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神田川の秘密を語ります         スチュワーデス殺人事件(1)

十七 スチュワーデス殺人事件(1)

 宮下橋から下流を眺める。
 石積みの護岸が続き、川は流れ、川面に浮いた落ち葉が10枚(ヒラ)、20の塊になって下流へ向かっている。直ぐ目についたのは左岸遊歩道の真下に埋設された取水口だった。大きく横長に口を開けた取水口は長さにして30メートルはある。増水時にここから取り込まれた水は野球場になっているグランドに誘導される。4万㎥貯水できるそうだ。

 宮下橋から50メートル下流、取水口とは反対岸に若い女性の死体が浮いていたのは昭和34年(1959年)3月10日の朝のことだった。今から61年前になる。善福寺川の姿は今の形とは全く違っていて、両岸は突き固めた土手で、柵もなく誰でも川辺に降りて行けた。高さも護岸工事の進んだ今の状態から見れば、半分にも届かない。住宅化が進むにつれ家庭排水が善福寺川に流れ込み、ゴミが捨てられドブ川と化していた。新・旧の都市住人たちにとっての川は「ゴミを捨てる場所」であった。

殺人事件のあった場所とは思えない変貌した神田川

 死体発見の翌日、昭和34年3月11日の朝日新聞夕刊が報じている。
 大見出しは『スチュワーデス怪死』。
 小見出しに「善福寺川で 他殺と見て捜査」で始まる記事は
「十日朝七時四十分ごろ杉並区大宮町1659先の善福寺川に浮いていた死体があり、東京都高井戸署で調べたところ世田谷区松原町・・・BOAC(英国海外航空)スチュワーデスのTさん(二七、記事は実名)と分かったが、死因に疑いを持ち、十一日慶大法医学部教室で司法解剖した結果、他殺の疑いが濃いので、同署は警視庁捜査一課の協力を得て捜査に乗り出した。・・・解剖の結果では、死んだのは十日午前五時ごろと推定され死因は水死か窒息死したかのどちらかであることがわかった。・・・同署がこれまで調べたところによると、Tさんは去る一月五日BOACに採用され・・今月八日に『教会とおじさんのところに行ってくる』と下宿を出てどちらへも行かず、また会社にも出勤せず行方がしれなかった」と書いている。

記事はそのあと「(Tさんは)・・神戸市に一旦帰って病院で看護婦をしていたが、三十二年春ふたたび上京、中野区鷺宮の乳児院オデリアホームで保健婦をしていた」とTさんの経歴を短く紹介している。

 高井戸警察署は遺体の発見当初自殺と判断したらしく、実地検証のための現場の保全、確保をしなかったため、死体発見の当日、近隣に噂が広がると野次馬が集まり、現場は踏み荒らされてしまった。事件が発表されると更に報道関係者が土手に殺到した。死体の解剖も事情があって遅れた。

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