りの人間が思いついたと話したアイデアを横取りしたり。そうしてこれまで作ってきたから、今回も既存の作品から持ってくるしかなかったんだ」

アリストテレス:「そんな、決めつけるのはよくないですよ。ねえ、ミルさん?」

ミル:「本当ですよ」

アリストテレス:「え」

ミル:「なにか物語を書こうと思っても、なかなかいいネタが浮かばない、やっとのことで書いてみてもどこかで見たことのあるような二番煎じ。それでも何かを書きたい。なにかを遺したい。そう考えると、やめられなかったんです」

プラトン:「ただバレないように作品を盗作したいだけなら、黙ってベンサムの指示通りにラストを書いたらよかった。なぜあそこで反対したんだ?」

ミル:「それは、勝手に台本のラストを変えられそうになって、作品をないがしろにされて、ベンサムさんに腹が立ったんです。原作のバーナード・ショーに対する敬意が足りないって。でも同時に自分がこれまでそうして他の作品を勝手に使って真似をして、作品をないがしろにしてきたことと同じだと気付いたんです。だから、ベンサムさんだけじゃなくて、盗作をしていた自分自身が許せなくなって、それで……」

プラトン:「脚本を取り下げたんだね」

ミル:「……はい」

アリストテレス:「ミルさん、顔を上げてください。まだやり直せます」

ミル:「やり直す?」

アリストテレス:「バーナード・ショーの『ピグマリオン』を原作にしてい
ると銘打って、私たちの思う形で、最高の演劇にしましょうよ」

ミル:「なら、私はなにもすることはないってことですよね。原作があるなら、脚本家なんて必要がない」

ベンサム:「いや、必要だよ」

ミル:「っ! ……ベンサム、さん」

ベンサム:「『ピグマリオン』は文化祭のステージで学生がやるには長すぎる。それを削って重要なセリフを残す作業が必要になる。そうするには作品の意図を正確に汲み取る必要がある。特に今回は原作が日本語ではない。それを日本語にどう訳すのか。それを考える必要がる。君はそうやって今回の台本を書いてくれたんだろう?」

ミル:「そんな、私なんて大したことはしていません。ただ自分では何も書けないから、アルケーに相談してこの戯曲を選んだだけで……」

ベンサム:「でも、君のその作業がなければなにも始まらなかった。それに、君の言ったとおり、私は自分の都合で原作から改変を入れようとしてしまった。だから、そんなことにならないよう、君に見ていてほしいんだ」

ミル:「……」

ベンサム:「私が悪かった。だから、戻ってきてくれ」

ミル:「……分かりました。最後まで、やらせてください」

ベンサム:「ありがとう。頼りにしているよ」

アリストテレス:「じゃあさっそく教室に戻って稽古をしましょう。こうしている間にも時間が惜しいですからねっ」



ミル:「賭けはヒリングの勝利に終わるが、イライザは公爵夫人に作り上げられた自分に疑問を持つ」

アリストテレス(イライザ):「『わたしは花は売ってたけど、自分の身を売ったりはしなかった。でも、あなたにレディにしてもらった今、他に売れるものがあるかしら? あのまま拾わないでほっといてくれればよかったのに』」

ミル:「イライザはヒリングの家を出ていく。それを追いかけてきたヒリングと最後の会話をする」

プラトン(ヒギンズ):「『僕はやっていけるよ、誰がいなくたって。自分の魂があるからね。自分の神聖な炎のきらめきが。けど、君がいないと、さびしいだろうな、イライザ。君のバカげた考えから学ぶこともあった。白状するよ、感謝してる。それに、君の声や姿にすっかりなじんでしまって、正直、気に入ってる』」

アリストテレス(イライザ):「『そう、蓄音機とアルバムに入ってます。わたしがいなくなってさびしかったら、そのスイッチを入れて下さい。機会は感情を害したりしませんから』」

プラトン:「『蓄音機じゃ、君の魂まではかけられない。その環状を置いて行ってくれ、声と顔は持って行っていいから。そんなもんは、君じゃない』」

アリストテレス(イライザ):「『悪魔よ、あなたは。女の腕をねじりあげるみたいに、簡単に女の心をねじあげてしまう』」
アリストテレス(イライザ):「『わたしは、わたしのことを気にもかけない人のことなんか、気にもかけたくありません』」
アリストテレス(イライザ):「『わたしはただ、ちょっと、思いやりが欲しかっただけです』」

プラトン(ヒギンズ):「『あ、そうだ、イライザ、ハムとティルストン・チーズを注文しとしてくれないか? それから、トナカイの手袋、八号のやつと、僕の新しいスーツにあうネクタイを一本。色は君に任せる』」

アリストテレス(イライザ):「『羊毛の裏地がついているのがよければ、八号じゃ小さすぎます。ネクタイは新しいのが三本、洗面台の引き出しに入れたまま、忘れておいでです。ピカリング大佐はスティルトンよりグロスター・チーズの一級品がお好きです、あなたに違いはお分かりにならないでしょうけど。ハムは、忘れないように今朝ピアスさんに電話で念を押しときました。私がいなくなったら、どうなさるおつもりでしょう、想像できませんわ』」

ミル:「そうしてヒギンズの元を離れたイライザは、フレディという青年と結ばれることになる」

―拍手―



ベンサム:「やあ、お疲れ様」

プラトン:「お疲れ様」

ベンサム:「『ピグマリオン』のラストは田舎娘だったイライザが自らの意志でヒギンズを捨てて去っていく。イライザとヒギンズの上下関係が逆転するという皮肉なラストだが、観客の反応も悪くなかった。成功といっていい」

プラトン:「ああ。けれど、君はこのラストを受け入れられたのかい?」

ベンサム:「当たり前だろう。今更なにを言っているんだね」

プラトン:「ミルは君と脚本について相談していた。その段階でミルは原作
通りのラストを書いて君に見せたはずだろう。イライザがヒギンズから独立していくラストをね」

ベンサム:「たしかにそうだが、だったらどうだって言うのかね。その通りに演出したではないか」

プラトン:「君はそれをミルから見せられて、反対し、イライザとヒギンズがくっつく話に替えようとしていた。それほどに、原作のラストに納得がいかなかったのかと思ってね」

ベンサム:「……納得できなかったわけではない。嫉妬してしまったのだよ、イライザに」

プラトン:「嫉妬、というのはなにかしら共通点がなければ沸かない感情だ。つまり、君はイライザと共通点があった、同じ境遇だった、ということか」

ベンサム:「君には叶わぬな。……私は田舎の出身でね。イライザのように訛りがひどかった。都会に出てきて、その訛りでひどくいじめられてね。必死で言葉遣いを変えるように、訛りが出ないように努めたのだ。その結果がこの堅苦しい言葉遣いだ」

プラトン:「たしかにイライザと似ているね」

ベンサム:「だが、言葉遣いを変えて、自らのコンプレックスを乗り越えて自立したイライザと、自分はどこか違う。自分はあんなに自立しているだろうか。そう思うとなんだか心の底では今でも言葉遣いのことを気にして怯えている弱い自分が悔しくてね。最初は原作のラストが嫌だったのだよ」

プラトン:「なるほど、そういえば君は以前『えらいことになった』と言っていたね。あれも方言なのかい?」

ベンサム:「ああ。岐阜の方言で「えらい」は悲観的な意味を表すんだ。しんどい、だるい、というニュアンスに近いかもしれぬ。「熱が出てえらい」と言ったりする」

プラトン:「別に無理に訛りを隠す必要はないと思うけどね。少なくとも今回の演目をやったこのクラスの人間は、方言が出たところで笑わないと思うよ」

ベンサム:「……分かった。ほんなら、そうさせてもらうわ。みんなのおかげで、この文化祭は成功したと思っとる。みんなは観客だけやなくて、俺にも一歩踏み出す勇気をくれた。ホントに感謝しとる。ありがとう」

プラトン:「そのほうが自然で君らしいと思うよ」

ベンサム:「そうかな。なんか、照れるわ」

プラトン:「ああ。言葉遣いだけの話じゃない。なにかを強制されても、自分の根幹にあるものは捨ててはならないと思う。なにかの言いなりになってしまっては、人形となにも変わらないのだからね」

ベンサム:「肝に銘じとくわ。ほんなら、またな」

プラトン:「ああ。(独り言のように)……ピグマリオンとは、ギリシャ神話に登場する王様の名前であり、自らが彫った女性像に恋をした人物として描かれている。 その愛が報われるように祈りつづけていると、女神がその祈りを聞き届けてくれ、女性像に命が吹き込まれ、二人は幸せに暮らしたという神話だ。今回の戯曲はこのピグマリオンのように、自分の理想の女性を作り上げようとした哀れな男を描いた話でもあったわけだ。アルケーがこの戯曲を選んだことに何かしら意味があるのだろうか?」


ミル:「アリストテレスさん」

アリストテレス:「なんですか?」

ミル:「イライザにとって幸せだったのは、どちらのラストなんでしょうか」

アリストテレス:「それは、見方によるんじゃないですか? 社会的には、ヒギンズと一緒に暮らした方が、安定して裕福で幸せかもしれません。でも、イライザ個人の気持ちとしては、フレディと花屋をする方が、たとえ貧しくても幸せなのかもしれません」

ミル:「たしかにそうですね。……もし、あなたがイライザと同じ立場なら、どうしますか?」

アリストテレス:「うーん、実際になってみないと分からないですけど。どういう経緯があったとしても、自分のために教育をしてくれた人物がいるなら、その人物のためになんでもしてあげたいって、私は思います」

ミル:「なるほど。だからさっきのお芝居もどこかヒギンズを気遣っているように見えたんですね」

アリストテレス:「え。そんなふうに見えました?」

ミル:「ええ。とても大切に思っているようでした」

アリストテレス:「ありがとうございます。もしかしたら、それは相手がプラトンさんだったから、かもしれませんね。プラトンさんのことはなんだか放っておけないって思ってしまうので」

ミル:「本当に仲がいいんですね。どうせなら主演の二人が仲良く結ばれる戯曲を選べばよかった」

アリストテレス:「あはは……。それはそれで、恥ずかしいですね」

ミル:「恋愛ものの演劇を文化祭でやるなんて定番だから、過去の文化祭の記録からなにか恋愛ものの上演記録がないかと思っても出てこなかったんですよね。それどころか、学園の過去の記録に関わることがほとんど残ってなくて。参考になるものがなかったから、戯曲選びに苦労したんですよ」

アリストテレス:「そうだったんですね。一生懸命探してくださって、ありがとうございました」

ミル:「いえ、礼を言われることはしていませんから。今度は自力でなにか書いてみせますよ。大変かもしれないけれど、頑張ります」

アリストテレス:「私に協力できることがあれば言ってくださいね。応援してますから! ……少しずつ皆さんが立派に育っていくのを、私はずーっと見ていたいです」


《終》

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