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神田川・秘密発見の旅 後編24 仙台堀を眺めて伝通院に向かう

後編24  仙台堀をながめ、伝通院への坂を登る(2022年4月16日)

 JR飯田橋駅で総武線を降りた。
 四谷駅寄りの改札(西口)を出て早稲田通りを右に、外堀通りとの交差点まで下った。そこは「神楽坂下」交差点。右手に外濠の淀みを眺める。外濠は神田川と船河原橋でほんのわずか繋がってはいるが、中央線の電車の窓から眺めると、市ヶ谷土橋も牛込土橋も土手ごとに水面に1m~2mの落差がある。水門で調整しているようだ。

水門の前には白鷺がつがいで水を浴びていた

 神楽坂下の手前で外濠を繁々と眺め、写真を撮って飯田橋東口の蜘蛛の巣交差点へ出る。船河原橋で神田川の顔を久しぶりに見た。橋の上から神田川を眺め、そこから始まる仙台堀の景観にしばらく見入っていた。

右手を中央線と総武線の電車がひっきりなしに通過するが、鉄路は政宗や忠宗、綱宗がいた時代に多くの人夫が切り開いた神田山の開削土手の上に敷かれているのだ。3000人を越す人夫たちが神田山に取り付いて手掘りし、もっこを担ぎ、額に汗した姿を想う。以前は何事もなく通り過ぎていた堀川が急に人々の呼び交わす声、叫びが聞こえてくるような気がして以前とはまるで違う景色に見えた。

伝通院の本殿

 飯田橋駅で降りたのは予定外だった。急に伝通院まで行ってみようという気持ちになったからで、駅から遠いし、坂の上だし、自分はトシヨリだしと以前は敬遠していたが、今日はその気になっていた。小石川後楽園の手前を左に折れ、牛天神下の交差点を斜め左に少し進むと、安藤坂交差点に出た。ここは前編で歩いた「神田川・白鳥橋」から上がってくる交差点で、見上げる感じの急坂だ。

 足が痛くなってくる坂道、安藤坂を登り切ったところが伝通院前交差点。目的の伝通院の山門(江戸時代は中門)が真正面に見えた。この寺には於大の方(家康の母)の墓、千姫(秀忠長女)の墓、於奈津の方(家光正室)の墓などがある。伝通院の名は於大の方の院号「伝通院殿」にちなんでつけられたそうだ。幕末には新撰組(浪士組)がこの寺で結成された。近藤勇や沖田総士などがワイワイと円陣を組んでいたのだろうか。

伝通院山門

 昭和20年(1945)5月、B 29 による東京山の手空襲で本堂・山門とも焼失したが、昭和63年に現在の本堂が、平成24年に山門が再建されている。於大の方、千姫の墓は本堂の縁廊から眺めたが、歴史を刻んだ立派な五輪の塔になっていた。

伝通院裏手にある墓地
伝通院本殿正面

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