放射性物質の海洋汚染を比較する

 今回こちらにエントリーする記事は、福島原発事故における海洋汚染についてで、他国の放射性物質排出や核実験などと比較して、どの程度のものなのかを調査する為に、IAEAなどの資料を元に私が2012年9月に書いたものを基に、今回のエントリーで少々加筆修正したものです。

 再エントリーをしようと思ったきっかけは、1969年に就航した原子力船むつが風評被害で紆余曲折のはてにポシャった経緯などを調べた時、非常に非科学的風評によって多大な技術力と資本が投下されたものが、げに儚くも倒れていく様を、今問題になっている福島での風評被害などにも思いを致しながらツィートしたのですがが、それなりにバズりまして。

 このツィートの関係上、色々と海洋汚染などへと話が広がりそうなので、以前に書いた文書を掘り起こして再投稿したものです。

 文章の最後には現在、海洋排出が決まった処理水で話題になっているトリチウム(三重水素)についての論考も加筆しました。元の記事は以下からご覧になれます。

核種のそれぞれの放出量は?

 まず海洋汚染について、福島原発事故との比較対象として、様々な事故や通常放出案件などから、もっとも適しているものをとして、英国西海岸のセラフィールドで60~80年代まで核施設の「通常業務」として放射能を海に投棄していた時期があります。それによる海洋汚染と福島原発事故における海洋汚染を比較いたしました。ちなみに英国セラフィールドの汚染資料としては以下の二つを使いました。

IAEA-TECDOC-1429
全世界における放射性物質の海洋汚染に関するリポート

The environmental impact of the Sellafield discharges
セラフィールド沖の放射能汚染に関する資料
 

 セラフィールドで垂れ流された放射能の総量ですが、上記資料のp2から抜粋して、以下の表に福島、チェルノブイリ、セラフィールド、そして過去の米ソ中等による核実験の総計(グローバルフォールアウト)を比較しました。

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 まあ何というか、凄まじい垂れ流しようでして、、超ウラン元素に関してはチェルノブイリ以上の垂れ流しをアイリッシュ海にしていたとは今まで自分も全く知りませんで。実際にここで取れる貝類のプルトニウム濃度は現在でも数十Bq/kgあるそうでして(参照 「The environmental impact of the Sellafield discharges」p16)、福島周辺の土壌から(おそらく過去の核実験でのフォールアウト由来の)数Bq/m2のプルトニウムが検出されても騒いでいる人もいる訳ですから、そういう人は英国近海の海産物は絶対に食べられないかと。もちろん食べたとしても医学的疫学的リスクは気にするレベルじゃないでしょうが、、、。で、福島沖の海洋汚染の実測データとセラフィールド沖のデータをどう付き合わせたもんだか色々資料を漁ったのですが、セシウム137をベースに表層水の汚染濃度の比較するのが結局の所一番都合が良いと考えまして作ったのが以下の図です。

セシウム137でセラフィールドと福島を比較する

 まずはセラフィールド沖の汚染に関してはTECDOC1429のp121の1976-1980の図を抜粋させてもらい、以下にこの濃度図を踏襲した形で自分の作った福島沖2011/8-9月の汚染図をほぼ同縮尺で載せました。

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 同縮尺だと余りにも小さいので拡大したのが以下の図です。以下の資料から実測濃度を抜粋し、最初に図の○の中にセラフィールドと同じ濃度色を割り当て、その後周辺を大まかに色づけしました。

文科省・環境省・海上保安庁モニタリング資料

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 事故直後汚染水という形で原発港内から流れ出たというよりは、大気中に放出されたセシウムが太平洋に広く降下して8~9月ではその影響で汚染地域が太平洋側に広がっているように思えます。ちなみに大気中からの降下と判断した理由として事故直後の4月にこの地図からはみ出るほど遙か沖にホットスポットのように1000Bq/m3の場所が表れた点が挙げられます。(参照→気象庁調査資料(現在リンク切れ) ちなみにここで採取されたデータをGoogleMapに高濃度部分のみプロットしましたが、線引きをするには余りにも情報が少ない為、上下のような図は作りませんでした)。その後降下物として海面に落ちた放射性物質は攪拌して急速に濃度を下げ、遠洋においては2月の時点では以下のように薄まっています。近海の濃度はそれなりに残っている訳ですが、これは原発サイトからのものと同時に陸地に沈着したセシウムが河川を伝ってじんわり近海の濃度を高めているように見えます。とはいえ去年の8月時点よりいずれも濃度は低下傾向ですので、このまま数年で薄まっていくことが予想されます。

参考資料
文科省及び東電海域モニタリング2012/6/1発表資料(リンク切れ)
文科省及び東電海域モニタリング2012/6/1発表資料(リンク切れ)

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 ここでセラフィールドと比較して、何故こんなに簡単に薄まるのか疑問に思う人がいるかもしれません。セラフィールドの垂れ流したセシウム137の量は約30年の年月を掛けて福島沖に放出された3倍近くということですが、この実測データを見る限りあまりにもセラフィールド沖と北海の汚染が長期に渡って続いているように思えます。セラフィールドに於ける時間変化はTECDOC1429 p121-122から抜粋すると

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 上のようになり、80年代半ばを境に通常業務としての垂れ流しを大幅に抑制した訳なのですが(参照 TECDOC1429 p10)それでも北海やアイリッシュ海の汚染が消える様は福島沖と比較して緩慢です。(余談ですが 86年以降はチェルノブイリによるフォールアウトでバルト海が汚染されているのが解ると思います)

 この理由はアイリッシュ海、北海の平均水深が一番の理由だと思われます。GoogleMapの衛星写真にして、太平洋と比較すると欧州の北西には広大な大陸棚の浅瀬が広がっているように見えます。この辺りの水深は平均90m前後といわれており、非常に浅い訳です。翻って太平洋は平均水深4000mですから、面積(北海75万km2 太平洋1億5千万km2、太平洋が200倍)で比較すると大した違いが無くても(それでも太平洋のほうが遙かに広いですが)体積(北海9万km3 太平洋7億km3 太平洋が7800倍)で比較すると水たまりと湖ほどの違いになります。故に攪拌によって放射能が薄まる度合いも段違いということになります。

※上記の汚染図に関してですが、2014年11月(JAEA)と15年1月(規制庁)のデータを元にここ4年間の変遷を新たに作りましたので参考にしてください。(2015年2月)

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ビキニ環礁の核実験では?

 ちなみに太平洋においてはかつて福島やセラフィールドよりも遙かに深刻な放射能汚染を経験しています。それはビキニ環礁等の南太平洋に於ける米国の核実験による放射能汚染でして、、ここではセラフィールドの約8倍近い(福島の20倍以上)341PBqのセシウム137が放出されたそうです。ストロンチウム90に至っては224PBqとチェルノブイリの実に20倍以上(福島の大気中放出の2000倍弱)もの放出があったということで、太平洋は激甚な放射能汚染に曝されたことになります。この核実験による海洋汚染の経過についての研究は良くされており、2004年に出された以下の研究などが非常に参考になります。

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※出典 海洋環境放射能による長期的地球規模リスク評価モデル(LAMER)
    東海事業所 放射線安全部 中村 政尚

 今回福島で放出された量は核実験と比較するとセシウム137に絞っても数十分の1である点を考えても、結局は太洋の攪拌能力によって、少なくとも陸地から10km以上の遠洋では過去の核実験で海水に溶けた分のバックグラウンドにここ数年で近づき、見分けが付かないようになると思われます。現在は海底土に沈着した放射性物質が再浮遊して濃度を高めることもあるでしょうが、結局海の中というのは自然のままで常に除染作業をやっているようなものですので、結局の所放っておいても濃度は下がり続けるのだと思います。故に海洋の心配をするならば地上に沈着してしまった放射性物質をどうするか考えるほうが遙かに建設的であろうかと、、、

 またストロンチウム90の汚染について、以前のエントリーでも書いた通り、汚染水に含まれる度合いが大気中に放出された度合いより大きいという事で非常に海産物の汚染が心配されたのですが、それさえも過去の核実験で放出された量、そしてバックグラウンドを考慮すると、福島事故前、核実験によるストロンチウムを心配していないのであれば、別に心配する程の量は出てこないという事になるのではないかと、、理由は原発事故で大気中に放出されたセシウム137とストロンチウム90の比率は100:1とも1000:1とも言われ非常に希薄である点、海洋汚染が大気中から降下したものが殆どである点、原発サイトから垂れ流された分の比率はCs137:Sr90で10: 1くらいでストロンチウムの比率は大気放出のものよりも高いが、核実験によって放出された比率はCs137:Sr90で3:2と非常に高くバックグラウンドにセシウムよりも早く到達してしまう事が予想される点などです。

各海洋での濃度比較

 ここで過去の核実験やセラフィールドなどの垂れ流し、チェルノブイリの影響などで各海洋において攪拌した放射性物質をバックグラウンドと言いましたが、それがそれぞれの海洋においてどの程度の違いがあるかを書いておきます。TECDOC1429のP138-141までに記載されているもので、2000年の調査ということみたいです。で、その中で主要な海を抜き出して比較したのが以下の表です。

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単位 セシウム137,ストロンチウム90(mBq/L = Bq/m3)
   プルトニウム239,240 (μBq/L = mBq/m3)
※プルトニウムは非常に希薄な為μBq/Lと、セシウムなどの1000分の1の単位を使っています。

 まあセラフィールド垂れ流しの影響でアイリッシュ海だけ突出したバックグラウンドになっている訳ですが、、それを差し置いても普通に世界中の海にはある程度の濃度でこれらの放射性物質は存在するということを認識するべきかと思います。特に現在福島事故のお陰で非常にセンシティブな調査がされている訳なのですが、このバックグラウンド値というものを全く勘案せずに、検出されればそれが福島由来と大騒ぎする節がありますが、、これらの数値を頭に入れておくことで事故前とどれくらい違うのか、各国とどれくらいの違いがあるのかという指標になるかと思います。

 ちなみに福島事故の影響で太平洋の値がどの程度変化するかですが、セシウム137で過去のビキニ環礁等の水爆実験の数十分の1という規模ですから、現在の2.4Bq/m3という数値が精々2.5Bq/m3とかに上がる程度かと考えられます。もちろん攪拌には時間がそれなりに掛かり、それは上記の核実験による攪拌と同じような挙動になるのでしょうが、いずれにせよ福島原発近海でもアイリッシュ海やバルト海より薄まるのは時間の問題かと思われます。

 上記の今年(2012年)の2月の時点の汚染濃度図を見る限り、現在のアイリッシュ海と同じオレンジ色の濃度の部分はいわきから南相馬近海までに限定されている点をみれば、その薄まり方は明白です。ましてやこれはセシウム137だけにほぼ絞られ、ストロンチウム90やプルトニウムに至っては過去の核実験によってまき散らされたものにすぐに埋没するほど微々たる量でしょうから、問題にならないと考えて宜しいかと。

 以上の事を勘案すると、魚介類に関しては近海(特に河川の河口付近は高くなる恐れはあると思います)の底魚や貝類じゃないかぎり、放射性物質の蓄積は福島事故前のバックグラウンドレベルに近づくのは自明であろうかと考えられます。それにしても何というか、、、ここの所色々目に入る放射能関連のニュースなり、ツィートなりというものは、余りにもセンセーショナリズムに囚われすぎているように感じてなりません。

 例えばGoogleの画像検索の「海洋汚染」で表れるASRの有名なシミュレーション画像ですけど、、実測ではないただのシミュレーション画像で、しかもBq/m3といった表示も記載されていない学術的にそれ程意味のないあの手の画像に踊らされて、太平洋の魚はもう食べられないと嘆いてみたり、色々情報が一人歩きするのも非常に問題なんですが、、過去の核実験のバックグラウンドやその他放射性物質をどれほど自分が取り込んでいたのか等の比較知識がある訳ではないのに、福島事故後になって初めてセンシティブな調査をして検出されればそれが過去の大気中核実験由来か福島由来かなど全て棚上げにして大騒ぎをするというのも大いに問題かと思います。

トリチウム(三重水素)について

 さて、以上が若干の修正を加えつつも、原発事故1年後の2012年にブログで書いた、海洋汚染についてのエントリーなのですが。事故から実に10年、今年、つまり2021年になり、漸く処理水の海洋放出にも段取りが付きそうになってきました。ただ未だに一部のメディアや政治組織では処理水を「汚染水」と吹聴し、中国、韓国もそんな国内状況を見透かしてか、政治的キャンペーンとして福島の(トリチウムを含んだ処理水)放出に反対などをしております。これは以上に挙げたセシウムの海洋汚染の話よりも、遥かに非科学的なもので、風評被害以外の何者でもないレベルの話ですので、こちらについて少々加筆をさせて頂きます。

単位(TBq) (1)

 上記の図は2000年にUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)で公開された2000年レポートのAnnex Cに記載されたものから数値を抜き出して表にしたものです。

 まず大まかに言えば、トリチウムとは下から3行目にあるように、年間7京2000兆ベクレル(福島のタンクに貯まっている72倍)は地上に降り注ぐ宇宙線と大気の反応によって普通に生成されるもので、例え人類活動がなくとも自然界に溢れているものです。そして一番下の行にある通り、現在の地球上で観測されるトリチウム濃度を決めている最大の要因は50年以上前に行われた大気中核実験の影響であり、そこで放出された量は、実に福島のタンクに貯蔵されている18万6000倍で、10年という半減期を勘案しても、現在地上で観測されるトリチウムの殆どであるということです。

 そして世界各国では原子力発電所で通常の発電においてもトリチウムが生成され大気と海洋に放出されているのですが、それらの総量は現在の福島のタンクに貯蔵されている20倍(90年代、大気と排水の合計)ほどのもので、各原発に限って話をしても、特に重水炉型(HWR)の原発では多く発生し、カナダのブルース原発では1~8号機合計で90年代は1年間に福島に貯蔵してある処理水全てのトリチウムの5倍もの量を環境中に放出していますし。あれほどオリンピックで福島県産は汚染されているとキャンペーンをはった韓国も月城原発は重水炉ですので、かなりの量のトリチウムを放出しております。

 各原発がトリチウムを通常業務として環境中に放出しているのに、福島だけ放出するなというのも本当に変な話ですし、また何よりも問題なのは、トリチウムの実際の人体の影響力云々を全く考えず、放射性物質であるというだけで「危険だ!汚染させれた!」と騒ぎたて、また「兆」「億」という単位に踊らされて、大きい数字だから怖いという演出をすることです。

 そもそもUNSCEARによる科学者達の議論で核実験で排出された核種で問題になるものは、セシウムやストロンチウムであり、トリチウムを殊更問題にしないのは、同Bqであっても核種によって放射線の種類、強さが全く違うからです。トリチウムは強力なガンマ線を放出するセシウムなどと違い、崩壊した際に発生するエネルギーが微小なため、経口摂取や吸引の際の預託線量(体内に入った際の影響)も、少し前までは全く無視されていたほどのものです。もちろん現在ではかなりセンシティブにこの辺も考えられるようになりましたが、それでもヨウ素131やセシウム137と比較して1000分の1といった具合です。

 ここで前回エントリーした「放射能と食品の安全基準について」でのヨウ素やセシウムの基準とよくよく照らし合わせてもらいたいのですが、あれほど微細なベクレルですったもんだし、それでも健康への影響などないに等しいことで大騒ぎをしたのに、その1000分の1の影響力しかない放射性物質を掲げて同じ騒ぎをしているということです。

 今回このエントリーを発表しようと思ったきっかけは、原子力船むつが何故行き場を失い頓挫したのかを、あるツィートをきっかけに読んだからなのですが、、むつの場合は処理水騒動よりも酷く、中性子線の漏れが放射能漏れと誤解され港への寄港への反対運動が始まるという、、非科学の極みとも言われる風評キャンペーンの前例なのですが、これら反知性的な問題を社会がどう乗り越えていくべきなのかというのは、本当に大きな課題だと思いました。

まとめ

 まとめますと、まず福島原発において当初起こったセシウム137の海洋汚染は現在は健康上、疫学上問題になりうるような汚染を引き起こしておらず。そしてトリチウムの処理水はセシウムの汚染問題よりも1000分の1以下のリスクしかなく、ましてや原子力船で起こった遮蔽構造をちょっと直せば何の問題もない原子炉の運転中の中性子線漏れ問題で、海洋汚染が、漁業問題がと騒ぐことのバカさたるや、という話です。

 このような非科学的ドグマに囚われてしまうことというのは、社会的に大きな損失を生み出します。対策をする必要のないことに多大な資金を投下し、そして風評によって大きな経済的打撃があるのは、全く健全ではありません。原発事故も含めて、非常に多く見られる議論に「リスクがあるのか、ないのか」という話があります。それは単なる1か0かの二元論でしかなく、各リスクについて、その程度を細かく分析する視点がごっそり抜け落ちているのです。結果本来無視しても全く問題ない程度のリスクも「あるかないか」論で科学者に意見を聞き、当然科学者は「無視しても良いレベルですがリスクは若干あります」と答えざるをえず、結果「リスクあり」と騒ぎ立てられる展開を何度も見かけることになるのです。

 例えば昨今のコロナ禍において、我々は様々なリスクに直面していますが、その中で許容できるリスクがどの程度なのかを調整しながら日々生活しております。ワクチンの接種でリスクがどの程度低減するのか、接種の副反応と比較した場合利益のほうが遥かに多いから接種を推奨するといった考え方です。そういう意味ではリスクを正当に評価をする大切さが見直されているように思います。その中で殆どリスクのない、福島原発絡みの風評にも正当な評価がなされていくことを期待してやみません。

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