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神田川の秘密31の(4) 江戸川公園でお昼の弁当を食べてみた。仲間は多い

三十一の4 江戸川公園で昼の弁当を食べてみた。仲間はいっぱいいる

 江戸川公園のベンチにはお昼の弁当を食べている人が散見された。
 崖の途中、石垣のてっぺん、置き石の上。好みの場所で弁当を使っている人が多い。その光景はコロナの蔓延によるものなのか、コロナに関係なく常にそうなのかは分からない。公園には綺麗に清掃されたトイレも設置されていて、飲み水もある。川があって、樹々の緑と崖地がある。老人が弁当を食べるにはもってこいのところだね。

里程標は忘れてころに出てくる

人道用の一休橋の袂に道程の標識石柱14番が埋め込まれていて、みなもと18、6キロ、すみだがわ6、0キロと表示されていた。河口まであと6キロになった。
 一休橋のその先は江戸川橋。

一休橋
音羽通りが見えてきた
江戸川橋駅も近い

 今、江戸川と言えば、利根川の分水流で千葉県流山市、松戸市、市川市を流れて東京湾に注いでいる川のことをさす。都内を流れる川の名前が江戸川であった時代のことを、神田川を下ってきた今は十分に理解できる。東京・文京区に江戸川橋が有るのは十分に訳あってのことなのだ。

左手の手前が江戸川公園
一休橋から撮影

 神田川の源水、井の頭池から江戸川橋まではほんの18キロに過ぎないことが分かったが、マラソンランナーなら1時間かからずに走り抜いてしまう。しかし、川旅老人が江戸川橋の地点で見た神田川は源水からたった18㌖なのに、それまでの神田川とはまるで違う川になっていると感じてしまった。
 川の途中、途中で何回か小さな変化はあった。それまでの流れを一変したかと思えたことも一度ならずあった。しかし、江戸川橋からの神田川は今までの変化とは質の違う変化を遂げている。刀を腰に刺していた江戸の侍が突然茶髮でスマホをいじり始めたような変化だ。

左手は江戸川公園の続き

 なぜそうなってしまったのか。神田川に聞いてみたい。
 訳を聞きながら、隅田川との合流地点へ向かってみたい気がする。
 が、それはそれとして、前回江戸川橋までたどり着いたときに考えたことを実行してみる気になっていた。それは江戸川橋交差点から音羽通りを上がって、護国寺まで歩いてみるということ。日を改めて出直してきたから、お昼の弁当をリックに入れている。護国寺に着いたら大きな木の下でお昼にする。行ったことはないが、大きな木が何本かあって、その下にはお弁当を使うベンチがあるだろうと勝手に決めていた。ところが・・・、

江戸切り絵図に描かれた江戸川橋と音羽通り
橋に近いところが9丁目になっている
護国寺の前が音羽1丁目


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