最終結論 : ワンピースは8~11巻だけで良い
ワンピースって僕が生まれる前から存在していて、幼い頃、ある大人に「ドラゴンボールとワンピース読んどけば人生何とかなる」と言われて育てられ、それを信じて今も生きてきてるので、ワンピースを読んでない人間が存在することが信じられなかった時期があります。
だから「え!?ワンピース読んだことねぇーの!?うっわ、それ絶対人生損してるわ!」と言ってくる典型的なワンピースハラスメント通称”ワンハラ”をしてくる”ワンハラリスト”または”ワンハラー”と揶揄される悲しきモンスターでした。
モンスターから脱却した今でも心の中ではやっぱりみんなにワンピース読んでほしいと思ってる…。
「人生が豊かになる!」とか「損だから」とか「面白いから」じゃないですよ?単に「ワンピースの会話で盛り上がれる人が増えて欲しいから」です。誰かと話したいだけ。新しく読んで感想話してくれるんなら飯なんて余裕でおごる。少し読んでくれるだけでもありがたい。
「新参、アンチ、逆張り、過激派なんでも来い、俺が相手をしてやります」
かつて”ワンハラ王”として君臨してた僕は、王としての冠を脱いだ後も、みんなに読んでもらうために必死になって考え、ある一つの結論にたどり着きました。
それは…
「ワンピースは8巻から11巻だけ読めば良い」
ということです。
これだけで語れます。批判もしていいです。
「いやいや、それだけでワンピースは語れないよ~、分かってないよ」と言ってくる奴いたら、そいつは信用しないでください。
分かってないやつはそいつです。
”正当な読者”ならナミ編が大好きなはずなので、この理論を瞬時に理解してくれるでしょう。
なぜ8〜11巻だけでいいのか…その理由は8〜11巻が一番”ルフィがめちゃくちゃルフィしてるから”です。
”ルフィしてる”っていうのは、ルフィが一つのことにすごくこだわっており、そのこだわってるものが実現出来たと同時に、周りの事とか全く考えてなかったのに、自動的に周りの複雑な問題が一気に解決していることを指します。
ルフィって割と核心を突くキャラなんですけど、ホントに分かっててやってるんですかね。
ルフィがこだわることがいつの間にかすべての核になってるんですよね。(クロコダイルをぶっ飛ばすとか空島の鐘とかね。)
その要素が、ナミの故郷ココヤシ村というアラバスタや空島より小さい規模で繰り広げられているのがナミ編です。
小規模だからか、余計な不純物がマジで一切ない。
食べ物に例えると、寿司とか焼肉の部類。
米と魚!米と肉!うまい!!って感じでめっちゃシンプル。
なんなら、卵かけご飯でもいい。
あの「やっぱ、これやな!」感。
アラバスタとか空島はカレーとかハンバーガーとかで、いろんなものが入っててスパイスやらソースやら何が入ってるか分からんし、なんでこれ思いついたんだよとなる部類。
「いっぱい具材あるけど、綺麗にまとまっててこれが最強や!」となるあの感じ。
「ワンピース長いしなぁ…」「今更読んでも…」とか思って、読んでない奴は、しのごの言わずに寿司だけ食えば良い。
ナミは、母親ベルメールの様にアーロンに殺される犠牲者を出さない為に、人に”涙”を見せることをやめ、決して人に”助け”を求めずにずっと生きてきました。
そのナミが”泣きながら”ルフィに”助け”を求めるシーン。
「ナミ編」のルフィは、ナミになんかあったことは察してるんですけど、寝たり、過去を聞かなかったりとわざと無関心を演じて、ナミから”助け”を求めてこない限り、終始一貫して手を出さずに待っていました。(早く頼って欲しい気持ちが出ちゃってるシーンがあるけど笑)その過程があっての二人のこのシーンですよ。「ナミ編」はここが肝なんすよね、ナミの悲惨な過去が~とか、この村が支配されてるから~とかそんな理由じゃなくて、
ただ単に仲間であるナミが目の前で”泣いている”から助けるんすよ。
その流れがあっての…
9巻の表紙のタイトルに、81話のタイトル”涙”を持ってくる秀逸さ、そして81話で終わった9巻に続き、82話”OK, Let's STAND UP!”で始まる10巻。
構成アツすぎでしょ。
しかもこの始まり方珍しいんですよ。
大体、扉絵か、見開きのイラストにタイトルが書かれてあって、あんまり本編に関係ないのですが、がっつり本編に関係しており、なおかつ全部英語!!第~話とか、尾田栄一郎でさえ英語になってます。
たぶんこの回だけ???。(” STAND”3種活用も良い)
また、闘いの最中ルフィがアーロンのキリバチから逃げてたどり着いた先は、ナミが8年間軟禁されてきた測量室。
ルフィは大量の海図と血が滲んでいるペンを見て、アーロンを倒すことよりも測量室をぶっ壊すことを優先します。
部屋からぶっ飛ばされた机…。普通の人から見たらただの机でしょうが、ナミだけは違います。母親を殺した張本人のもとで、海図を描くために8年間も軟禁され、嫌でも使い続けてきた机。
測量室でルフィが今何をしているのか、なぜ異常なまでに測量室の物が飛び出してくるのかは、闘いの行く末を見守る奴らの中で”ナミだけ”が理解できるんです。ここがマジで良い。
そして物語の最後、ココヤシ村の駐在ゲンゾウが頭に風車を付けていたのは”泣いているナミの笑顔が見たいから”だったと分かるシーン。
その風車を外したのは
「ナミはもう”笑顔”だから」でしょう。
それを暗示するかの様によく回る風車。
そしてタイトルの「まわれ風車」。完璧だ…。
ワンピース読むのは…
もうここで終わってもいい…
だから…読んで…
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