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【5人用声劇台本】知を愛する者どもよ③「白紙を埋めよ」

この作品は、声劇用台本として執筆したものです。
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先人の偉大な哲学者たちのように、優れた人物を育成することを目的とした、全寮制の学園、フィロソフィア学園。
アリスとプラトンは体育祭の取材で陸上部を訪れることになるが、注目されていた選手、ヒュームはもう走らないと言い出し……

※「哲学者シリーズ」第三話です。

【上演時間】
約50分

【配役】
・プラトン(♂):フィロソフィア学園1年生。ひとりで真理を追求している。
  ※性別変更不可(演者の性別不問)

・アリストテレス(♀):フィロソフィア学園1年生。好奇心旺盛で明るい。
  ※性別変更不可(演者の性別不問)

ロック(♂):フィロソフィア学園2年生。陸上部。後輩気質。ヒュームにまた走って欲しいと期待している。
  ※性別変更可

バークリー(♂):ソフィア学園3年生。陸上部。気性が荒い。何が何でも勝ちたいと思っている。
   ※「アルケ―」兼役
   ※性別変更可

ヒューム(♂):フィロソフィア学園3年生。陸上部マネージャー。優秀な選手だったが、走るのに疲れてマネージャーになる。
   ※性別変更可


ロック:「あなたを心配させるものが、あなたを支配する。」(ジョン・ロック)

バークリー:「考える者は少ない。しかし、誰もが意見を持ってはいるのだ」(ジョージ・バークリー)

ヒューム:「心は一種の劇場だ。そこではいろいろな知覚が次々と現われる。去っては舞いもどり、いつのまにか消え、混じり合ってはかぎりなくさまざまな情勢や状況を作り出す」(デイヴィッド・ヒューム)

【タイトルコール】

バークリー:知を愛する者どもよ

ヒューム:第3話

ロック:「白紙を埋めよ」


アリストテレス:「プラトンさん、もうすぐ体育祭ですね」

プラトン:「ああ。実に面倒だ」

アリストテレス:「新聞部として、取材をしましょうよ!」

プラトン:「断る」

アリストテレス:「なぜですか!」

プラトン:「新聞、雑誌、テレビなどのメディアで取り沙汰されるのは、きれいな部分だけだろう? ああいう報道は気に食わない」

アリストテレス:「じゃあ、プラトンさんの思う正しい記事を書いてくださいよ」

プラトン:「正しい記事?」

アリストテレス:「ええ、素敵な体育祭の記事、書いてくださいね」

プラトン:「面倒だな……」

アリストテレス:「わかりましたか?」

プラトン:「はあ……仕方がないな」

アリストテレス:「私も手伝いますから、安心してください」

プラトン:「安心しろと言われて安心できた覚えはこれまで一度たりともないよ」

アリストテレス:「え? どういうことですか?」

プラトン:「なんでもない。ほら、さっさと行くぞ」

アリストテレス:「あ、待ってくださいよー」



ヒューム:「取材?」

アリストテレス:「はい、次の体育祭で、注目の選手にインタビューしようと思って」

ヒューム:「インタビューなんて、僕は興味ないよ」

アリストテレス:「そんなこと言わないでくださいよ。中学の頃から有名な陸上選手だって噂を聞いてます。ヒュームさんが走るのを楽しみにしてる人も多いと思いますよ」

ヒューム:「そんな期待を勝手に求めるのはやめてくれ。期待を寄せるくらいなら、自分で走ればいいんだ。自ら経験しないで観ているだけで、何が楽しいのか。僕にはさっぱり分からない」

アリストテレス:「さすが、経験論者のヒュームといったところだね」

ヒューム:「机上であれこれ考えるだけ、見ているだけ、聞いているだけ。そんなものくだらない。誰かに期待するくらいなら、自分で動いて体で経験すればいい。それだけだろう?」

アリストテレス:「そうは簡単に言っても、誰もが足が早いわけじゃないですし。誰かに期待するってのも悪くないですよ。自分で経験するのが大事って考えには同感ですけど」

ヒューム:「だから、僕はそういう期待を背負うのは嫌なんだ。そもそも、僕はもう走るつもりはない」

アリストテレス:「え、そうなんですか?」

ヒューム:「ああ。走るのに疲れたのさ。陸上部でも、今はマネージャーをしている」

プラトン:「走るのに疲れた、ね。なにか事情があるんじゃないのかい?」

ヒューム:「答える必要はない。取材も結構だ。じゃあな」

アリストテレス:「あ、待ってくださいよ……。あーあ、どうしましょう。せっかく記事が書けると思ったのに」

プラトン:「他をあたるしかないだろう。別に彼にこだわることはない」

アリストテレス:「そうですね。他に注目される選手といったら……」

バークリー:「なんだオマエら。 陸上部になんか用か?」

アリストテレス:「あ、はい。私は一年のアリストテレスです。こちらはプラトンさん。新聞部の取材で、体育祭で注目の選手にインタビューしようと思って来たんですけど……」

バークリー:「めんどくせーなー。俺様が勝つ、とでも書いとけ」

プラトン:「そもそも僕たちは、君の名前さえ知らないんだけどね」

バークリー:「チッ……バークリーだ。覚えとけ」

アリストテレス:「バークリーさん、インタビューさせてもらえませんか」

バークリー:「しゃーねーな。練習があるから、少しだけだぞ」

アリストテレス:「ありがとうございます。では、さっそく。バークリーさんはどの種目に出るんですか?」

バークリー:「そりゃもちろん、最後の対抗リレーに決まってんだろ」

アリストテレス:「自信満々ですね。相当練習されているんですか?」

バークリー:「当たり前だろ。勝つためならどんな努力をも惜しまねえ。それが俺の性分だ」

アリストテレス:「なるほど。他に注目している選手はいますか?」

バークリー:「他のヤツに興味ねーな。俺に勝てるヤツなんて今はいねーだろうし」

アリストテレス:「今は、ということは、以前はいたということですか?」

バークリー:「うるせーな。どうだっていいだろ。とにかく、俺が負けるなんてことはありえねえ。絶対に勝つ。それだけだ」

アリストテレス:「意気込みがよく伝わりました。ありがとうございます」

バークリー:「おお。かっこよく書いとけ。んじゃ、俺は練習に戻るから」

アリストテレス:「はい、練習頑張ってください。……自信満々な方でしたね。プラトンさん……って聞いてますか?」

プラトン:「なあ君。陸上部の部員かい?」

ロック:「はい、そうッスよ」

プラトン:「さっきからずっと僕らを、いや、バークリーを見ていたね。何か思うところがあるのかい?」

ロック:「別に思うところはありません。取材なんて珍しいなと思って見ていただけッス」

プラトン:「そうかい。せっかくだから、君にも話を聞いてもいいかい?」

ロック:「自分も部活があるんで、ちょっとだけッスよ」

プラトン:「分かったよ。君、名前は?」

ロック:「一年のロックです」

プラトン:「ではロック、質問だ。バークリーは、君から見るとどういう選手に見える?」

ロック:「優秀な選手だと思いますよ。いつも息を切らして、頭がクラクラするまで練習しています。それに、筋トレをしているのか、ここ数ヶ月で急に体つきがしっかりしてきたように見えるッス」

プラトン:「彼に勝てそうな選手を、君は知っているかい?」

ロック:「あの人に勝てるっていったら、ヒューム先輩しかいないッスよ」

プラトン:「ヒューム先輩が?」

ロック:「はい。中学生の頃は全国大会でも上位に入るくらいの実力だったらしいッス。自分も何度も一緒に走ったことはありますけど、勝てそうな気がしないっすよ。もしまた走ることがあったら、リベンジしたいッスね」

プラトン:「なるほどね。ちなみに、君は体育祭でどの種目に出るんだい?」

ロック:「一応これでも陸上部なんで対抗リレーに出ますよ。でも、相手はバークリー先輩ですからね~。あまり活躍できそうにはないっすねえ。はははっ……」

プラトン:「負けると思いながらスポーツを続ける理由が僕には分からないね」

ロック:「好きなんですよ。走るのが。体だけは、嘘を付きませんから」

プラトン:「そのスパイクのすり減り具合からもよく分かるよ」

ロック:「ありがとうございます。じゃあ、自分も練習に行ってきます」

―間―

アリストテレス:「なぜなんでしょう」

プラトン:「何がだい」

アリストテレス:「なぜ、ヒュームさんは注目されているのに、走ろうとしないんでしょうか」

プラトン:「言っていただろう。走るのに疲れたと」

アリストテレス:「でも、とても真面目そうな人で、そんなに簡単に走ることを辞めたりしそうにありませんよ」

プラトン:「どんな理由であれ、本人が決めたことだ。僕たちがとやかく言うことではないよ」

アリストテレス:「それはそうかもしれませんけど、気になりますよね。ロックさんの思想を考えたら、なにか見えてくるんでしょうか」

プラトン:「……なぜこちらを見る」

アリストテレス:「教えてください、お願いします」

プラトン:「まったく……。17~18世紀のヨーロッパの哲学には、経験論と大陸合理論の二つの潮流があった。経験論。それはイギリスで生まれた思想だ。フランシスコ・ベーコンの『知は力なり』という格言が有名だね。我々の思想は経験に基づいて築き上げられるものである。帰納法的な考え方を重要視したんだ」
プラトン:「そのベーコンが原点になった経験論の系譜に出てくるのがロックだ。」

ロック:「人は何も知らないまっさらな状態で生まれています。つまり、「タブラ・ラサ」、白紙の状態というわけです。生まれたての赤ん坊は1+1を理解しないし、空が青いということも知り得ないっす」
ロック:「じゃあどうやって、それを理解するのか。経験っす。経験することで、知識を身に付け、思想を作り上げる。だから、いくら哲学的なテーマを議論しようとしても、議論する人間自身の認識能力がどの程度のものかわかっていなければ意味がないんです。暖炉の火を温かいと感じる人間もいれば、熱いと感じる人間もいるのだから、その認識がズレていたら、議論にならないでしょう?」

プラトン:「ロックは、人間は経験によって価値観を作り上げていく。だから、道徳について語る前に、道徳を語る人間自身の認識能力について知るべきだ、と主張した。その人間はなにを見たのか、なにを聞いたのか、そしてそこからなにを考えたのか、どのような影響を受けたのか、知ることが重要だと考えたんだ」
プラトン:「そのロックの思想を進めたのがバークリーだ」

バークリー:「存在するってことは、知覚されるってことだ。目に見えるからそこにある。触れられるからそこにある。そういった感覚で物事を認識する。だから、たとえそこになにかが存在していたとしても、人間に知覚されなければ、存在していないのと同じことだ。道端の小さな雑草に目をくれるか? くれねえだろう? 目に入らない雑草なんて、存在していないのと変わらねーんだよ。もしなにもかも完璧に知覚できる存在がいるとしたら、それは「神」と呼ぶべきだろうな」

プラトン:「バークリーは知覚されることなしに存在することは出来ないと考えた。だから、我々が見ている世界はそのような知覚された情報の集まりであり、仮想空間のようなものだと言った。外にある物質を、完全にありのままに捉えられる人間なんていないということだよ」
プラトン:「そして、その思想をさらに加速させたのが、ヒュームだ」

ヒューム:「知覚していることが正しいとは限らないし、知覚したものや経験したものに因果関係を見出すことはできない。例えば、雨が降ると濡れるというのは習慣的に何回も経験しているからそう思っているだけで、次に雨が降ったら濡れるとは限らない。そもそも心なんて、知覚が集合した「知覚の束」にすぎない。心なんて変化し続ける知覚の集合にすぎない。ということは、その心からできている「私」もただの知覚の集合にすぎない。もしかしたら自分が考える自己もなにかと組み合わされたものかもしれない」

プラトン:「ヒュームは我々が見ている世界だけでなく、見ている心自身、そして自分自身さえも実体のない不確かなものだとして、疑った。懐疑(かいぎ)主義と呼ばれる考え方だね。ただ、実体が存在しなくても想像することはできる、とうことでもある。たとえば、羽の生えた猫は存在しないが、我々はそれを想像することはできるとね」

アリストテレス:「そうして想像できること、豊かな心を持てることが、きっと人間の素晴らしさなんですね」

プラトン:「君らしい意見だね」

アルケー:「本学園プログラムも、皆さんが素晴らしい人間になれるよう、
素晴らしい人生を歩むことができるようにサポートいたします」

アリストテレス:「はい、アルケーさん、よろしくお願いします!」



アリストテレス:「あ、ヒュームさん。こんにちは。どうしたんですか?」

ヒューム:「なんだ、もう取材はいいだろう。僕は走らないんだから」

ロック:「だから、そんなこと言わないでくださいよ。先輩なら大丈夫ですって」

ヒューム:「大丈夫か大丈夫じゃないかは僕が決めることだ。大丈夫じゃない。だから出ない」

ロック:「そんな~」

アリストテレス:「あ、えっと、あなたはこの前の……」

ロック:「一年のロックっス」

アリストテレス:「ああ、それそれ。ロックさん。なにが大丈夫なんですか?」

ロック:「聞いてくださいよ。ヒュームさんに今度の体育祭の対抗リレーでアンカーしてほしいって言ったんですけど……」

ヒューム:「走らないって言ってるだろう」

ロック:「ずっとこの調子で。お二人からもなんとか言ってやって下さいよー」

プラトン:「走りたくないなら走らなければいいだろう」

ロック:「でももったいないッス。せっかく全国大会でも通用するような選手なのに」

ヒューム:「過去の話だ。僕はもうそんな優秀な選手じゃない」

ロック:「どうして諦めちゃうんですかっ。自分はもう一度ヒュームさんに走って欲しいだけッス」

ヒューム:「そうやって期待を押し付けるのはやめろ。走りたければ自分で走って勝手に一位にでもなんでもなればいい。お得意の経験主義でもなんでも振りかざしとけばいい」

ロック:「自分はそんな早くないッスから……」

ヒューム:「諦めているのはお前の方じゃないか。そんなヤツから言われても説得力もなにもない」

ロック:「それは……」

プラトン:「もういいだろう。そろそろ陸上部の参加書類を出しに行かないといけないから。これで失礼する」

アリストテレス:「あっ、待ってくださいよ。ヒュームさんっ」

ロック:「そうっすよ。ほら、登録用紙貸して下さい。ヒュームさん」

ヒューム:「おいこら、勝手に書こうとするなっ! あっ……」

アリストテレス:「紙が風で……」

ヒューム:「まったく、なんてことをしてくれるんだ。早くとりに行かないと……」

ロック:「あ、待ってください。ヒュームさんがわざわざ動くことないですよ。オレがとって来ますから、そこで待っててくださいっ」

ヒューム:「そ、そうか。頼んだ」

ロック:「はい。じゃあ自分はこれで」

ヒューム:「ほら、お前たちももう帰ってくれ。今日はもう解散だ」

アリストテレス:「インタビュー記事、なんとかこれで書くしかないですね」

プラトン:「だが、それだけでは記事として足りないんじゃないかい?」

ロック:「なら、せっかく陸上部に来てもらったんですから、バークリーさんにもう少しインタビューしてみたらどうッスか?」

プラトン:「さすが陸上部だな。もう戻って来たのか」

ロック:「へへっ、走ることしか考えてないもんで」

アリストテレス:「バークリーさんですか。たしかにちょっと気にはなっていたんですよね。もう一度インタビューしてみます」



バークリー:「よーし、ちょっと休憩するぞ。十分後に再開するからな」

アリストテレス:「練習にますます熱が入ってますねっ」

バークリー:「またお前か。今度はどうした」

アリストテレス:「せっかくなんでもう少し取材させてもらえないかと思いまして」

バークリー:「練習で疲れてんだ。取材はお断りだ」

プラトン:「疲れるほど走り込まれているんですか?」

バークリー:「てめえ、喧嘩売ってんのかっ」

ロック:「まあまあバークリー先輩、落ち着いてくださいよ。カリカリしていると余計に疲れますし、またニキビ増えるッスよ」

バークリー:「お前らが余計なこと言わなきゃカリカリすることもねえんだよ。大体ロック、最近のお前の走りはなんだ。最初から諦めたような走りしてんじゃねえ。勝つ気がねえなら走るな。それこそ目障りだ」

ロック:「それは……仕方ないッスよ。バークリーさんと他の部員の実力の差は歴然で、皆バークリーさんの隣を走るの諦めてますよ」

バークリー:「そういう態度が気に食わねえんだよっ!! やる気ないなら全員陸上なんか辞めちまえ!!」

―間―

アリストテレス:「……バークリーさんは、ライバルが欲しいんですね」

バークリー:「は?」

アリストテレス:「バークリーさんは、隣を一緒に走ってくれる人を、自分を追い抜かしてくれる人を待っているんですね」

バークリー:「だったら悪いか?」

プラトン:「それはもしかして、ヒューム先輩のことなんじゃないのか?」

バークリー:「あんなヤツのことは知らねえ。出来損ないのただのマネージャーだ」

ロック:「あんなに二人で競い合ってたのに……」

バークリー:「とにかく、俺はただ走る。そんで勝つ。全国大会も、体育祭も、なんでも。俺の前に走らせることはしねえ」

アリストテレス:「さすがバークリーさん、かっこいいですね!」

バークリー:「もういいだろう。俺はシャワーを浴びて頭を冷やしてくる」

アリストテレス:「そうとうお疲れのようですね」

バークリー:「うるせえな。目障りなんだよ」

プラトン:「疲れている……というより体調が悪い、といった感じだな。立
っているのもやっとといった感じだ」

バークリー:「分かったなら休ませてくれ。これ以上構ったら殴るからな」

ロック:「あっちょっと……行っちゃったッス」

アリストテレス:「バークリーさんっていつもあんな調子でイライラしているんですか?」

ロック:「元々気難しいところはありましたけど、あそこまでじゃあなかったッス。ヒュームさんが辞めるちょっと前からですかね。練習量も増やして、神経質になって、その影響かニキビも増えて。見ているだけで痛々しいッス」

プラトン:「顧問の教師は何も言わないのか?」

ロック:「うちの顧問って結果しか見てないっていうか、タイムが上がればそれでいいと思ってるんですよね。だからむしろひたすら練習させ続けるんですよ。前はそれを止めようとしてくれた先生もいたんすけど、その先生も辞めっちゃて……」

アリストテレス:「スポーツっていかにも青春って感じで素敵ですけど、大変なんですね」

ロック:「まあ、好きでやってることなんでいいんですけどね。……あ、バークリーさんタオル忘れてるッス。どうしよう、体育祭の書類も書かなきゃいけないのに……」

プラトン:「僕が持っていこうか」

ロック:「え、いいんすか?」

アリストテレス:「珍しいですね、プラトンさんが自分から誰かのために動くなんて。いつもなら面倒くさがってそういうことしないのに」

プラトン:「僕だって最低限の気遣いはできる。シャワー中のバークリーのところへ君が持っていくのかい?」

アリストテレス:「ああ……お願いします」

プラトン:「そういうことだから、ちょっと行ってくるよ」

アリストテレス:「はい、気をつけてくださいね」

(ノックする音)

プラトン:「失礼します」

バークリー:「ん、ロックか? ちょうどよかった今タオルがなくて困って……ってなんだ、新聞部の陰気メガネじゃねえか」

プラトン:「だれが陰気メガネだ。そういう先輩は随分とりっぱな体つきをされていますね。……一部を除いて」

バークリー:「嫌味かよ。筋肉は鍛えられても、どうにもならない部分もあるだろっ」

プラトン:「苦労されているんですね」

バークリー:「うるせえ、ジロジロ見るなっ。さっさとタオルよこせ!」

プラトン:「はいはい、どうぞ」

―間―

プラトン:「一つ聞いてもいいですか?」

バークリー:「なんだよ」

プラトン:「なぜそこまでして、走りたいんですか? なぜそこまでして勝ちにこだわるんですか?」

バークリー:「さあな。いつの間にかそんなことを考えることもやめちまった。とっくに頭も体もイカれちまってるのかもな」

プラトン:「そうですか。まあ、僕は何も言いませんよ。僕はただ聞いたままに記事を書くだけだから」

バークリー:「……なあ」

プラトン:「なんですか?」

バークリー:「俺は、ずっと走ってきた。走って勝つことだけが生きがいだったんだ。負けたらもう俺に価値はねえ。そう思ってた。けど、そうして隣にはだれもいなくなって、誰も俺を見つけてくれなかったら、俺は存在しているって言えるのか? それでも俺が走る価値なんてあるのか?」

プラトン:「さあね。僕はスポーツの経験がないから、そういった話はよく分からない」

バークリー:「はっ、それもそうか」

プラトン:「ただ、何かを掴みたい。上を目指してもっと違う景色をみたいと思うのはごく自然な欲求だと思う。追いつきたい理想の人物がいるならなおさらね」

バークリー:「さっきは言わなかったけどよ、一目見て思ったんだ、お前は俺を同じだって。その理由がなんとなく分かった気がするぜ」

プラトン:「冗談でしょう。僕は走ったりするのは性に合わないんですよ」

バークリー:「そうかよ。せいぜい頑張るんだな」

プラトン:「ええ、あなたも頑張ってください。体育祭楽しみにしてます」



アリストテレス:「いよいよ体育祭ですね。楽しみましょうね。プラトンさん」

プラトン:「いや、どうやら、楽しんでばかりもいられないようだ」

アリストテレス:「なにか騒がしいですね。行ってみましょうか」

ロック:「ああ。アンタたちっすか」

アリストテレス:「なにかあったんですか?」

ロック:「それが、困ったことになったんですよ」」

プラトン:「なんだい、困ったことって?」

ロック:「いや、それが、対抗リレーのことなんですけど、バトンを持ってくるを忘れちゃって……」

アリストテレス:「対抗リレーは体育祭で一番盛り上がる競技なのに、それは大変ですね」

ロック:「そうなんすよ。僕は体育委員の仕事もあって手が離せなくて。それに出場するはずのバークリーさんも見当たらないし……。お願いです。取ってきてもらえませんか?」

プラトン:「なぜ僕がそんな面倒くさいことを……」

アリストテレス:「いいですよ」

プラトン:「おい」

ロック:「よかった。お二人ならそう言ってくれると思ってたっす。お願いしますね!」

プラトン:「あ、おい、待てっ……さすが陸上部。足の速さを実感したよ」

アリストテレス:「さあプラトンさん。バトンを持ってきましょうよ」

プラトン:「君ねえ……何でもかんでも安請け合いするもんじゃないぞ」

アリストテレス:「すみません、でも眼の前で誰かが困ってたら助けてあげたいじゃないですか」

プラトン:「助けて欲しい、ね」

アリストテレス:「そうですよ。じゃあ行きましょう」



アリストテレス:「おかしいですね……体育倉庫のどこにも見当たりません」

プラトン:「もうバトンなんてなくてもいいんじゃないか?」

アリストテレス:「ダメですよ。そんなに簡単に約束破っちゃうなんて」

プラトン:「破るっていっても、たかがバトンだろう」

アリストテレス:「それでも、約束は約束です。約束は守らなきゃいけませんよ」

プラトン:「なら約束なんて、簡単にするもんじゃないな」

アリストテレス:「しちゃったものは仕方がないですよ。他の場所を探しましょう」

プラトン:「はあ……。陸上部の部室にでも行ってみるか」



アリストテレス:「失礼しまーす」

バークリー:「うわっ! ってなんだよ、またお前らか。入るときはノックくらいしろよ」

アリストテレス:「すみません、ちょっと急いでたものですから、つい」

バークリー:「なんだよ、まさかまた取材させろってんじゃねえだろうな」

プラトン:「頼まれたってもうこれ以上はやりませんよ。面倒くさい」

アリストテレス:「新聞部の部員としてその発言はどうかと思いますけど」

バークリー:「取材じゃねえなら何しに陸上部の部室まで来たんだよ」

アリストテレス:「対抗リレーで使うバトンを探しに来たんですよ。ロックさんが部室に忘れたっていうから」

バークリー:「ああ、そういうことか。どうりでいつも倉庫にしまってるバトンが部室にあるわけだ。ほら、これだろ。さっさと持ってけ」

アリストテレス:「あ、それですね。ありがとうございます」

プラトン:「先輩は、ここで何をしていたんですか?」

アリストテレス:「そうですよ。ロックさんも探してましたよ」

バークリー:「ひとりで気持ちを落ち着けてたんだよ。走る前にはいつもそうしてんだよ。文句あんのか?」

プラトン:「いいえ、別に文句はありませんよ。あなたたちの心身がズタボロになっても僕にはなんの関係もない」

アリストテレス:「ズタボロってどういうことですか?」

バークリー:「それに、あなたたちって言ったよな。それは一体、誰と誰のことだ?」

プラトン:「もちろん、バークリー先輩と……ヒューム先輩のことですよ」

バークリー:「……」

プラトン:「まず、ヒューム先輩。注目されるほどの選手だったのに、なぜ走らなくなったのか」

アリストテレス:「走るのに疲れたからって言っていましたけど」

プラトン:「それも理由の一つかもしれない。でも、それだけじゃない」

アリストテレス:「え?」

プラトン:「走らないんじゃなくて、走れないんだよ」

アリストテレス:「どういうことですか?」

プラトン:「この前インタビューをしていて思ったんだ。彼は走ろうとしない。紙が風に飛ばされたとしてもだ。だから思ったんだよ。もしかしたら、走りたくても走れないんじゃないかって」

アリストテレス:「でも、それだけだと根拠が薄いですよ」

プラトン:「陸上部はかなり練習量が多いようだった。それで身体を壊したのだとしたら?」

アリストテレス:「この学園の中でそんなことがあったんですか?」

バークリー:「そういうことが、まかり通る学園なんだよ。ここは。数年ここにいたら、イヤってほどそれが身にしみる」

アリストテレス:「そんな……」

プラトン:「それだけじゃない。バークリー先輩、今なにをしようとしていましたか?」

バークリー:「オレが何をしようとしているのか、いちいちオマエらに話す必要はねえな」

プラトン:「話す必要はありません。ただ、後ろに隠したものを出してもらえますか」

バークリー:「……ほらよ」

アリストテレス:「これって……!」

プラトン:「注射器だね。おそらく中身は蛋白同化剤だろう」

アリストテレス:「薬には詳しくないのでピンとこないんですけど」

プラトン:「つまり、ドーピングしてたんだよ」

バークリー:「いつ気づいた」

プラトン:「イライラするようになる、過度な疲労、そして生殖器の萎縮。このあたりの副作用の症状を確認したときですかね」

バークリー:「なるほどな」

アリストテレス:「どうして、ドーピングなんてしたんですか?」

バークリー:「絶対に勝ちたいヤツがいたからだよ」

アリストテレス:「それって、ヒューム先輩のことですか?」

バークリー:「ああ。何度やってもアイツは俺の前を走っていた。アイツに勝ちたいだから、こんなものまで使って、必死に練習した。まあその結果、アイツが先に身体壊して辞めちまったけどな」

プラトン:「前を走る相手がいなくなってもドーピングを続けるのは、自分の存在を知らしめるためかい?」

バークリー:「そうなんだろうさ。走ってるところを見られないこと。気付かれないこと。それがただ恐いんだよ」

アリストテレス:「でも、だからってそんなことしていたら、あなたが、壊れてしまいますよ」

バークリー:「そうだな。だから、もうオレがここにいる意味はねえ」

アリストテレス:「どういうことですか?」

バークリー:「バークリーはドーピングにより失格。そう伝えておいてくれ。デカデカと記事にするものいいかもなあ」

アリストテレス:「ちょっと待ってください、私はなにもそんなこと……」

プラトン:「いや、彼の好きにさせてやろう。それが彼自身のためにもなる」

バークリー:「そういうことだ。じゃあな」

アリストテレス:「あの、先輩っ」

バークリー:「なんだよ」

アリストテレス:「先輩が必死に走るところ、私好きですよ。ちゃんと覚えてますから」

バークリー:「……そうかい」



ロック:「どうしましょう。これじゃ全然盛り上がらないッスよ」

アリストテレス:「でも、バークリーさんの他に走れる人なんて……」

プラトン:「ほら、いるぞ。ひとりだけ」

ヒューム:「だから、僕は走らないって言ってるだろう」

ロック:「ヒューム先輩!」

ヒューム:「期待しているところ悪いが、知ってのとおり、僕はもう走るつもりはない」

アリストテレス:「身体を壊したからって、本当にそれで諦めてしまうんですか?」

ヒューム:「正直に言うとね、身体を壊したとき、ちょっと安心したんだ。もう走らなくてもいいんだって。もう期待に応える必要もないんだって。たとえ走れる身体だったとしても、そんな状態で走ることなんて……」

アリストテレス:「いいえ、走れます」

ヒューム:「え?」

アリストテレス:「走れますよね? ヒューム先輩? 先輩は、本当は走れるんですよね? ここで諦めるような人じゃありませんよね? 私知ってますよ、先輩が走りたそうに練習を見ていたこと」

プラトン:「おい待て、アリス君。無理強いするんじゃないっ」

アリストテレス:「大丈夫ですよ。ヒュームさんはきっと走ってくれますよ。ね? ヒュームさん」

ヒューム:「……ああ。そう、だった。そうだった、かもしれない」

アリストテレス:「じゃあ決まりですね! ロックさんもヒュームさんも、頑張ってくださいねっ。さ、プラトンさん。観客席に戻りましょう」

プラトン:「あ、ああ、そうだな」

ロック:「先輩とまた走れるなんて夢のようです。お互いに頑張りましょうね」

ヒューム:「どうせ君が勝つよ。ろくに走れないんだから」

ロック:「そんなあ、精一杯頑張りましょうよ。ほら、来るッス」

ヒューム:「やるしかないか」

ロック:「先に行くっすよ!」

ヒューム:「負けてられないか。早くバトンをよこせっ!!」

ロック:「へへ、容赦はしないっすよ。はじめて自分のまっさらな紙に勝利の経験を書き込むんですからっ!」

ヒューム:「ナメてるんじゃないぞっ。お前の紙に書かれるは、敗北の二文字だけだ!!」

ロック:「(同時に)うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ヒューム:「(同時に)うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


プラトン:「残念だったね。あともう少しだった」

ロック:「ヒューム先輩のほうに行かないんすか?」

プラトン:「あっちはアリス君に任せてある。きっといい記事を書いてくれるだろう」

ロック:「じゃあこっちは敗者インタビューですか?」

プラトン:「君は本当にそれでよかったのかい?」

ロック:「よかったに決まってるじゃないですか。ヒューム先輩が全力で走っているところを見れたんですから。それ以上のものはないッス」

プラトン:「本当は君だって勝ちたかったはずだろう」

ロック:「そりゃあ、勝てたらよかったですけど、仕方がないッスよ」

プラトン:「まあ、それもそうだ。でも、君がヒューム先輩をもう一度走らせて、勝たせて、復活させるように仕向けたのも事実だろう」

ロック:「そんなこと考えるはずないじゃないッスか」

プラトン:「いや、君はヒューム先輩が体を壊していたことも、バークリー先輩がドーピングに手を染めていたことも知っていた。同じ部活なんだ。知る機会はいくらでもあったろう。そしてそれを僕たち新聞部に教えていた」

ロック:「何を根拠にそんなこと言ってるんスか。言いがかりは辞めてくださいよ」

プラトン:「言いがかりじゃない。君はヒューム先輩の登録用紙をとろうとわざと絡んで用紙を飛ばさせた。僕たちに走れない姿を見せるために。そしてバークリーが急に練習量を増やして様子がおかしくなったことを教えた。タオルを持っていかせて体を見るように仕向けた。わざとバトンを部室に置いて僕たちにとりにいかせて、ドーピングしようとするバークリー先輩と鉢合わせるようにした」

ロック:「……」

プラトン:「君の目論見(もくろみ)は、そうして僕たちにヒューム先輩とバークリー先輩のことを僕たちに教えて、バークリー先輩を出場停止にさせ、変わりにヒューム先輩を走らせることだったんだ」

ロック:「だったらなんだって言うんですか」

プラトン:「君が手を抜いて走り、ヒューム先輩が勝つ。見事に陸上選手として復活という筋書きだ。違うかい?」

ロック:「一つ、違いますね」

プラトン:「ん?」

ロック:「僕は手を抜いてません。全力で走って、負けたんです」

プラトン:「……」

ロック:「僕はどうせあの人には敵わない。だから、自分が勝てない分だ
け、勝ってほしい。走ってほしい。そう思っただけなんですよ」

プラトン:「自分が勝ちたいと思う気持ちはまったくなかったのかい?」

ロック:「それは、羨ましい気持ちはありましたよ。でもいくら僕が頑張ってもあの二人のようにはなれないんですよ」

プラトン:「だからあの二人を蹴落としたいと思った?」

ロック:「違うっ」

プラトン:「違わないね。君は本気で走っていた。本気でこれまでずっと走っていた。靴がボロボロになるほどにね」

ロック:「……」

プラトン:「それだけ努力していたのに、負けて悔しいわけがない」

ロック:「そりゃあ……そりゃあ悔しいですよっ!!」
ロック:「どれだけ頑張っても勝てない相手がいる。おまけに一人はずるをしている。それなのに! なぜ僕だけが勝てない!!」

プラトン:「君はまだまだこれからだ」

ロック:「そんなの気休めですよ」

プラトン:「たしかに君は陸上選手として才能があるとはいえない。けれども、それでも自分の力で走ることを、陸上をやめなかった。そういう意味で、精神的にあの二人には勝っているよ」

ロック:「……勝つってことなんすかね」

プラトン:「ああ、きっとね」

ロック:「ちょっと先輩たちと走ってきます。なんだかそういう気分になったんで」

プラトン:「気の済むまで走り続ければいいさ。走れなくなってから、もっと走っておけばよかったなんて思っても、遅いのだからね」



アリストテレス:「あ、プラトンさん。どこに行ってたんですか。ヒューム先輩のインタビュー終わっちゃいましたよ」

プラトン:「ちょっと野暮用でね」

アリストテレス:「今回も、部活内でいろいろとあったようですね」

プラトン:「それを黙認している学園もどうかと思うがね。なあ、アルケー?」

アルケー:「今後このような繰り返さないように、改善に努めます」

アリストテレス:「そうですね、ここは知を愛する学園じゃないと」

プラトン:「そんな楽しい場所だといいけどね」

アリストテレス:「違うんですか?」

プラトン:「君も、いや、僕も。この学園についてまだまだ何も知らない。まだ白紙の状態なんだ。これからそれを見極めていくさ」

アリストテレス:「プラトンさんは真理を追い求めているんですよね。私もお手伝いさせてくださいね」

プラトン:「君がどうしようもなくお節介であるということは僕の白紙に書き加えておくことにするよ、アリス君」


《終》


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