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神田川の秘密 スチュワーデス殺人事件 殺された女の怨念は続く

十九の3 スチュワーデス殺人事件(8) 女の怨念は続く

  佐々木嘉信氏の書いた『刑事一代』の扉では
「・・・この事件をモデルに、作家の松本清張氏が小説『黒い福音』を書いているが、そこにも描けれているように、言葉の壁や教会のガードの固さ、再独立から間もない当時の日本における外国人に対する遠慮などが捜査を阻んだと言われる」
と書いている。

 八兵衛さん、『捜査研究』に松本清張氏についても語っている。
「松本清張ってひとは一度警視庁で会ったことがある。『下山事件の実情を聞きたい』て来たんだ。上司から『君、しゃべってこい』といわれて、日比谷公園の飲食店で捜査経過を話したよ。そしたら、最後に『じゃあ、やっぱり自殺ですか』という言葉を残して帰った。それを他殺にするとはふざけた話だよ」
 八兵衛さんが警察官になった時の新任地は鳥居坂署(東京・麻布)の交番勤務だったと佐々木氏は紹介している。彼は叩き上げを地でいく昔気質で、一本気の刑事だった。
 事件発生から23年経った1982年1月、雑誌『創』が「反社会的スキャンダル」の事例としてスチュワーデス殺人事件を取り上げる。
「幅11メートルほどの善福寺川の中央部に(Tさんは)仰向けに倒れ、顔や手、胸部、大腿部が水面上に現れ、ツーピースの上に人絹のブラウス、白い人絹のシュミーズ、ブラジャー、コルセット、白メリヤスパンティ、足底の擦り切れたナイロン靴下姿で、コルセットは固定されていた」と発見された時のTさんの遺体の状態を詳細に書いている。TさんがBOACのスチュワーデスに採用されロンドンで研修を受けて2月27日に帰国、3月17日から香港行きの飛行機に初搭乗が予定されていた。そのTさんが8日から行方不明になり、10日の朝、善福寺川、宮下橋下流で遺体となって発見された経過をたどっている。遺体解剖の結果、Tさんの膣内からO型又は非分泌型の精液が、パンティの局部付着部分からはA型またはAB型のそれぞれ別人の精液が見つかった、とややセンセーショナルに書いている。

 その後に続いて、V神父の母国や出生からの経歴、修道会での修業や活動、司祭となった年など細かく紹介し、Tさんの経歴とどこでドッキングしたかを説明する。2人が原宿駅前のKホテルに出入りしていたことに触れ、親密な関係にあった経過にも触れている。Tさんが殺された後、捜査の手がV神父に伸びて来た6月11日、V神父は突然本国に帰国したことで事件は迷宮入りとなったという経過で『創』は締め括っている。

 殺されたTさんの怨念がこの事件をいつまでも終わらせていないように思える。犯人への増愛の残影だろうか?

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