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神田川の秘密 スチュワーデス殺人事件(2)

十七の2 スチュワーデス殺人事件(2)

 2日後、13日の朝日新聞朝刊では『スチュワーデスは絞殺 当局認定』と見出しを打って「足どり、ナゾのまま 捜査本部交友関係を洗う」と書き、「状況からして(捜査)本部では❶八日、九日の二日間は“意外な人物”と一緒にいた❷誰かに監禁されていた❸自動車などで無理に連れ去られていった、などの見方をとり、Tさんの秘められた交友関係について更に調べる方針を立てた」と報じている。
 目撃情報があったことやロンドンの大衆新聞三紙が12日の夕刊1面に事件を写真入りで報じたことにも触れている。一方、読売新聞3月11日の夕刊では記事にTさんの顔写真をつけ、「・・・死体は幅13メートル、水深45センチの善福寺川に紺色にツーピースの制服姿でただよっていた・・・」と実況を詳しく書いている。読売新聞は翌日12日の朝刊(3段)、同日夕刊(4段)、13日朝刊(4段)、14日夕刊(3段)と連続して関連記事を載せ、世間の関心の高さを示している。

 昭和34年(1959年)の出来事をネットで拾ってみると、1月1日にキューバ革命が起き、カストロとゲバラの写真が世界に流された。8日、ド・ゴールが共和国フランスの初代大統領に就任した。14日には昭和基地に置き去りにしたタローとジローの樺太犬の生存が確認された。3月には少年マガジン、少年サンデーが同時創刊され、週刊文春が4月に創刊された。長嶋茂雄が阪神村山投手からサヨナラ本塁打を打った天覧試合が6月にあって、7月には熊本大学医学部によって水俣病は有機水銀が原因だとスクープされている。戦後最大の謀略事件と言われた松川事件で、最高裁は原判決(有罪)を破棄し、差し戻した(8月10日)。9月26日、伊勢湾台風が襲来し死者5041人をだしている。年末のレコード大賞は水原弘の「黒い花びら」が選ばれた。

 この年の最も大きな出来事は4月10日の皇太子(現上皇明仁)のご成婚とパレードだろう。53万人が沿道に出て2人のパレードを見た。華やかなパレードにふさわしい日本晴れの空だった。テレビの中継は1500万人の国民が観たという。川旅老人はその時中学生。この日はたまたま同級生30人と担任の先生が自宅に訪ねて来ていた日で、みんなでテレビの中継を食い入るように見た。 

 その一方で、60年安保闘争へと向かう国民的な政治闘争が始まろうとしていた。つまり、若い女性の死体が善福寺川で発見されたのは激動の昭和史の真っ只中の出来事だった。スチュワーデスという職業は特別で、憧れの職業だった時代の殺人事件であった。BOACが日本でスチュワーデスを公募したのは初めてのことで、Tさんは約5000人の応募者(松本清張は50人としている)の中から選ばれた9名の合格者の中の一人だった。「容姿端麗、語学堪能」が募集要項に公然と掲げられている時代だった。Tさんはロンドンでの実習を終え、羽田・香港間の国際線勤務が決まっていて、3月13日には初飛行で香港に飛ぶ予定になっていた。

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