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そして、そこに残り続ける

久しぶりにnoteを開いた。
2020年度後期は心の余裕があまりなかったせいか、更新は全くなかった。
(どちらかといえば、今頃になってやっと余裕が出てきた)

4/1で2年目に突入したDoboku Lab.では、メンバーが書いた記事をまとめるマガジンが作られた。誰が作ったかは知らないけれど。是非とも見て欲しい。

そういえば...と、noteを開いたのには理由がある。それは土木学会のnoteに投稿された次の記事だ。

土木学会のnoteや「from DOBOKU」開設など、諸々の記念にプレゼント企画をやってくださるらしい。これの締め切りを思い出して、書き始めたのが、4/13の1:28だ。

先にコメントしておこう(コピペ用)↓
私はA賞でもB賞でもなく、とりあえずステッカーが欲しいです...。
と言いつつも、A賞の「クリアファイル8点セット」を希望します...m(_ _)m

今回は「  #わたしの好きな土木  」がテーマということで、色々と考えてみた。

ここ一年は、「土木って言葉は対象にするものが多すぎる。そして時間が経つにつれてどんどんその対象が増えていくのが厄介だ。」という話を、ところどころでしてきたのだが、好きな土木ってなんだろうか。

Doboku Lab.のメンバーは、「競馬」とか「土木広報」とか、「土木でやりたいこと」なんかをテーマにしているし、どうせなら被らないようにしたい。最近考えていたことなんかにも思いを馳せてみたら、一つ思い出した。


私が土木で好きだな、いいなと思っているのは「土木は、自分がこの世からいなくなった後も、残り続ける可能性が高い」ということだ。


(ここで気づいた人が多いと思うが、Doboku Lab.のメンバーは「好きな土木」というテーマに対して、構造物で答えるのではなく、思想で答えるのである。きっとテーマを設定された方は「構造物で写真映えするやつなんかを出して欲しい」と思っているに違いないのに、やはりDoboku Lab.のメンバーは変態である。)


現在では、橋梁やダム、地下構造物、様々な土木構造物に対して、100年もつように設計するなんてものはきっと当たり前なのだろうが、それはこれまでの時代であっても変わらず、長く残り続けるものとして造られてきたのだろう。そして、建設業のやりがいの一つとして、「地図に残る仕事」であったり、"この構造物は俺が造ったんだ"なんて言うことができること、があるのだろう。

その一方で、自然消滅しないからこそ抱えている問題もある。日本橋の上を走る首都高は、高度経済成長期に造られた構造物だ。自然に消滅してしまうものなら気にかけることもないのだが、寿命を迎え始め、日本橋を表に出すために「地下化する」なんて構想まで存在する。その役割や構造物自体の規模が大きいために、厄介ものになってしまうこともあるのだと思う。

そして長く使われ続けるからこそ、設計した偉大な方々が現在の地球に存在していない場合も多い。"残された我々で"未来を創り、構造物を"残し"、そして次世代・次々世代の人たちは"残される"のだ。

そんなことを繰り返していくのだが、どうにかして「構造物を同じ状態で維持し続ける」という構造物の宿命から脱却してみたいと思ったりする。(ヒビが入ったり破損があったりするのも、修繕によって設計当初に近い状態に戻すので、”同じ状態で維持し続ける”に近似するものとして扱いたい)

???「そんなの土木構造物じゃない!!」

と怒られそうだが、現時点で、国民・住民の生活実態と構造物の果たせる役割にギャップが生まれ始めているのは事実だと思っている。

例えば、日本全国隅々まで道路がアスファルト舗装で整備されているのは、日本の素晴らしいことの1つだと思う一方で、さほど使われていない道路まで高頻度で使われる道路と同じレベルで整備される必要はあるのだろうか。整備する必要がないと主張する気はないし、「その道路は使われているんだ」と言われればそれまでだが、あくまでも前提として考えているのは”人口減少社会に突入し、お金をあまり使えない”未来だ。もし国土保全に使う予算が減っていってしまうのであれば、生活規模を縮小し始めて、予算を割く分野なども考え始めないといけないだろう。

その中で、Doboku Lab.が主催する「Doboku Academy」として開催された豊田啓介さんの講演会でお聞きした、コモングラウンドなどの考え方は非常に刺激的だった。1月に開催以降、土木構造物で「時によって形が変わることは有り得るのか」を考えたりしている。


だいぶ話が逸れた。今回は"好きなこと"を語る回だ。

なぜそこに残り続けることを良い、と考えられるかについて書いていこう。

土木構造物はその規模こそ大きいが、少しずつ少しずつ風景に溶け込んでいく。そして、その風景を眺めながら生活をする私たちの心には、どこか身近なものとして残り続けるのだと思っている。

例えば、東北の震災復興で聞いたことがある話(詳細を覚えていないため、内容があやふや)であるが、ある土地の河川沿いが津波などで壊されてしまった場所があったらしい。もともと草などが生えている自然豊かな場所だったが、コンクリ舗装で復旧させようとしたところ、地元住民から「元の状態に戻して欲しい」という要望があったとか。元の状態が身近なものであって、地域住民の生活や心を支えていたのだと思う。ただ、復旧させにきた人たちが地元の方でない限り、そんなことはわからない。

震災復興の過程で、土地を離れなければならないという状況になった人も、いつか戻れる日を考えて、その土地を離れたのだろう。

そう考えると、生活も、私たちの心も、どこか豊かになっていく気がする。
そして、もう少しだけ身の回りのことに目配せしてみようかな、と考えるようになる。

その結果が、ちょうど1年前くらいの、緊急事態宣言くらいだろう。

みんなが家の周辺を散歩し始め、身の回りの豊かさに気づく。

そこで初めて、身の回りの様々なもの(≒土木)に支えられていることを知る。

目立たないかもしれないが、いつでも"そこ"にある土木は、私たちの生活を支え、豊かにしてくれていると思う。

だからこそ、より豊かな生活を営めるように、残された我々が土木を創り続けていく必要があるのだと感じる。

そして、その土木を創ってきた数々の偉人も、きっと"そこ"にいるのだと思う。

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