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普段の暮らしを、少しだけ豊かに。

「まちづくり」というものに関わり始めて、4年ほどが経つ。

いろいろな経験をさせて頂く中でいろいろな無力感にもぶつかってきた。

特にあるのは「土木学科の学生であり、建築学科の学生ではないこと」だ。

そこにはどうしても、一軒の家を建てる/一軒の家を改装することができるかできないかの壁が立ちはだかり、昨今のまちづくりにおいては大きな役割の違いとなる。

そうすると、最近流行りのリノベーションから始めることだったり、何かを作って設置するという手段を自分一人から始めることは難しい。(いや、独学とか他の方に教えを請うことでできるようになればいいのだけど...)

では土木学生の私はどうするかと言ったら、住民目線に立ち返ってみることだった。


生活の中で気分が良いタイミングと現実性

自分が街を歩いて、気分がいいな/楽しいなと感じるタイミングを思い返してみた。と同時に、いろいろな人が「ここは街の中でもよくないと思う」と感じている部分も思い返してみる。

パッと思いつくのは、やはり「空き家」の話だ。

私が住まい、生活する埼玉県熊谷市の中心地にも、シャッターが降りたお店とか駐車場となってしまった敷地が多い。まだまだお店が残っている方だと思うが、そこを歩く人からしたら「シャッターが降りていて面白いものもない。雰囲気が良くない。」となってしまうのだ。

それに対しての改善策を尋ねると、大抵は「空き家を開けてお店でもあったらいいのにね。」とか「トイレとかで多目的に使えるようにしたらいいのにね。」である。

もちろん自分も「あったらいい」と思う。ただこれらはどちらかと言えば通りを歩いたり、街へ出かけるときに面白い/楽しいと思わせる手段の部分なんだと思う。現実的な話をすると、それを誰がやるのか、提案した人はどう関わるのか...やはり不明瞭な部分が多い。

結局自分たちは、誰かにやってもらいたいし、ないものねだりなのだと思う。


それでも自分たちにできること

最近は、今ある生活空間の中で、より楽しく/ワクワクする街を作るにはどうなったらいいかを考えている。

その一つは、街に開くことだ。

今年の4月ごろ、谷根千のあたりを街歩きした。

都内の中でも緑を大事にしている地域で、植木に手入れをし、その最中に近隣の方と挨拶を交わす、そんな姿が見られる地域で、自分はとても好きだ。

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自分の周りの地域との違いはなんだろう、と考えた時に出てくるのはやはり、「家の前の雰囲気」なんだと思う。

ただシャッターが閉まっているのと、シャッターが閉まっているけどその前には植木鉢が置いてある、これはだいぶ違うだろう。

現状だとそこに住んでいる人がただ植木が好きなだけ、と受け止められるかもしれないが、それは明確に「そこに人が住んでいる」というメッセージになる。街を歩くときの見方が少し変わらないだろうか。


パビリオントウキョウにも植木から発想を得た作品があった。

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植木鉢の中にいても、通り/地面から浮いていても、どこか明るい雰囲気と生き生きした感じを与えてくれる。そしてそこに集う人同士で何か関係性が生まれそうな気がする。


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ベンチも同じではないか。いずれも街を歩く人へ「自分の家の前くらいは」というような優しさ/心遣いだと思う。

通り沿いの家が街に顔を開く、逆に考えれば、イオンモールが歩きやすいのは、通路にお店が開かれてるからなのかも、とさえ考えたりする。

そんな風景があるだけで、僕はその街をルンルン気分で歩くと思う。これは中心地とかそういう狭い話ではなく、住宅地も商店街も、どこでも同じだろう。

ないものねだりではない、自分たちにできることをみんながやれば、自分に還ってくる。

そんなことを考えながら、自分の家の前を掃除して、植木を丁寧に育て続けていきたいと思う。

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