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幸せと対人関係

「インスタグラムにあげる用に(≒自分の興味を俯瞰するために)写真を撮ろう」と思って、意識的にスマホで撮影するようにしてみたけど、結果的に風景を発見しているんだろうと思った。

最近はウォーカブルだとか、リノベーションだとか、いろいろな言葉の本来の意味をよく考えるという話が多かった。すごく意識しようと改めて思った。

そんな中で、幸せとはなんだろうとか考えてみた。きっかけは「なぜいろんなまちづくりの中で、道路利用が増えてきたのか。」という話からだった。つまり言い分としては、道路じゃなくてもそれらはできる、というものである。

確かに道路でなくても、例えばマルシェを開くことも、チェアリングすることも、キャンプのような非日常を感じることもできる。そう、別にそこでなくてもいいわけである。

でもストリートで何かをやろうと進めてきている。あえてその理由を、それっぽく考えてみた。

一つは、規制緩和と多様性のようなものではないか。別の場所でもできるから、そこでやらなくても良い、というのは多様性の逆だと思う。道路利用を勧めるというより、道路を利用しても良い状況を作っているだけではないか、と考えれば別におかしな話ではない。だからこそ、事例のコピペは良くないのだと、改めて思う。

もう一つ考えられるのは、道路はほぼ全ての私有地につなげられるからではなかろうか。私有地同士で隣接している場合もあるが、ここは断絶しやすい。公のスペースによって私有地同士は溶け合って、接続されているのだと思う。とすると、そのスペースで幸せを見つけることは、Happy-Happy的(グラデーション的)に伝播する可能性を秘めている。

この公のスペースの議論をするために、コミュニティの議論が出てくるのかな、とも思ったりする。このあたりは誰かと話がしたいなぁ。

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そんなことを考えつつ、幸せに繋がりそうな、コンテンツを消費することとか人から搾取することとかを無意識に考えている。

Twitterとか、対人関係とか、コンテンツとか、なんかいろんなところで消費が起きてるよな〜。自分も消費され、消費しているし。消費し合いならまだいいけど、一方的な搾取にならないように気をつけないとなぁ。

対人関係とコミュニティとかその辺りのもやもやはまだ吐き出せません。

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