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神田川の秘密25 成願寺の防空壕

二十五 中野・長者橋近辺の異変(3)
    中野・成願寺のドラマがすごかったーその2

 長者閣の屋根に乗る金の玉葱、軒瓦の先端(瓦当)ガトウに古銭(宋銭)が模型されているには理由があったのだった。古銭は大観通宝で、寺に伝わる鈴木九郎の物語を踏まえてのことだった。大観通宝は今の古銭市場で1枚平均7000円程度で取引されているようだ。いずれにしても、財産を失った鈴木九郎は屋敷跡を寺の敷地にしたわけで、財産を失ったとはいえ、一文なしの貧乏人になったのではなかった。

 さて、長々しい話になってしまった。
 中野・長者橋命名の由来は、鈴木九郎の物語に由来するというのが通説のようだ。しかし、成願寺の話はこれで終わりではない。銅像の奥、本堂の右脇に有った『茶色の木戸』がもう一つ成願寺の物語になっている。いかにも秘密めいていて、開かずの扉かなと思ったが、後で成願寺が公開しているホームページを開いて、もう一度驚いた。その扉は「防空壕」の入り口の扉だった。予約をすれば見学させてもらえると出ていたので、早速電話をしてお願いしてみる気になっていた。

 この先は後日談になる。
 成願寺の電話が通じなかったので、ホームページに紹介されていたメールを通じて訪問の希望を打っておいたら、早速に返信があった。

「都合の良い日時においでください」とのことなので、希望の日時をこれもメールでお願いした。返信者名が「成願寺 副住職 小林」となっていたのにも好感が持てた。相手が誰なのか分からないと、訪ねるにしても不安があるからね。

 当日は午前中に地元の小学校の生徒たちが先生に引率されて、防空壕の見学にきたばかりだったそうで、案内してくれたのは若いお坊さんだった。平成生まれと言っていた。戦時中のことを何も知らないのは当たり前。壕内にあった部屋についても少なくとも2つはあったはずだと教えてくれたが自信なげだった。壕はS型に曲がりくねりながらおよそ40m、天井に照明用の電灯がついていた。通路には細かな礫が敷き込まれている。砂利を踏んで歩くとザクザクとこぎみ良い音を立てた。中はひんやりしていて、土の湿り気が感じられる。以前は土のトンネルだったそうだが、今は鉄板で補強されていた。

整備は行き届いていた
防空壕の中で震えていた人々を想う

 この地下壕の中で多くの人がB 29の重爆撃に震え、息を忍ばせていたに違いない。中野界隈から東京駅あたりにかけては何度も爆撃を受け、徹底的に焼き尽くされたというから、地獄のような体験をした人たちが多かっただろう。昭和20年(1945年)5月25日の山の手大空襲で成願寺も丸焼けとなった。

防空壕の中の部屋
成願寺の庫裡の入り口
ここでお茶をいただいた


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