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諦めすぎたアレコレ

多分卒業研究を進めながら、いろいろ考えていたこの時期に、こんな記事を書いていた。


みなさん、諦め感って感じてます?

最近は、「いや、学生、諦めすぎじゃね?」と思い始めた。

例えばこんなこと。大学生の間に色々な活動をしたい、という学生に大人が聞いた。
「なんでそういう活動をやろうと思うの?」
それに対して、「〇〇に向けてこれをやらなきゃいけない」とかそんな声が聞こえてきた。他の会話の中でも聞こえるのはこんなこと。

・就活をするために、インターンに行かなきゃいけない
・就活では、スーツを着なきゃいけない
・社会を変えるために、技術者のスキルと資格を取らなきゃいけない
・将来のことを考えると、大学の勉強をしっかりとやらなきゃいけない

自分の周りの人間が真面目すぎるだけかもしれない。
でも「それでいいのか」と思ってしまう。

「いやいや、今からやればいいじゃん」と。


みんなは何を感じているか、前提から考え直してみる


こんな状況の背景を探ってみる。あくまでも妄想だし、明確な論拠を提示できるわけはないが。(なんなら、責任転嫁とも言える)


コロナ禍の影響

一つ目は、コロナ禍での教育制度・社会環境によるものだ。
話を聞いた彼らは、たまたまかもしれないが、大学3年生以下だ。つまり、高校〜大学にかけての期間をコロナ禍の環境に縛られていた世代だ。

その環境にフォーカスしてみる。黙食を強制させられる昼食時間、他方でテレビの中には居酒屋ではしゃぐ社会人たちが映る。オンラインによって友人との会話は隔てられ、マスクの着用が強制される。

そんな中で厨二病を少し超えたくらいの彼らが、何を感じるかといったら「無力感」ではないか。
大人たちはいろいろやっているけれど、子供である自分たちには何もできないのだ。


これまでの30年、さらにその前の30年

二つ目は、引用した記事にも書かれている内容、つまり「失われた30年」を継続する日本社会だ。

『国土が日本人の謎を解く』(大石久和著)にも書かれているが、1959年の伊勢湾台風から1995年の阪神淡路大震災までの36年間に、1000人以上の被害者が出た災害はゼロだったのである。この間に、高度経済成長を迎えている。

だいぶ敬遠していたことと、結論は読み飛ばしたことだけお伝えする


つまり、災害による挫折を感じていない世代がいる。

一方で、阪神淡路大震災・9.11.テロ・東日本大震災・熊本地震・その他集中豪雨等による被害を受け続けている現役世代は、長い歴史の中では"日本人の通常運転"であるのだが、挫折感を感じ続けている。
しかもこの時代のピラミッド構造の上位で意思決定権を有する世代は、挫折感を感じないままに生きているとも言えよう。

未来に希望が持てない、というが、まぁそりゃそうだよね、と。

地方社会には、男と女を強く感じさせる社会が残っているし、都会には各家族の中で「〇〇というお父さんと、〇〇というお母さんの間に生まれた子供である私個人」を強く感じさせる環境がある。



今、何ができるか

そんな私たちに今何ができるだろうか。

答えはない、が、最近読んでいるものをとりあえず綴ってみる。

書籍版を購入し、やっと読み終わった。
土木の視点から、国土を考える動きとも言えるだろう。内容の深い部分はさておき、面白い。

このビッグピクチャーを作るために、全国各地の学生・若手社会人も参画している。


自分たちの国だ。
なぜ大人になってからでないと何もできないと思っている?


9月には土木学会全国大会で、学生小委員会という学生主体の集まりによる研究討論会も予定している。

Doboku Lab.もそろそろ活動を再開し、2つ目の渦を起こしたい。


就活の環境も、大人が変わらないなら、学生から変えればいいじゃないか。


災害についての話はまた別だけど、ちょっとやりすぎな気がしてきた。お互いに。

そんなことを考えながら、夏に突入していきたいなぁ。


そういや…

そういや、櫻坂46の新曲のMVが公開された。

この時代に、秋元康は何を考えているのかなぁ、と考えを膨らませる。

センターの藤吉夏鈴ちゃんは、良い表情をするよねぇ。推せる。


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