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神田川の秘密29の8  自然を壊して景観を失い、生き物が住めなくしたところを今度は再生する・・人間の営みのおかしさ

 二十九の8 壊しておいて再生、壊しておいて再生・・繰り返し

都電のことはほどほどにして、高戸橋から神田川の右岸を30メートルと歩かないうちに変則的に加工された川底が見えてきた。写真を撮ってさらに数歩進むと、それが何なのかを説明する新宿区の説明看板が立っていた。行政が繰り返してきたいつもの手口がここにも見て取れる。一度破壊して、再生するというやり方。

魚道つてけてみました。いかがでしょうか?

 都市の全体像を考え、未来図を描き、住宅、道路、河川、公共施設総体に想いを致す人はいないのだろうか?またまた疑問が湧いてくる。いつも行き当たりばったり、モグラ叩き方式でことが進んでいるように見えてしまう。神田川は東京の重要河川だし、治水の対象であると同時に、川としての基本的な機能も併せ持っている。川には多くの生き物が生息していたし、生息する場所であったはず。そんなことは先刻分かっている専門家が東京都には大勢いるはずだ。彼らの叡智をモグラ叩きに使っているのは何故なのだろう?もう少し、何とかならないかと思ってしまう。

魚はかつて自由に泳ぎ、アップダウンしていた
人間は勝手な振る舞いが多くないか?

 鮎が神田川を遡上するようになった。
 結構じゃないか!歓迎すべきことだ。が、しかし、神田川の治水工事のために住処(スミカ)を追われた鮎たちは自分たちに与えられた苦難をどのようにして乗り越えたのだろう。どこに隠れ住み、どうやって生き残り、なぜ再び神田川に現れたのだろう。治水工事に知恵を働かせ、魚道を設えたことに驚く前に、鮎の生命力こそが驚くべきことではないだろうか?魚道は高戸橋と曙橋の間のこと。神田川全体の魚道はどうなっているのだろうか。そのことにまた思いがいってしまう。

 それに、鮎という魚は塩焼きが美味しいだけでなく、その生涯もドラマチックだ。Wikipedia の説明を要約すると
『成魚は川で暮らし、水温が20℃を下回ると、河川の下流域に降って産卵する。孵化した後、稚魚は数日のうちに河口域まで流れ下り、河口に近い海で成長するが、汚れた海では育たない。翌年4月~5月に体長5~10センチ程度になると、川を遡上する。歯は櫛のような形に変化し、川の中流域から上流に着くと、岩についた藻を削り取って食べる。岩にはアユに削り取られた「食み跡」を残す。大きくなった鮎は餌場を独占して「縄張り」(1メートル四方ほど)を作る。縄張りを持った鮎にはヒレの縁や胸に黄色い班できが、鮎は互いに黄色の色具合を識別して、縄張りの争いを回避する。自分の縄張りに侵入されると体当たりを食らわせて激しく排除する。秋になって性成熟すると体の色をオレンジと黒に変え(さびあゆ)、川下に降っていく(落ち鮎)。産卵は一頭のメスにオス2頭以上の産卵放精で行われる』

これが神田川の姿ですが、ちょっと違和感ありです

 短く書いてしまうと実に味気なくなってしまうが、なぜわざわざ川を降って産卵するのか。卵から孵った稚魚はなぜ川を遡上するのか。縄張りを作るのは理解できるとして、なぜ体の色をオレンジに変えて縄張りを持ったことを顕示するのか。川の温度が20度以下になり産卵期が来たとどうやって認識するんだ。体内温度計が付いているのか。複数のオスが協力して1頭のメスに放精するのはなぜなんだ。1妻多夫制じゃないか。逆にいえば、人間はなぜ一夫一婦制が推奨されているんだろう。オットセイの習性をテレビで見たことがあるが、オットセイの場合、1頭のオスがメスを独占してハーレムを作るそうじゃないか。オス同士の闘いはあるが、負けたオスたちは一塊になって、内陸の不便でうら寂しいところにまとまって暮らし、一生を独身で過ごすという。

神田川に遡上する鮎の話からは随分と離れてしまうが、自然界、いや人間界は不可思議なことばかりだ。

曙橋の下に魚道がつけられている
都電始発駅の早稲田駅


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