夜明け

「夜明け」


宛の無い自分は、イヴの、価値観や才覚のすべてを、憎んだ。誇大広告に支配されるこの世の中では、勝てないと、淡い月が静かに夜空に浮かぶ日に、冷たい風が肌を撫でていく。私は深く息を吐き、ぼんやりと遠くの人をを見つめていた。心の奥底に隠された感情を映し出すかのように、儚く瞬いている。最近、自分の心は重く沈んでいた。何もかもが手につかず、未来すら見えず、やりたいことも見つけられない。いつしか手の届かない場所に遠ざかり、このやるせなさを、理解できるだろうか。何をしているのか、何をしたいのか、自分でもわからないままで、ただ日々をやり過ごす。壊せるのだろうか。表面的には急いで生きているように見せかけながら、実際には何も進んでいない。時間だけが無慈悲に過ぎる。私だけを取り残していく。空々の感覚だけが心に広がっていく。


あの夜に似た風に触れた瞬間、眠っていた記憶がよみがえった。あの日、イヴと出会った時のこと。君の手だけは温かくて、二人で見た夏の朝焼けの光景は今でも鮮明だ。あの頃は何も気づかず、ただ君と一緒にいただけだった。イヴの名を知らぬままで。
「転んだとき、私は。君を追いかけ切れなかった?いや、追いかけようとした。」

嫌いなものが増えていく世界に飲み込まれ、誇大広告に惑わされていく感覚だけが残る。イヴだけは、遠くに霞んでも、明確に見える。利点もなく拒むことも出来ない相手。自分を嫌いになり、逃げたくなった。誰もいない場所、誰もいない駅にたどり着くまで、歩き続けることを、どうでもいい夏の終わりに望んだ。夢を、見ていた。夏が来ない街を敢えて、選び、足元を見ずに歩き始めた。道中で、転びそうになったことにも気づかないままで、ただ前に進んでいく。途中、無数の虫の光を放ちながら夜空に舞う風景に、視線は釘付けになった。小さな光が夜空に散りばめられたのに、再び心には孤独が押し寄せると、

「夢を見たいと願う僕たちを、どうか汚してくれ」と神様に願った。
やがて、夜が明けた。名の知れぬ駅に辿り着いた。

宛の無い自分は、あなたの、価値観や才覚をすべて憎んでいた。  
誇大広告に支配されたこの世の中で、僕は勝てない。名残り、売残り、名前だけが在った。いっそのこと、変えてしまおうか、そうすれば、きっと、楽だ。価値のない名前を、無名に変えればいい。それはやるせないのか、汚いのか。

イヴなら
生きることを、望んでも、たとえそれで、総てを失っても。
その姿で在ることを望むのか。

淡い月がまだ残り、冷たい風が肌を撫でていた。記憶を呼び覚ますと、二人で見た夏の朝焼け。光景は今でも鮮明だが、それはもう過去の記憶だ。あの頃の僕じゃない。今でも、何も気づかないまま。
「転んだときに、君を追いかけてれば良かった……」自分が嫌いだ、世界に飲み込まれて、惑わされて、何もかもが偽りに感じられて、失望して、逃げ出したいと強く願っても、逃げる場所も無い。誰もいない場所を探した。誰もいない駅を目指して、歩き続けた。
途中、無数の虫が光を放ち、私の目を引いた。夜空に散らばる小さな光は
「夢を見たいと安易に願う僕たちを、どうか汚してくれ」やがて、夜が明けた。私は、知らない駅に辿り着いた。そこには誰もいない。静寂の中で、立ち尽くした。すべてが止まっているかのように感じられる中で、自分が追い求めてきたものが何だったのか、考えていた。

「すべてを、笑うだろうか」

自嘲気味に呟いた。明け方の空には、まだかすかに月が残っていた。藍色に染まる空に浮かぶ月を見つめながら。
指が静かに僕の手を撫でていく。水性の生き物たちが揺れる街の海辺で、彼女はサングラスをかけたまま、雑音に包まれた世界から自らを隔てるように座っていた。僕は彼女の横顔をじっと見つめ、冷めた表情に心がざわつく。

街には誰もいない。機械仕掛けのアナウンスが虚しく響き渡る。人工的な静けさが街を覆い尽くし、僕たちは水面に夢中になっていた。彼女はただ一人、無表情で水の揺らぎを見つめ続けている。まるで、この場所に自分が存在していないかのように。

「美しいけど、すぐに無意味になるんだよ。」彼女はぽつりと呟いた。その声は、波が静かに打ち寄せるような穏やかさだった。「いつか私たちも、全部飽きてしまう。」

僕は言葉を飲み込んだ。街の喧騒が遠のき、僕たちの存在さえも、かすれていくような感覚に襲われる。僕は彼女の横にいるけれど、彼女の世界に触れることができない。

その夜、僕たちは無言でテーブルに向かい、静かに食事をとった。彼女は無心で食べ物を口に運んでいた。その仕草さえも、どこか機械的だった。

「美味しいけど、結局これも消えてしまう運命だよね。」彼女の声は淡々としていた。「すべては新しいものに押し流される。この街の廃墟みたいに。」

彼女の言葉は、まるで重力を持ったかのように僕にのしかかる。成功の頂点にいる彼女と、彼女の影に過ぎない僕。未来を見据える彼女に、僕は追いつけないことを痛感する。

「うん、そうだね」とだけ僕は答えた。利点があれば、ここから逃げることができるだろうか。彼女は未来を見つめ、僕はただ彼女の背中を見ている。

その夜、僕たちは廃墟となった街の古びた映画館でレイトショーを観た。過去に規制された作品がスクリーンに映し出される。彼女は無言で僕の手を握りしめ、目を逸らさないまま映画を見続けた。

「これも規制されたんだ。」映画が終わった後、彼女は冷静に言った。「時代の変化には逆らえない。私たちもその一部なんだよ。」

僕はもう何も言わないことにした。彼女の言葉に、未来に対する確信が滲んでいた。そして僕は、彼女の未来に自分が存在しないことを知っている。彼女の握った手の温かさが、やがて消え去ることも。

「そうだね」と僕は小さく微笑んだ。僕たちはお互いに在ることはできない。だけど、君がいなくなるまで、僕はここにいる。君が消えるまで。

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